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年寄りの冷や水

パチンコ屋さんは新装開店
日々新鮮なりというか
あの花輪はまたかの暗黙の了解で
そういうご商売の仕方なんだと
目くじらを立てることもないけれど

大阪に閉店セールを延々と性懲りもなく繰り返している
太っ腹な靴屋さんがあったけれども

もう帰るとか
もう別れるとか
もう辞めるとか

自作自演
シチュエーションを演出して
心配という形で相手の関心を
自分に引き寄せようとするのは
仏の顔も三度まで
また?と思われた瞬間
あなたの神通力はもう効かないのだ

確かに誰かが困っているときいて
見捨てることは簡単にはできないし
どうしたのとか
何があったのと立ち止まるのが人情だから

人の耳目を集めやすいと思うし

でも

相手の善意を利用して
あんまり何度も使っちゃいけないヤツだと思う

人との関係性が固定する
気遣う人と気遣われる人
優しい人と困っている人

勿論私も愚痴りまくり
抱えきれないと
夜中まで人の時間を拘束して
ワタシのグダグダにつき合わせてる

またかよーって思われているに違いない

今日は何にもやりたくなーいって
家事も放棄、皿も洗わずシンクにぶち込んで
洗濯もの取り込んだ山を部屋の隅に押しやって
ポテチを一袋くらって
クレヨンしんちゃんみてゲラゲラ笑って
お股と涙腺ジョワンさせる夜もある

でも人の心まで巻き込もうとは思わないし
(結果巻き込んでるけど)
それは自分の孤独や辛さが
トドノツマリノところでは
人に慰められうるものだとは思っていないから
とまあ随分と傲慢だけど

絶対にどこかで振り切ったり
忘れることにしたり
最終ラインは自分でやるしかないことだと思うから

バランス

誰かが
横に立っていてくれるんだという
朧気な存在感に支えられていても

立つのはこの自分の二本の脚

ディメンションを変えていくというか
方向性を変えていく
泣いたら
次は怒って
そして笑う
相談したら
その次は自分の中で自問自答を繰り返して
答えが降って湧いてくるまでひたすら待つ

一点突破も
一枚看板も
大好きだけれど
やっぱりそれは弱い
ああ、その自分の思っている勝利の方程式
の限界

って

自分のこととなるとカラキシダメなくせに苦笑
人のことになると分かったようなことを言って
ああ年寄りクセエと思う
明日も休みで余裕のゴロ寝
日曜日の遅い朝に







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