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天の杯とセイギノミカタ

Fateシリーズは作品誕生から15経つ今になって尚、派生作品が山のように誕生しており、今やエンタメの1ジャンルと化しています。ところが、そもそもの原作であるFate stay night(以下、SN)の方が映像化が遅れており、派生作品であるApocryphaやロードエルメロイ2世、EXTRA、FGO(絶対魔獣戦線バビロニア)の方が先に映像化され、完結しています。

この冬にはFGO第6章神聖円卓領域キャメロットが公開されるため、まだまだFateというシリーズそのものは終わるどころか広がり続けているのですが、先日公開された劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel(以下、HF)] III. spring songを観終わった私が感じたのは、ああ、ついにこれでFateが終わってしまうのか…という寂しさでした。

Fate15周年記念に相応しい作品として、全ての原点であるSNがこの度の映画を以って完結を迎えたことは、私も含めた当時の原作ファンからするとまさに感無量と言えます。

本家Fateは、まだhollow ataraxia(以下、HA)が残されている状況です。現在では衛宮さんちの晩ごはん(未試聴)というほのぼの作品があるものの、HAの当時は、殺伐としたFate本編キャラクター全員が、活きいきとした姿で平和な冬木の街に生きている、という実にほのぼのとさせられる、Fate唯一の清涼剤のようなお話でした。

その一見平和でサーヴァントもマスターも誰もが幸せな世界に唯一奇妙な違和感を覚える主人公が、自分は何者なのか、繰り返される数日間の中で、平和な冬木の街に潜む違和感を突き止める、というミステリー形式で話が進みます。

そのラストは本当にここまでFateをプレイしてきて良かった、と思わせる熱く、そして儚いシナリオ展開を見せてくれました。こちらもぜひ今後の映像化を期待しています。

本映画の原作であるHFをプレイしていた時は、とにかく序盤からの番狂わせに驚いたものです。今まではラスボスとして立ち塞がっていたギルガメッシュが序盤で退場し、アサシン佐々木小次郎からは真のアサシンが生まれ、キャスターのメディアとそのマスターである葛木はなす術もなく死亡、セイバーは捕われ反転し、バーサーカーも破れていく(あれ、ランサー…)という怒涛の展開に一体何が起きていて、これから何が起こるんだ!?と、テキストを読み進める手を止めさせることはありませんでした。

さらに番狂わせはそれだけに留まることなく、ただの魔術師である桜がサーヴァント、それも英雄の中でも最強の英雄王を圧倒し、また、その桜を圧倒する宝石剣ゼルレッチの存在や、本家アーチャーによる固有結界無限の剣製でさえ倒せなかったバーサーカー、それが反転強化されているにも関わらず倒してしまう衛宮士郎、ライダーを倒すほどの強さを持つ真アサシンと生身で戦うまさかの味方となる言峰綺礼、バーサーカーをも正面切って倒すほど強化されたセイバーオルタと互角に渡り合うライダーは、他では即死級の弱さだったとは思えない圧倒的な強さを見せつけてくれました。

恐らくいずれの番狂わせもこのシナリオの条件下でなければ、という制限はあるものの、いずれも他のシナリオでもそれくらい本気出してほしかった、と思わずにはいられなかったことを覚えていますw

SNには根本のテーマとして正義の味方とは何か、という問いかけがあり、衛宮士郎を通した3つのシナリオによってそれぞれの回答が用意されています。

衛宮士郎の養父である衛宮切嗣は世界の平和のため、正義の味方として、個人的な感情よりもより多くを救うことを優先し、大事なものであっても少数は切り捨てる生き方をしてきました。衛宮切嗣にはできなかった、一方を切り捨てることはなく、世界を救い、大切な女性にも救いをもたらす王道セイバールート。

正義の味方として世界を救うために、力があればより多くを救えるはずだと自分自身を犠牲にしたにも関わらず、結局は少数を切り捨てることになり、衛宮切嗣と同じ、いやそれ以上に凄惨な道を歩むこととなった未来の自分と対峙することで、自身の正義の味方としての在り方に一つの答えを出した凛ルート。

そして最後に、今まで自己を犠牲にしてまで世界に対する正義の味方を貫いた衛宮士郎が、唯一世界よりもたった1人の愛する女性を選び、尚且つ自分自身も生きることを望むという、自己の欲望に忠実に生きることを選んだ桜ルート。

正義の味方としてはあまりに利己的であるにも関わらず、プレーヤーはここに衛宮士郎の成長を見てとることができます。

衛宮士郎は第4次聖杯戦争所謂10年前の大災害によって人間としての心を失ってしまいました。言わば人間として欠陥があり、壊れてしまっているのです。これは劇中で凛に指摘されています。

自己犠牲の精神が強すぎるセイギノミカタとなってしまった彼を変えたのがセイバーでも凛でもなく桜だったのは、一見すると意外ではありますが、実は何も不思議なことはありません。桜も衛宮士郎と同じように幼少期に心が壊れてしまっているからです。既に人間としての心を失ってしまった衛宮士郎が、同じく壊れた心を持つ桜と出会い、互いに惹かれ合いながら人間としての心を取り戻していく成長物語、それがHFです。

ここに我々は一つの救いを見出し、文学作品Fateは幕を下ろすのです。

ちなみに私が好きなのは衛宮切嗣、言峰綺礼、アーチャー、ギルガメッシュ、佐々木小次郎で、衛宮士郎はあまり好きではありません。状況に流され翻弄され借り物の正義という名の理想を振りかざす一方で彼自身は極めて空虚で青臭いからです。もちろんそんな彼が人間らしく成長していく様がFateの魅力の一つであることは間違いありません。

