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「原罪」


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【原罪】げん‐ざい

《original sin》キリスト教で、人類が最初に犯した罪。アダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪。アダムの子孫である人類はこの罪を負うとされる。宿罪。

『すべての人間は生まれながらにして罪を背負う』








1


7/7

 過ぎてたまるかと6月を終えても日本に居座る梅雨と、それに歯向かう夏の争いが今日も続く。おかげでこちとら気怠いもんです。ベッドにまとわりつく重力に逆らえず、なんとか逆らってくれた右腕を頼りにスマホを掴んだ。通知の溜まった画面には、昨日SNSにあげた小説の反応で溢れている。
 こんなご時世のおかげで、私なんぞの生み出した言葉と物語が誰かのもとに届いてくれたりする。
 最近あげた長編ミステリー、際立って殺害トリックが読者にはオモしろいらしく、何をきっかけにか大バズりこいて、出版にまでコト進んだ。
 難産なだけあって努力が認められるのは確かに嬉しいことだが、こんなただの大学生の産んだストーリーがこのような評価を受けることに現実味を感じることが未だできていない。
 嬉しいんだか少し怖いんだか、そんなことを考えているうちは私はまだ一般人でいられているのだろう。
 雨と風とがハイタッチ、徐々に雨の音が強くなってきた、どうやら争いは梅雨が勝利を収めたよう。

 ベッドの重力が少しずつ世界に広がる気がした。

 ベットから連れ添った眠気に身を取られ、覚束ない足でリビングへと向かう。テーブルに並べられた食パンと牛乳を横目に、冷蔵庫へ向かい200ml果汁100%のオレンジジュースを一気に飲み干す。
 これは私と母親の小さな冷戦だ、これが冷戦である所以は結局のところ私が牛乳をちゃんと飲み干すからなわけで。黙って椅子に座り美味しくもない食パンを頬張る、やっぱり染み込んだバターがちょっとうまい。
 いつも怒っているような口調の母親は隣のおばさんと話す時だけは愛想がいい。
 「まだ家でないの?」
 「今日3限から」
 目も合わせず、テレビを見ながら答える私に、母親もこちらを見ることなく洗濯機に向かう。右手にほんの少しだけ力が入り、牛乳の入ったコップをつかむ。
 これは核ミサイルだ、さしずめ、私はキューバはカストロといったところか。私がずっと静かにしていると思うなよアメリカ、いつかお前の脳天にこれを打ち込んでやる。
 「へへっ」と不敵な笑みを浮かべながら遅れてきた反抗期の自分をバカバカしく思う。母親の愛は伝わるし、私も母親を愛していないわけではない。大学生という難しい年頃の自分に、母親がどう接していいものかあぐねているのが伝わる分、こちらも接しづらいのだ。まあどうでもいいか。
 テレビの画面にはもっとどうでもいいニュースに『こめんてーたー』とやらがあれこれ持論を述べている。
 「普通一般的に考えて、人間はね、。。。」
 不器用に両手を使った喋りは、むしろ圧巻である。語頭に普通とつけるやつも、人間なんていう主語の大きな話もクソだ。いつから人は人を評価するようになったのか。
 テレビ左上の時刻はまもなく11:00を迎えようとしている。家を出るまでの1時間何をして過ごそうか、食器を片しながらそんなことを考えていると、狙っていたようにインターホンが鳴る。思い当たるものがあったわたしは、玄関に向かう母を押し止め、急ぎ足でドアを開けた。
『尾崎豊/625DAYS』
 今や入手困難の尾崎豊ツアードキュメンタリー。メルカリで一昨日、奇跡的購入機会にありついた私は一瞬の迷いもなく、購入ボタンを連打していた。先程の冷戦など忘れさせてしまうのだから音楽とは偉大である。
 こんな日は尾崎豊に浸らせていただきますか。DVDデッキに手を伸ばすと占いが流れてきて思わず手を止め目をやる。
 白いワンピースを身にまとったお姉さんが決まった定型文で話す。
 「それでは占いです。今日最も良い運勢なのは、、、」
 こういった星座を使った類いの占いは、最下位よりも11位の方が悪いに決まってる。最下位ビリはなにかと注目の的だ、「今日星座占いがビリでね、」なんて話の話題にでもできるものだ、意味を持たないビリの次、最も面白みのない。
 ところで私の水瓶座は5位。見るに値しない順位に構わずDVDデッキに再び手を伸ばしかけたところ、

