Book Cover Challenge (1, 2日目)

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#BookCoverChallenge Day 1 (2020/09/24)

石牟礼道子『苦海浄土』講談社、1969年(文庫版1972年) 

 『苦海浄土』を手に取ったのは、2018年2月に石牟礼道子さんが亡くなった、そのあとだった。新宿の紀伊國屋で、薄青色の文庫本が並べられていたのを覚えている。

 ここには打算めいたものもあった。この本との付き合いをあまり純化して語ることもできない。自分の生活のなかで読むほかないのだから。しかしその「自分の生活」に幾条も、亀裂のように別の道が通じてしまったことも確かであって、あまり「本との出会い」みたいなロマンチックな語り口に流されたくない私ではあるけれども、ただこの本の存在は大きなものになってしまった。そのことを適切に表現するならば、「本との出会い」などという個人史めいた言い方ではなく、やはり「この本の存在」という言い方がいい。そのもとで私たちは各々の距離感をもって、互いへのいたわりを予感できる気がする。■


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#BookCoverChallenge Day 2 (2020/09/25)

フランツ・ローゼンツヴァイク『健康な悟性と病的な悟性』
原題:Das Büchlein vom gesunden und kranken Menschenverstand

 これを読んでから卒業論文のテーマを決めているから、読んだのは学部3年生のときになる。人生を哲学にささげるなんて本末転倒ではないか、と私は思っていたのだが、ローゼンツヴァイクのことを知ってから、そういう疑念はあまり抱かぬことにした。大学院でも引き続き哲学をやろうと、積極的に思えたのはそのあたりにきっかけがある。といっても「人生を哲学にささげてもよい」ということではなくて、「生涯哲学をやりながら、それは自他の生のためである」ということが可能なのだと、ひとつの道しるべを得たからである。

 少々長いがこの本から引用したい。

「本来的には」――そんなふうに問い、答える人間は哲学者以外にはいない。生においてはこうした問いは有効ではないし、生じることもない。哲学者でさえ、いざというときにはそんな質問をしないだろう。彼は四分の一ポンドのチーズが「本来的には」いくらかなどとは尋ねない。〔…〕生の言葉は「本来的には」ではなく、「現実に(wirklich)」なのである。しかし、哲学者は「本来的には」と語る。哲学者はみずからの驚きに屈して立ち止まるが、現実的なものは彼とは無関係に効力を発揮しつづけることができるので、彼は本来的なものへ押しもどされ、それに制約されてしまう。哲学者の道と常識〔健全な悟性 gesunder Menschenverstand〕の道はここで分かれるのであって、その後はじめて分かれるのではない。常識は現実的なものとその作用とを信頼する。哲学者は作用しつづける現実的なものに不信感を抱いて、みずからの驚きという防護された魔圏に引きこもり、本来的なものという深みへ降りていく。ここにはもはや彼の平静を乱すものはありえない。彼は安全である。「非本来的なもの」などいまさら彼になんのかかわりがあろうか。そして、すべての現実的なものはなんといっても非本来的である。かつて生じたみずからの驚きという魔圏に引きこもっていられるかぎり、出来事などいまさら彼になんのかかわりがあろうか。出来事が魔圏に組み入れられることはあるかもしれないし、それによって驚かされるという程度のことならおそらく彼にも許されるだろう。しかし、その出来事が呪縛を破り、驚きによる硬直状態を解消し、せき止められた流れをふたたび流し、川底に本来的にうずくまっていた生命力を呼び覚まし、現実性という土地を潤す流れにするなどということは、彼には許されない。〔…〕

 ローゼンツヴァイクの狙いは、私たちをそのような「硬直状態」から解き放つという点にある。そしてそれにもかかわらず、彼は「人は一度は哲学すべきである。その観点から人生を見渡すべきである」と言うのである。

 哲学はいかに「現実」と関わるのかという問いが、私の問題になった。もちろんこの問いを哲学の問いにしてしまえば、私はついに「魔圏」に引きこもったままだろう。だから、本当に哲学と現実との間で考えることが必要なのだ。そしてそれが私にとっての生になった。

 重要なことを付言しておきたい。この本はもともと出版されるはずではなかった。ローゼンツヴァイクが主著『救済の星』のための解説として書きながら、結局出版をとりやめたものを、後の研究者が(まず英訳で)出版したのである。それがなければ私はこの本に触れることはなかったし、また翻訳がなければやはり私はこの本に出会わなかった。ちなみに私は、この訳者の村岡晋一さんの『対話の哲学』(講談社選書メチエ)という本からローゼンツヴァイクのことを知った。ローゼンツヴァイクは短命で多くの作品を残さなかったこともあり、研究者が少ない。人の人生を変える研究というものはあるのだと感じ入る。■

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