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何回でも

今日友人と話していて
また一つ疑問が瓦解したというか氷解して

つくづく話というのは
腰を追っちゃいけないなあ
潮の干満のように
サンゴが一斉に産卵するように
その時がれくればそうなるものを

興味関心装って
ただ沈黙や空白に耐えられない
堪え性がないばっかりに
取調室みたいに
聞きただしても

それを話してもよいというだけ
相手との関係性が熟していなかったら
芯を食う
自分の根幹に触れる
後悔や恥を含むようなエピソードは
絶対に語られることはないと思うし

私もこの話でどこまで話すか
その人との関係性で慎重に判断していたりする

一問一答
正解を急いで
四択の中からマークシートで選ばせても
そんな30字くらいの文章じゃ語れるわけがない

最初にその話を聞いてから多分一年くらいたっていると思うんだけど

ふうんと
聞き終わってみて
残る残尿感、じゃなかった違和感
なんとなく腑に落ちない
物足りなさ

そんなこともあるのかと
そう思うしかない日々を経て

今日改めてその出来事が語られるときに
前後左右、上下に3D
エピソードが繋がって
語られなかったピースの存在が
明らかになって
初めてパチンと音がしたような気がした

ああ、そうだったのか
と流れる起承転結に得心が行く

それでもなお語られることのない
物語の細部があると思うし
そんな全部を人に伝える必要もない
自分が一生海馬にしまっておけばいいことだ

仕事でも昨年来関わってきたご家族と
決定的なターニングポイント
になるような出来事に
赤毛は同席させてもらった

もっと早い段階で促したり、質問したり、介入することも
出来なかったわけじゃない

注意して様子を見守りながらも
当事者の方がご自分のタイミングでサインを出してくれるのを
ずっとずっと待っていた

支援者サイドのアシストには意味があると思うけど

ご自分で意思決定したと思えなくては
到底先には進めないような辛い選択をするためには

薄っぺらい正論。支援者側の言葉なんぞ
わかってはいるからこそ
否定したくなるし受け入れ難いものだと思うから

何回でも同じ話を聞いていると
何回目かに
それまでとは全く異なったディメンションで
その物語が展開し始めるのを
おおおおおっそういうことだったのかと
初めて聞いた時以上に新鮮な気持ちで聞くことになるのを
私は経験からも知っている

若さゆえの性急さ
結論を急ぐのも仕方ないと思うし
それはそれでよいと思う
若者が老成する必要はないし
若い人はどこまでも青くいてほしいと思う笑

けれどもせっかく年を取ったんだから
おんなじやり方じゃあ
チイとばかり脳がないし
あの時には見えなかった景色を
少し時間をかけてその人と見えるのも
年を取るのも悪くはないと
思えたり思えなかったり



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