 「ピロロン....ピロロン....」

 やけに高い不協和音がまたしてもわたしの手を止める。ニュース速報の音には不協和音により、脳に危険を感じさせる音だという。
危険はいいから早く私を15の夜へといざなってくれ。気分はもうロックスターなのだ。


「.....速報です!今朝16歳の少女が何者かに....」


 ロックスターの立つオンステージから、スポットライトが一瞬にして消されたような不安感が押し寄せてきた。嫌な予感とは考えうる最悪の出来事のことを指す。確率的に0%ではないけど、普通に考えると起こらない。そう起こらないからこそ、嫌な予感なのだ。


 では言うならばこれは直感だった。


 テレビの向こう側でスーツを着たニュースキャスターが重々しい表情で何か言っている。なんだ、何を言っている。声は聞こえるし、テレビの音も聞こえる。ただその情報は聴覚を通すのみで、言葉として私の脳に届いてくれない。


 言葉をひとつひとつ理解する。


 考えうる最悪の出来事とリンクする。


 ゆっくりと世界の重力が私と一つになった気がした。


 言葉だけは繰り返し繰り返し淡々と、それでも繰り返される。

「今朝16歳の少女が何者かに殺害されたようです。犯人は『SNSでみた殺害トリックを試してみたかった』と供述しているようです。現在犯人は〇〇署にて......」

テーブルには飲み掛けの牛乳が行き場を失っていた。外では雨が降り続いている。

どうやら私は一般人になり損ねたようだ。







2

 雲を介した柔らかい光が部屋へと注ぎ込む。部屋からあまり出ない私には関係のないことだが、最近は雨がよく降るらしい。

7月7日
 あの日はそういえば七夕だった。
 今なら何をお願いするだろう、
「わたしにつまらない日常を返してください」
 そんなことを短冊に委ねたところで神様は織姫と彦星のロマンを叶えるだろう。
 雨と風とがハイタッチ、窓を叩く風に目覚めて、少ししてもう一度、ゆっくり目を閉じる。

 あれから一年が経った。
 何もかも、なんて二十年しか生きていない私には大袈裟な言葉かもしれないが、それでも何もかもが変わった。


 大学はあれから一度も行っていない、友と呼ばれる存在だったあの子たちは、誰も私との関わりを避けたし、目覚めると溜まっていたSNSの通知は誹謗中傷の通知へと変わった。あと母は隣のおばさんだけでなく、私に話す時も愛想良くなったっけ。
「変わらないのはお前だけだよ」と私は部屋全体を見て吐き出した。
 変わっていく世界に変わらないものを愛そうとした私は、どうやらこの様、いわゆるところの引きこもりらしい。


 法的処罰は下らなかった、簡単にいえば作品自体に罪はなく、善悪の判断もつかぬ、犯人の人間性に問題がある、との。犯人は今もなお刑務所にて時を過ごしている、らしい。
 罪はない、しかし私がいなければ女の子が死ぬことはなかった。
 暗いこの部屋の中、虚ろな瞳のまま、乾いた涙を握りしめ、孤独に自ら命を辞める決断を何度もした。それでも今こうして引きこもりとしていられるのは、私が死への恐怖に勝つことができないから。いっそ、わたしにも罪がくだればいい、そのほうがどれだけ楽か。
『懲罰を受けていることがせめてもの自分にとっての救いです』という言葉をいつしかのテレビで耳にした。今ならその意味がよくわかる。
 一度犯した罪は消えることなくとも、罰をもって償うことができる。では、罪を罪とも認められない罪は一体どうやって償えばいいのだ。


「お前がいなきゃあの子は死ななかった」「調子乗ってるからこんなことになったんだ、自業自得おつ」「人を殺す気であんなもの書いたのか」「お前が殺したも同然だろ」「代わりに殺されてればよかったのに」


お前なんかいなきゃ、
お前なんかいなきゃ、

わたしさえいなければ...

