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大豆田とわ子と矛盾する感情

「家族を愛してたのも事実、
自由になれたらって思ってたのも事実。

矛盾してる。
でも誰だって心に穴を持って生まれてきてさ、それを埋めるためにじたばたして生きてんだもん。

愛を守りたい。恋に溺れたい。
1人の中にいくつもあって、どれも嘘じゃない。」

ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の最終回で、特に心に残ったセリフだ。このドラマでは他にも、「ひとりでも大丈夫になりたい?誰かに大事にされたい?」とう問いに「ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」と答えたり、「最近どうなの?」と聞かれ「楽しいまま不安。不安なまま楽しい」と返すなど、似たようなやりとりが印象的に使われていた。
一見相反するものが、私たちの中には同居している。そんな複雑で混沌としたものは理解しにくいから、私たちは自分が分かりやすいように単純化しがちだ。

私はこのセリフを聞いたとき、大学時代の恩師のことを思い出した。その先生は、映画論という非常にキャッチーな分野の専門だった。しかし、そのキャッチーな響きとは裏腹に、彼の開講する講義は非常に難解で分かりにくかった。「なぜ、先生がそんな講義をしていたのか」私は後に、地元の新聞でその理由を知った。以下がその抜粋だ。

「授業では、この世界の難解さについて、そして学問や芸術の複雑さについて、できるだけ難解で複雑なまま伝えるように心がけている。
 学生のニーズは「分かりやすさ」にあるのかもしれない、だから、とても評判が悪い。だけど、この世界はそもそもわかりにくく複雑に絡み合って現象しているのだし、難解な(と思われている)書物や芸術や言葉は、その一つ一つが世界を解釈し、新たに創造するための思考の武器なのである。安易な欲求に応えるような「偽のわかりやすさ」に慣れてしまうと、思考は停止し、人間は貧しくなり、世界は狭っくるしくなってしまう」

私は、とわ子と恩師から「この世は複雑だし、人間の感情なんて矛盾だらけだし、なんでも簡単に分かった気になってんじゃねぇぞ!!」と言われた気がした。

私たちは自分が見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じてしまう傾向がある。また、心理学的には「処理流暢性」といって、「情報を脳が処理しやすいほど、真実性が高い」と判断してしまう、という研究結果も発表されているらしい。簡単にいうと「理解しにくいけれど、本質をついている話」よりも「信憑性は低いけど、分かった気になるそれっぽい話」の方を好むということだ。この流暢性(=情報処理のしやすさ)のみが人の判断を決定するわけではないが、その様な認知メカニズムがあること、それが無意識に私たちの判断に影響していることは知っていた方がよいだろう。

とまぁ、ここまで色々と話をしてきたが最後に私が言いたいのは単純明快なことだ。それは「大豆田とわ子は最高だってこと」である。

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