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自分の源流を求めて

このnoteは、Xハッシュタグによる赤神の旅の記録「#赤神九州ミニ放浪記」のイントロダクション的なものです。

  • 書き殴りみたいなものなので文章の拙さは目を瞑ってください。

  • おそらくここに書ききれないことがたくさんあるのでそれは随時文章としてどこかに残していこうと思います。

鹿児島で生まれ、九州で育ち、そして、高知でも育つ

私を知っている多くの方は、私が高知生まれ高知育ちと思っているみたいですが実は違います。生まれは、九州、鹿児島県です。

鹿児島県出水市で生まれ、小学校を卒業するまでの12年間はそのまま鹿児島県で過ごし、親の仕事の都合で中学校に入学すると同時に高知県に引っ越してきました。

実は引越しまで九州を出たことがありませんでした。そういう意味で、私のこれまでの人生の前半は、九州という土地で育ちました。

12年ぶりの鹿児島

鹿児島を離れて、12年。

前にお付き合いしていた方が福岡に住んでいたので福岡には何度かこの12年の間に行ったことがありますが、鹿児島にはもう12年行っていないような気がします。

12年ぶりの鹿児島は、ちゃんと私のふるさとなのだろうか?

懐かしい景色を見ると人はその土地をふるさとと認識しますが、12年ぶりの生まれ故郷はふるさとと言えるのだろうか?そういった心配があります。

ところでなんで九州に?

祖母が癌で入院

赤神はこれまでの人生において「死」というものへの実感があまりありませんでした。祖父母は両家共に健全で身内は私の知っている範囲だと健在です。(ここでは語りませんが、人の死に関して実感したエピソードは2023年の春頃にもありました。)

そんな中、地元から届いた祖母が癌になったとの知らせ。人が生きているのは当たり前なんかではないんだなあと強く感じました。

私はいわるゆ「おばあちゃんっ子」でした。祖母には、私の結婚式に出てもらうんだ、ひ孫の顔を見せてあげるんだと思っていましたし、当然できると根拠のない自信を持っていましたが、突如自身がなくなりました。

後悔しないように今のうちに会いに行かなくてはと思って私は久しぶりに鹿児島の地を踏みます。

イントロの終わりに

東京滞在のテーマは「知らない土地に住む」でしたが、今回の九州滞在のテーマは「自分の源流を求めて」です。

赤神と九州は切り離せないいろんな繋がりがあります。そして、私が生まれ、これまでの人生の前半を過ごした九州で自分の源流を探してこようと思います。


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