 考えても無駄なことを考え、空虚に襲われてはこの部屋という刑務所で眠りにつく。

 重くのしかかった重力の中でわたしはまだ息をしていた。







3

 これでいいかと選んだのは、いつも部屋で着ていた腕に三本ライン、縹色のジャージだった。

 誰もいなくなった家、テーブルの上にいつもの牛乳と食パン、それから手紙。
『卵と牛乳、あと好きなもの買ってきてね』
 引きこもりの私へ母親なりの気遣いなのだろう。
 外出は少し、いやだいぶ気が引ける。刑務所からの仮釈放のような気がして。
 もちろん誰も私の顔など知らないし、一年という歳月がほとんどの人からあの事件を忘れさせていた。それでも私を見る世界の目は鋭く、鋭利な悪意を持っている気がしてしまう。
 重い重力を未だ連れ添ったわたしは、気まずさまで連れ添って外に出た。こんなにしっかりと歩みを進めることは久しぶりで、ごく自然に、右足の次に左足が出る、その行為にすら不自然さを感じていた。
 悪人を処すように照らす太陽、左耳だけ壊れたイヤホン、右耳のみに流れる重低音。寄り添うような低空飛行の烏。
 久々に覚えるスーパーの活気と喧騒に呆気を取られ、わたしの心は早くも帰宅に向かっていた。すぐに買い物を終え、店を出る。卵と牛乳、それからお菓子、ジュース、果物の入ったビニールを片手に、壁の影に沿うようギリギリ慣れ始めた歩みを進める。
 犯罪行為における動機は様々であるが、必ず一定多数の「スリルを味わいたかった」という層がいる。わからないわけではなかったが今わたしの立場から言わせてもらうと絶対にやめたほうがいい、そんな自家発電の自涜により一生の疚しさを背負うのだから。
 まあ罪を被ることのできない私が言うのもひねくれているが。


 しばらくぶりの外出はわりあい疲れを伴うもので、こんなことなら自転車で駆け抜けて行くべきだったとも思わなんだが、空気の抜けきったあの前輪に、身を任せきれないあのハンドルを今のわたしが乗りこなせる自信がない。身体的にも精神的にも。

 帰り道、近くの公園に寄った。
「1号公園」なんて名前をつけられたその公園には、ただ広い敷地に後付けされたようにポツンとブランコと滑り台だけがあった。
よくそんな身なりで1なんて数字を携えたものだ。
 傍のベンチから見える全景。はしゃぐ小学生、唯一無敵のバリアを連発する鬼ごっこ、前後の動きのみに騒ぐ女の子、ああ私にもこんな時代があった。好きな子がいて、好きな場所があって、それだけで世界が動いていた。
「私みたいにはなってくれるなよ」
 過去の自分に伝えるように、静かに、ささやいた。



 本日の勝利を誇るように木漏れ日がさし、緑が揺れる。
 どうして予感めいたものを知らせる時、人はその便りを風に託すのだろうか。

 夏に似つかわしくない優しい風が頬を撫でた。



 刹那、こびりつく記憶と結びつく何かが目の前を左から右に抜けた。反射的に目が追いかけ、確信に変わる。あれだ。一年前、私を狂わせた張本。忘れもしない私をオンステージのスポットライトに当て、そこから転落させた、あの本だ。私の書いた初めてのミステリー小説。
 おさげがよく似合う上品な雰囲気を放つメガネのその女の子、年にして10歳ほどの彼女の手にそれが握られていた。
 いつの間にか体は追いかけている。気がつくと私の腕は彼女の肩に触れ、私の口は女の子に向かって声を発していた。
「あの....」
 ああまずい、勢いで言ってみたものの、家族以外と話すのは一年ぶりだ。うまく言葉が出てこない。いやそれもそうだ、まず何を話そうか考えていなかった。不思議そうに私を見つめる彼女の目は、どこか大人染みていた。
「どうされましたか??」
 ひとまわりも年下の女の子は私より流暢な日本語を使うらしい。
 お互い、よくわからない不毛に流れる時間が過ぎていく。じっとわたしの目だけを見つめてくれる彼女に私がきまずくなってどうしたものか。ようやく私は口を切る。
「その本、どうしたの?」
 おいおい、もう少しまともな言葉があったはずだ。yes/noで答えられもせず、はたまた、どうしたなんて、二十歳の私でも困る質問だ。そんなキョトンとした目で見ないでくれ今から訂正するから。
「その本、買ったの?」
 女の子は一度手元を見て、嬉しそうにこちらを見上げて言った。
「お姉ちゃんこの本知ってるの!!??」

