書くことじゃなく、描くことかもしれない
少し雑にだけど綺麗に並べられた歯ブラシにあたしはなれなかった
朝起きてドアを開けて 夜が来てドアを閉めて
あなたがいてあなただけでそれでいいと
(間違い探し)
じゃあ無言のままでもいい このまま途絶えないならいい
たまに聞こえてくるのならば息遣いや大きなため息でもいい
そっちで鳴ってる救急車
(ビードロの夜)
いつも悪いなって思ってたよ
夜明け前に帰ると洗面所だけ電気が付いてた
ごめんね でも素直になれなかった
(ハニーメモリー)
上記に挙げたのは、シンガーソングライターaikoの曲の歌詞たちだ(各カッコ内は曲のタイトル)。
aikoの音楽とともに生きてきた人生
フリーライターとしてあがきはじめ、もうすぐ2年になる。少しずつ仕事を任せてもらうなかで、最近、クライアントや読者からよく褒めてもらえるポイントがあることに気づいた。
「実際料理を目の前にしたときの空気感やシズル感が伝わってくる」
「文の背後から息遣いや感動が素直に伝わってくる」
「読むと、この会社で働くワクワクが感じられる」
このような形で、ありがたいことに文章中の臨場感の大きさは好評だ。
見たものやイメージを言葉に書きだすこと。これを私は、音楽に教えてもらった気がする。
豊かな表現が得意な人たちと比べると、私の読書量や映画鑑賞などは大したものではない。しかしその分、幼い頃から音楽を聴き “歌詞”をたくさん体に染み込ませ、思いを馳せてきた。
その代表格とも言える音楽が、aikoだ。
aikoに出会ったのは小学3年生の冬。たまたま観ていたTVの音楽番組で知った。それから親に小遣いをねだりながら、本格的に新譜を追いはじめた。もう、人生の3分の2をaikoの音楽とともに過ごしていることになる。
ちなみに、小学5,6年生のときだろうか。道徳の教科書に自己紹介を書くページがあり、そこには「好きな曲」という項目もあった。
aikoの曲を書きたかった私は「カブトムシなら知ってるだろう」と、田舎の小学生社会へ勝手に期待して、その曲名を書いた。教科書をみんなで見せ合ったとき、「カブトムシってなんだよwww どんな曲だよwww」とクラスメイトの男子数人から大笑いされた(あの男子たちの笑い声に一番ピッタリくる表現だったため、あえて「w」というネットスラングを使うことを許してほしい)。
あのとき生まれて初めて殺意が湧いたが、今では時々口にする笑い話だ。
「恋愛ソングを歌う元気な大阪のねえちゃん」
「夏の星座にぶら下がってテトラポットに登ってるカブトムシ」
aikoにそんなイメージを持つ人も多いかもしれない。
まず、後者のように思う人の頭の中は2000年代初頭で止まっているようなので、令和に生きる私はいったん置いていく。
前者に関しては、大正解の事実である。
しかしこの文を読んでくれたあなたには、もう一つの観点も持ってほしい。
aikoは、感性と才能のかたまりだ
aikoについて、こんなネット記事がある。
とくに面白いのが、aikoの歌詞の中に体の部位がどれくらい出てくるかという調査だ。
ちなみにこの記事で、“えりあし”という歌詞は登場回数ゼロだ、と書いてあるが、実際にはゼロではない。「えりあし」という曲の中に“襟足”と漢字表記で出てくる。
この“えりあし”のように、いちガチファンとしてはほんの少しツッコみたくなるような内容もあるが、記事の着眼点には共感を覚える。「よくぞこんな調査を考えついてくれた!」と思わず笑ってしまった。
***
あたしの髪がゆれる距離の息づかいや
きつく握り返してくれた手はさらに消えなくなるのにね
(アンドロメダ)
充分に時が過ぎてあたしは平気だと思っていたのに
あなたの斜めになった肩がすぐ浮かんだ
(星電話)
気付いてない訳じゃない 昔の声で話す二人に
胸の奥が熱く焼けそうな あの時を思い出してしまう
(Yellow)
***
目、耳、鼻、舌、手や足といった肌……いわゆる五感。体で感じとった光景や感覚で感情が生まれることがある。また反対に、溢れ出る感情が体に出てしまうこともある。そして、記憶に深く刻まれる。
歌詞において、心と体(五感)を重ねるような表現はポピュラーだ。しかし、aikoの表現力は度を越えている。これこそ、彼女が「共感できる等身大のラブソング」「恋愛ソング女王」などと呼ばれる所以の一つなのだろう。
さて、2000年代初頭で止まった人を迎えに行きます。
みんな大好き「カブトムシ」。そして「花火」「ボーイフレンド」も、ぜひ歌詞を読んでほしい。この3曲なんて、もはや体の部位のオンパレードだ。一度でいい、出てくる部位を数えてほしい。
代表曲と呼ばれている曲たちも、ぜひこういった視点で聴いて楽しんでみてはいかがだろうか。
きっと、aikoの表現力の高さをわかってもらえるだろう。
何が言いたかったのかというと
もしかすると、これを読むあなたも感じているかもしれない。
「この文章、自己紹介というより、aikoを絶賛する他己紹介になっていないか?」
私もそう思う。
話を私のことに戻そう。
私は、文章に込められた情報を、景色や感覚、感情で感じとってほしいと考えている。
しかし、作詞家やエッセイストでもないライターである私が、aikoのように、自分の手や足や目や耳を文面に出しすぎることも良くない。
だがその代わり、「体全体で感じとった感覚」が読者へ伝わり、「目の前に広がる景色」を読者がイメージできるように努力している。
そう考えると、私がライターとして全うしたいのは、“書くこと”じゃなく、“描くこと”なのかもしれない。
(そうなると、writerではなく、drawerとかpainterとかsketchistとかになるんだろうか……もはや造語。教えて英語のできる人)
ライターネームについて
現在、ライターネームを「aki」としている。
……なんだか、「aiko」とちょっと字面が似ていますネ。
由来はいくつかあるのだが、一つはやはりaikoへの憧れである。彼女の歌詞のように、読者が五感をフル活用してありありとイメージできるような表現がしたい。そう思ったのも理由の一つだ。とくに誰にも言ったことはないけれども。
論理的思考などは、周りのライターと比べてもとくに自慢できるものではない。だとしたら、こうして褒めてもらえるような自分の持ち味は、どんどん活かしていこうじゃないか。
画面や紙の向こう側―― そこに広がる景色をイメージでき、呼んでくれた人がワクワクできるような文章を、私は綴っていきたい。