「みにくいアヒルの子」の定理。
突然ですが、最近知った定理について、ちょっと紹介させてください。
「みにくいアヒルの子」という童話がありますよね。アヒルのひな鳥のなかで1羽だけ、他の子と見た目が異なる子が生まれる。それが理由で周りのアヒルからいじめられて辛い日々を送るけど、実はその子は成長すると美しい白鳥になった…という、そんなお話。
アヒルのひな鳥と白鳥のひな鳥は、一見すると異なるように見えるけど、それは見分けるための基準を意図的に決めているからであり、実は似ているところも同じだけある。つまり、何らかの仮定に基づかないと分類ができない…という、そんな定理です。
だいぶざっくり説明してしまいました(笑) 詳細は、上記リンク先など参照してみてください。
んで、ここからは持論なのですが。
こんな定理があると知った自分は、AIや機械学習の定理だと知りつつも、「人間関係にも同じようなことが言えるのかな?」と考えました。
趣味や仕事、服の好みなど、似ている人のほうが仲良くなりやすい…ように思えますよね。話題に困らないし、好きなことを共有するのって楽しいから。まるで、自分とこの人は、それ以外のことに対する価値観も一緒なんだ、とまで思っちゃいそうです。
だけど、「みにくいアヒルの子の定理」に従うと、似ているところと同じくらい、似ていないところもある。それは金銭感覚、あるいは食の好みかもしれないし、靴下を洗濯機に入れる時に脱いで丸まったまま入れるのか、それともいったん広げるのかといった、本当に細かいことかもしれない。
最初は、似ているところが多いと思って関わり始めた人も、それ以外のことに対する価値観を共有するようになっていくと、徐々に似ていないところがわかってくるものだと思います。それが、似ているところと同じだけある。
「似ているところが多い」という、プラスのイメージを持って関わり始めたからこそ、似ていないところが分かったときに、より幻滅する…。そんな経験、皆さまもありますでしょうか。
だから、誰かと仲良くなりたいと思う時って、きっと「似ているところが多いか」よりも「似ていないところを受け入れられるか」のほうが肝心だと思います。
かくいう自分も、初対面の人と話すとき、やたら相手と自分の「似ているところ探し」をしているなと気づきました。休日は何していますか、最近読んだ本は何ですか、みたいな質問を皮切りに始まる質問の応酬。さながら、自分の価値観がふんだんに包まれた風呂敷を広げて、どこか似ているところはありませんか、貴方の風呂敷も是非広げてみてくれませんか、と問うている路上商人のようです。
それで、似ているところが見つかれば「そうなんですか!?僕もなんですよ!」なんて声をワントーン上げて食いつく。またひとつ、風呂敷上の価値観がお買い上げとなった瞬間です。そこから、最近キャンプ興味あるんですよね、あの作家さん最近新刊発売しましたよね…なんて言って会話が繋がっていく。
そんな場に対して、楽しかった反面
「本当に相手のことを知れたのかな」
「逆に、自分のことも知ってもらえたのかな」
という気持ちもうっすらと沸いてきます。それはきっと、自分と「似ていない」と感じた話題を早急に切り上げたり、逆に相手も、自分と「似ていない」ところに対する反応が芳しくなかったりしたから。もしこの「似ていない」部分を共有しあった時に、お互い受け入れられるのか?というわだかまりが残ります。本当の意味で仲良くなるには、「似ている」部分を知って終わりではなく、「似ていない」部分も知る必要があるのだと思います。
こんな歌詞が心に刺さります。やっぱり、山口一郎さんって天才ですよね…。
ところで、昨今はSNSなどでも、自分と似ている人を探しやすくなりましたよね。「#○○好きと繋がりたい」なんてハッシュタグも時折見かけますし。
自分も、似ている人同士が集まりやすいSNSコミュニティの恩恵を受けている人間のひとりです。好きなことを気軽に共有できる人が結構増えました。
でもその一方で、相手と自分の「似ていない」一面を見出した時の耐性が、昔より低くなったような実感があります。具体例を挙げるのは避けますが、一番よくあるのは「それ、そんなに怒ることか?」と思える愚痴や不満のつぶやき。怒りなんて一時の感情ですし、たまたまその時熱くなっちゃっただけだろうな~と思いつつ、その人と自分が何もかも合わない人間だ、という感情のほうが大きいのもまた事実で。
どうやったら、そういう一面も受け入れられるようになれるのかな?とあくせくしている今日この頃。答えはまだ自分も持ち合わせていません。
でも、これから誰かと新しく知り合う時には、「きっと、この人と自分との間にも『みにくいアヒルの子の定理』は成立するぞ」ということは肝に銘じておきたいと思います。人間30年目、まだまだ勉強の毎日だなと感じる次第です。
追伸
そういえば、小中高時代の幼馴染って、久々に会ってもすぐに打ち解けられる感じありますよね。昔はあんなに喧嘩したり、仲が悪かったりした時期があったのに不思議だなと思っていました。あれも、長年ずっと同じ学校で一緒に過ごしたからだと思っていたのですが、真因はきっと、お互い「似ているところ」と「似ていないところ」と共有できているからなのかなと思えます。やっぱり幼馴染って特別だな~
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