驚きと喜びに包まれた彼女の姿に先程の大人っぽさはまるでない。ただ無邪気に自らの興味を愛す小学生の女の子であった。
「この本ね!昔ケータイ触ってたら見つけて!お金貯めて買っちゃったの!」
 まともに成り立ち始めた会話に、むしろ気まずさを負ってしまう。喜んで話す女の子を見ていると、私が書いたんだよなんて、口に出す気にもなれなかった。まるで他人事のようにわたしは続ける。
「そっか、おもしろい?その本」
 慣れてきたわたしは、今更ながら座り込み彼女に目線を合わせる。
「すっごいおもしろいんだよ!!私ねこの本大好きなんだ!!難しいんだけどね!ずっとドキドキするの!私国語嫌いだけど国語いっぱい勉強しよ!って思った!」
 ああ。君は本当に楽しそうに話す。
表情筋を余すことなく働かせた彼女の表情はこちらまで笑顔にしてしまうようだ。思わず笑みがこぼれそうになる。
 純粋無垢な彼女の言葉はありがたいことに私の胸の奥の奥の方に届いてくれようとした。心からの悦びを感じたのは一年ぶりだろうか。この一年、関われば突き刺すように痛め付けてきた誹謗中傷の数々、繋がること、それは傷つくことであった。未だ凶器以外の温かいプレゼントを私にくれる子がいたとは。
 しかし、私なんかが悦びに笑みをこぼして良いような人間ではない。ましてやこの本のことでとならば、なお一層のこと。
 あの事件がなければ、もっと純粋に喜ぶことができたのかもしれない。あの事件がなければ、私が書いたんだよ、なんて自慢げに言えたのかもしれない。あの日を境に、それは人を殺めるナイフに変わっていた。長い年月をかけて研いでしまっていたナイフにもはや自慢の念もない。あの事件がなければ...
「あの事件がなければ...」

しまった。

 思った時には言葉は口に出ていた。思わず口を抑えたが、口を抑えるなんてのは自分のミスをひけらかす行為に等しい。
 ただ作品を愛してくれている女の子にこんな事実を伝えるべきではない。
 絵に描いたようにあからさまな狼狽を見せつけた私の手は、口元からのしまいどころを失っていた。互い、視線だけを交わし合う。
 彼女の瞳には今、子供に知られたくない秘密を知られてしまった大人のなりした殺人鬼が映っていることだろう。『傷つかないための気づかないフリばかりだ』とどこかのバンドマンが歌っていた。その通りだ、気づかなければ傷つくことなどなかったのに。


