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リニューアル

 最近のマイブームは20年くらい前の恋愛ドラマを見漁ることだ。特に、フジテレビの毎週月曜夜9時の枠で放送されていた所謂、月9と呼ばれる作品群を好んで視聴している。
 具体的な作品名を挙げると、『東京ラブストーリー』、『ロングバケーション(ロンバケ)』、『ラブジェネレーション(ラブジェネ)』、『やまとなでしこ』などである。
 これらの作品は人気が凄まじく、特に女性たちからの支持は絶大で、月曜日になるとOLたちがドラマをリアルタイムで視聴したいがために仕事が終わったら早々に帰宅することから、「月曜の夜は街からOLが消える」と言われる程だった。
 父曰く、若かりし頃の母も街から姿を消したOLの1人であったようで、月曜夜9時になると全ての家事を中断して、テレビの前に正座して、トレンディな男女のちんかも劇を食い入るようにして観ていたらしい。また、母曰く、今は亡き母方の祖母は、それらのドラマを保存しておくためにビデオ録画を1から勉強したそうだ。そして20年の時を経て、孫の私はというと、就職活動ほったらかしで、暇さえあればリビングのソファに寝っ転がりながら月9を観ている。どうやら、私たちは親子は3代に渡って、月9の魅力に取り憑かれてしまっているらしい。
 私たち親子が月9ドラマにここまで魅了されるのはなぜか。それはストーリー展開にどこか懐かしさのようなものを感じからだと考える。上記4作品はそれぞれ特徴的な作品であるが、どれもストーリーの型は概ね共通している。ここでいうストーリーの型というのは、物語冒頭で男女が出会い、接近し、喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して、仲直りして、最終的に良い関係に発展していくというものである。上記4作品の中で唯一、『東京ラブストーリー』だけが、最終的に主役の男女が結ばれることなく終了するが、それ以前のストーリーは型に沿って展開されていく。思えば我々日本人というものは古くからお決まりの型、謂わばベタと呼ばれるものをこよなく愛する民族である。吉本新喜劇や『水戸黄門』、『アンパンマン』、古くは歌舞伎や落語など、これらの芸能コンテンツをみてもその傾向がよく分かる。近年は、そのようなベタを極限まで排除して、意外性や独自性を追求した作品が多々見られるようになったが、『半沢直樹』のような金融系ハイドラマの皮を被った勧善懲悪もの(私はこれを「大人向けのアンパンマン」と呼んでいる)が高視聴率を記録したことを思い返してみると、日本人のベタ信仰の根強さに驚かされる。かくいう、私もベタ信者の1人なのだ。
 歌舞伎や落語、吉本新喜劇、『水戸黄門』、『アンパンマン』、一昔前の月9ドラマ、『半沢直樹』といった数々の人気コンテンツを冷静に分析してみると、根本はどれも一緒なのではないかと思う。つまり、どのコンテンツも根本は日本人のベタ信仰に影響を受けているということである。勿論、外側では目新しい設定やストーリー設定が施されているが、物語の核はベタによって成り立っている。
 従って、日本人好みのコンテンツを制作するためには、根本にベタ要素を組み込めばよい。勿論、時代ごとに受け入れられる価値観や道徳は変化していくから、それに合わせた舞台設定をする必要はあるが、根本にあるベタ信仰は時代変化に影響されない。だから、大衆受けするコンテンツを制作するにあたっては、根本にベタ要素を取り入れることが肝要である。あとは、作品の表面にベタ要素をどれくらい露出させるかという問題であり、私のようにあからさまなベタ作品を小馬鹿にすることによってインテリぶろうとする似非インテリ馬鹿が蔓延る現代では、いかにもインテリ好みの一見小難しい作品が人気を集めるので、ベタ要素の上に被せる装飾の部分を分厚くしてやると良い。そいつらは似非インテリだから、作品の核にはベタが潜んでいることなど気がつかず、似非インテリ作品を必要以上に有難がってムシャムシャと食べるだろう。
 このようにして考えると、エンタメ作品をつくるつということは、過去作品をリニューアルする作業といえるのではないだろうか。全くのゼロから新しいものを生み出すことは相当困難で、それこそ1000年に1人レベルの天才じゃないと不可能ではないかと思う。エンタメ作品はほとんど全て過去作品のリニュアルなのだ。否、エンタメ作品だけではなく、アイデアというものはほとんど全て既存のもののリニューアルなのである。従って、意外性や独自性というものに過剰に拘り続ける必要などなく、私たち凡人は堂々とリニューアルをしていけば良い。リニューアルの繰り返しこそがエンタメの歴史であり、私たちの人生なのである。
 
 
 

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