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反転させてみれば

論文を書こうとしているわけではなくて
私の雑感なので
正確な数字やデータを挙げることはしないけど

ざっくりいって

私たちの暮らす街や、仕事場や学校では
障害を持った人を見かけたり、
障害を持った人と一緒に何かすることはとても少ない。

つまり障害を持った人がマイノリティで
障害のない人、
一応対義語としては健常者
がマジョリティな社会に
私たちは生きていると思う


実は思うよりも
目に見えない障害、聾の方とか
内臓疾患難病など内部疾患の方を含めてみれば

パッと切り取ったこの瞬間の景色の中にも
障害を持った人はいると思うのだけど

それは私たちが忙しかったり急いでいたり、
目を合わせちゃいけない
見ないでやり過ごそうとするバイアスもあって

こうあるべき
普通はこうすると
崖と崖に渡した板の上を
歩くみたいな狭い価値観を
共有できる人としか
普段接していない

健常者規格の
健常者のための世界

だけど

私は仕事で障害を持った人たちが
マジョリティの世界に長く息をしてみて

畢竟
世界というには狭い
施設という限られた空間だけど

職員のほうが圧倒的に数的に少ないマイノリティ

障害を持った人、おひとりおひとりに
コミニケーションも
食事の形態も、移動方法もアジャストすべく
規格のない正解のない日々を関わり続ける

短い旅を何度か重ねただけで
海外留学経験もないし
海外生活経験もないけれど

圧倒的な多様性
まとめようのない価値観の違いを
前提にしなければ
なりたたない集団で

パンを作ろう、クッキーを作ろう、
河川敷の清掃を請け負おうと
なにか一つのことをしようと
してきた日々が

自然と私に
何かを決めつけたり
ひとつの物差しで全部図ろうとする
乱暴さを躊躇わせたり
違いがあることがデフォルトで
yesもnoも等しく尊重されなければ
本当の意思を表出することもできないのだと

思い知らせてくれたんだと思う

働く日々が
長い間ゆっくりと静かに雪のように積み重なって
自分の狭量な価値観をすこおしづつ
塗り替えて
多様性ってなんだって
考えさせ続けてくれるのだと思う

答えなんか出ないよ笑

赤毛の文章なんかに書いてあると思うな!

一朝一夕じゃあない

もちろん
バイアスかかりまくっているよ苦笑
全然フラットなんかじゃない
凸凹
いびつに
自分勝手に世界を見ている

でも少なくとも
二十年以上かけて
塗り替えてきた
わたしの世界の見え方

無論
私に教えるために当事者がおられるわけでなく
当事者の方の人生の末席に私は仕事で
関わらせてもらうだけ

新年、実家で両親や妹夫婦と久しぶりに会って食事をすると
嘗ては一緒に暮らしていたのに
随分とお互い遠いところにいるなあと
寂しくも思う

娘らには
ママが特殊なの
伯母さんたちが普通なのって慰められるけど

妹夫婦は泣く子も黙る大企業勤務で
今を時めく勝ち組中の勝ち組で
私は吹けば飛ぶような極小零細事業所で働く
ワーキングシングルマザーで

言葉が伝わらない
言葉の意味するところが違ってしまった
同じところから出てきたのに
二人は遠くに来てしまったなあと思う

マンション向かいにできる障害者の入所施設を巡って
棘のある言葉が出てくるのに
思わず顔を赤くして興奮して一発かましてしまい
正月早々その場の空気を気まずくしてしまって

ママの環境が特殊なんだから
一回話したくらいで
分かってもらえなくても
仕方ないんだよと慰められる

大丈夫私たちは分かっているからねと

目を背けないこと
目を瞑らないこと
不都合な景色から

勇気と愛をもって

だってそこにあるのだから
そして私だって明日にはそこに座っているかもしれないのだから
あなたはわたし
わたしはあなた
反転させて考えてみる

新年は青く行く
できるだけ今年は青く行く
去年も青かったけどね

だってしょうがないじゃない
熱量
それしか私の取り柄はないもの


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