「知ってるよそんなこと?」
 それがどうしたの、という女の子の顔はこれまた純粋無垢な表情をしていた。「知ってたの!?」というファーストインパクトも束の間、冷静になるとその一言その表情にさまざまな疑問が頭を駆け巡った。
 事件を知っててなぜこの本を好きでいてくれるのか、というか「そんなこと」はないだろう。そんな簡単に言うな。わたしの人生を台無しにした事件にそんなことだとは。
 座り込んだまま、少しの怒りと驚き、通り越してわたしの顔は少し呆れ、笑った表情を作っていた。自分でも哀れに思うほどの不気味な顔を世界に向けないとする理性だけを残し、目線を外し、少し下を向いたまま諭すように口を開いた。
「『そんなこと』、じゃないよ、人が死んじゃったの。その本がなければ、そんな本書く人がいなかったら、死ぬことのなかった人がいるんだよ。死んだらね、何もなくなっちゃうんだ。その子がこれから過ごすはずだった人生を奪ったのは誰だろうな。その子の幸せを奪ったのは誰なんだろうね。その本はね、あるべきじゃないの、それがなければみんな幸せだったかもしれない。そんな人いなければよかったのにね。命を奪っといて、罪も被らないで、ヘラヘラと、ノコノコと生きてんじゃないよ、そいつが死ねばよかったんだ!そいつが!こいつが死ねば!」
 映画にするならきっとこのシーンのせいでr-15となってしまうような狂気を纏っていただろう。
 よぎる誹謗中傷の数々、
「お前がいなきゃあの子は死ななかった」「調子乗ってるからこんなことになったんだ、自業自得おつ」「人を殺す気であんなもの書いたのか」「お前が殺したも同然だろ」「代わりに殺されてればよかったのに」
 それがまるで自分の言葉のようにスラスラと私を介して声になる。人を殺した罪悪感、この1年、忘れることのなかった、できなかった、罪の意識。ああそうだ、言う通りだ、私なんてやはりいなければよかった。
 教え諭すように、そして自分を殺すようにナイフを刺した。
 大人げないという言葉か、情けないという言葉が今の私にはお似合いだ。だが現実は私なんかよりもっと大人げなく、情けない。
 眼前より聞こえてくる、言葉にならない声にふと目をあげると、女の子は大粒の涙を流していた。
 怒りとも悲しみとも取れる表情に、感情のボリュームが伺えた。拭っても拭ってもとどまることを知らない涙に手を止め、鼻をすすりながら、ゆっくりと私の目を見た。
「なんでそんなことばっか言うの!!!!」
 あまりに思い掛けない大音量が公園中に響きわたる。呆気を取られ、のけぞる私含め、公園内の住人などお構いなしに続けた。
「この本読んだことないんでしょお姉ちゃん!!!この本はね、人を殺そうなんて全然思ってないんだよ!!!面白くて、ワクワクして、読んだらもう一回読みたくなるの!!!これは私の宝物なの、友達も全然いなくて、勉強もよくわからなくて、将来の夢なんて何にもわかんなかったのに...。この本のおかげで初めて私も本を書きたいって思ったの!わたしに夢をくれたの!何も知らないくせに、読んだこともないくせに!!!そんなこと言わないでよ!!!!」
 まだまだ言い足りないとする彼女の顔へは、自分の言葉より感情が先に襲ってきて、またしても涙で口が開けないようだ。
 叫ぶように、怒鳴るように、放たれたその言葉は、どうしてか私には何か投げかけられたように感じた。
 泣きじゃくる女の子に昔の自分を重ねる。
小学生の頃、湊かなえさんの「告白」を読んで、ドキドキして眠れなかった。初めて感じる憧れ、夢。希望が持てない「オトナ」と言う存在に光をさしてくれた瞬間であった。
『自分も誰かをドキドキさせる小説を書きたい』と夢をもらった。
 私もいつのまにか、誰かの憧れになれていたのだろうか。



つきまとう暗い重力から、ひび割れた音が聴こえた気がした。



「ふふっ」
 今度こそ笑みがこぼれ落ちた。
この一年間流してきた涙とは違った意味を持つそれが私の瞼に滲む。
『読んだことがない』か、言ってくれるな、女の子。私が一番の読者であると言うのに。
 泣きじゃくる女の子に先程とは異なる笑みで目を合わせた。未だ声を発することもままならない彼女に次はかっきりYES/NOで答えられる質問を投げた。私が本当に聞きたかったことを。
 脳裏に刻み込まれた中傷に重ねてはその答えを求める。


その本がなければ...

「この本があってよかった?」

「うん」


私(お前)なんていなければ...

「私(この人)がいてよかった?」

「うん」

感情の全てをのせ、大きく首を縦に振る女の子。
 ずっと、この言葉を待っていたように、ずっと誰かに認められたかったんだ。
 泣きじゃくる女の子を抱きしめ、私も気づかれないようにそっと涙を拭った。
 みんなに、君に見せたい未来があるよ。
「ありがとう、次も買ってね。ありがとう..」


 腕を離すと、キョトンとした顔でわたしを見つめてくる。可愛い顔したやつめ。
 頭をくしゃくしゃっとかき撫でると、鼻水でいっぱいの顔で少しだけ女の子も笑っていた。



 振り返ることなく、わたしは歩き出す。





 イヤホンをつけ、BGMには奥華子の「変わらないもの」をセット。
 高いピアノの音に合わせて、一歩、一歩、と少しずつ足が早くなる。
 長年まとわりついていた重力は少しずつ剥がれ落ちていくようだった。
 一歩、一歩、と駆け出していく。
 見慣れていたはずの景色は一年の時を経て、わずかに色を変えていたようだ。それを横目でしっかりと刻むように、飛ぶように、踊るように、足を進めた。
ここからだ。

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【原罪】げん‐ざい

《original sin》キリスト教で、人類が最初に犯した罪。アダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪。アダムの子孫である人類はこの罪を負うとされる。宿罪。

『すべての人間は生まれながらにして罪を背負う』

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嘲笑うかのように空に向かって吐き出す。
「へへっ、そんなもんくそくらえっ!!」


 先ほど買ったリンゴを右手で掴み、思いっきりかじりついてみる。
 少しだけいつもより甘い気がした。

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