ただ、今作で衛宮士郎が聖骸布を取り、サーヴァントの力に飲み込まれそうになりながらも、アーチャーからのついてこれるか?という問いに対して、ついてこれるか、じゃない…!お前がついてこい…!!の台詞と共に勝ち確BGMのEMIYAが流れるシーンはあまりにもかっこよすぎて鳥肌が立ちました。

ここからは映画全体の感想になりますが、ここ洞窟の中でしたよね?wとツッコミを入れたくなるレベルの異次元の戦いを見せてくれたライダーvsセイバーオルタは圧巻の一言でした。まさかここまでライダーの見せ場があるとは思いもしませんでした。

一方で凛と桜のバトルは、宝石剣の表現は期待通りではありますが、既にディーン版Fateで映像化されており、新劇場版ヱヴァンゲリヲンのヤシマ作戦並に世界の終わりを感じさせるレベルの戦いをしていたHF2作目のバーサーカーvsセイバーオルタ戦や、先のライダーvsセイバーオルタ戦に比べると若干見劣りするものでした。

最後の殴り合いがまた実に地味で、確かにスクライドや仮面ライダークウガ、グレンラガン劇場版、実写ではシルヴェスター・スタローンの映画など最後は残る力を振り絞っての肉弾戦、はよくありますが、あれほどの戦いを観た後ではやはり物足りなさを感じました。

この場面は衛宮切嗣からの言峰綺礼との決着として、物理的な戦いよりも互いの主義主張による精神的な戦いに主眼が置かれているのですが、この尺の中で映像で表現するのは難しかったのかもしれません。

ところで、映画を観終わった妻は「悲しい終わり方だったね」という感想を漏らしました。なんでも、最後のシロウは桜の中だけのシロウであって幻のため、ほかの人にはみえなかったから、とのこと。妻はFateZERO、UBW、HF1と2は試聴済みです。先に空の境界も見せなければいけなかったのか…!と後悔しましたw

TYPE-MOONをよく知っている人間からすると、この世界には人間と寸分違わぬ人形を作成できる蒼崎橙子という人形師がいて、彼女によって作られた義体に、イリヤスフィールの第三魔法によって固定化された衛宮士郎の魂を定着させて、人間といっても差し支えない存在として生きていくことができたのだから、これはハッピーエンドだね、と落ち着くのですが、なるほどそんな世界観を知らない人にはそういう解釈になるのか、と映画のシナリオ構成に感心してしまいました。もちろんこれを妻に説明したのですが、それでもそれは本当に衛宮士郎なの?と納得がいっていないようでした。

この疑問に関しては議論の余地があって、妻も言っていた通り、肉体を失って魂を移し替えた衛宮士郎は果たして衛宮士郎なのか、という疑問が残ります。既にアーチャーの腕を酷使することで記憶に混濁が見られていた中で、全ての記憶を取り戻せていたのか定かではありません。また、義体についても蒼崎橙子が自分のために作ったオリジナルならばともかく、譲り受けた義体が本当に衛宮士郎と寸分違わぬレベルになる代物だったのかと言えば、恐らくそうではない、と推察されることから、完全な衛宮士郎は戻っては来なかったのではないか、と私は考えます。

恐らくラストの衛宮士郎は、桜の罪の証であり、本来の肉体を失ったことは紛れもない事実であって、何もかもが全て元通りに戻ったわけではないのでしょう。ただ、それでも現実を受け入れて、自分を愛して救ってくれた衛宮士郎ではないエミヤシロウを愛し、共に歩いて行こう、と桜が決心した、というのがエンディングの解釈なのではないでしょうか。

トムクルーズの映画オブリビオンでも描かれましたが、エンディングにてジュリアが愛したクローン49号のジャック(故人)とは別人であるクローン52号のジャックが現れ、ジュリアは嬉しそうにそれを受け入れるのですが、たとえクローンのベースとなるジャックの記憶、人格を持っていたとしても、愛していたクローン49号の記憶は持っていないため、ジュリアはそれで本当にいいのか、果たして本当にハッピーエンドなのか、という物議を醸すエンディングでした。

この時何を思うのかはそれぞれの視聴者に委ねられています。何を持って本人たらしめるか、人間であると言えるのか、というのはSF映画のクローンやサイボーグ、アンドロイド、AI(シンギュラリティ)などにも共通するテーマであり、最近は仮面ライダーゼロワンがこのテーマを扱っています。

尺の問題により表現しきれなかった部分はどうしてもありますが、映画の出来は本当に素晴らしく、久しぶりに胸が熱くなりました。私が筆を執るに至ったことが何よりも素晴らしい映画だったことの証です。制作陣にはあの長い話をここまでのクオリティで3本に収めて頂き感謝しかありません。

尚、私が触れたTYPE-MOON作品は空の境界、月姫、歌月十夜、メルティブラッド、SN、HA、ZERO原作アニメ、Apocrypha原作アニメ、extra&extraLEアニメ、FGOアニメ、ロードエルメロイ2世原作1-4アニメ、strange Fake1-6、その他マテリアル本などを多数読んではいますが、全ての設定を理解しているわけではありませんのであしからず。。尚、FGOは未プレイなのでそちらで明らかになった設定などは分かりません。FGOのシナリオ本が出たら絶対に買います。。

#Fate #fate_sn_anime #FGO

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