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あるいは またいつか

noteを楽しみにしている、という声をもらうと嬉しい。あまり人目につかない時間帯にしっぽりと更新するので、いまだに長い付き合いの人からも「知らなかった」「文章とか書くんだね」なんて言われたりもする。恥ずかしい。「こんな中身のない文章を読むことに時間を費やさせて申し訳ない」とも思ってしまう。独り言の延長のようなものなので、何かの間違いでこのnoteをうっかり目にしてしまったら「ああ、この人は日本語を使う練習をしているのね」とでも思ってもらえたら幸い。そう。日本語を使う練習をしているのです。言葉を操る練習を。

通りすがりの人が何かの間違いでこの記事を目にしてしまったら、そのままブラウザバックをするかタブを閉じた方がよろしいかと存じます。無益さにかけては他の追随を許しませぬゆえ。

一介のミュージシャンが日本語の練習をしています。おもに趣味について。日々のことごとについて。

僕は”言葉”に救われてきた人間なので、究極的に誰かを救うまではいかないにせよ、何か心の”つかえ”を取り除いたり、弱まった火に薪を焚べるぐらいのことができたらいいな、と思う。何より「この人でもなんとかなってるから自分も大丈夫だ」と思える安心材料、心の安寧の一助にでもなれれば幸い。

例によって『何を書こうか』と煩悩が頭をもたげてくるのだけれど。

あまり音楽的な話をしても楽しくはないだろうというのがあり、けれども趣味の話でも深いところまで掘り下げたらそれもそれで置き去りにしてしまう気もしてしまったり。これがたとえばマイケル・クライトンの作品なら、登場人物同士のウィットな会話劇で”専門的な部分”がいい具合に緩和されているところだけれど、あいにく僕はウィットな会話劇を繰り広げられる友人がいない。演出する能力も乏しい。文章でできることといったら、せいぜい漫画における欄外脚注のような扱いでト書きに類するあれこれを加筆していく程度。

もういいや。

「マイケル・クライトンって誰だよ」

斜に構えて読んでくれたらいい。そのぐらいでいい。



先日、仕事の合間を縫って整形外科に行くなどした。

2年ほど前に『筋膜性疼痛症候群』という怪我を背中で発症して以来、再発防止のためにゼロベースから演奏方法を見直し、日々のケアも今まで以上に入念に行うようになってはいたのだけれど、このところまた痛みと痺れが生じるようになってきたので経過報告や相談も兼ねて。鎮痛消炎剤を貰うなどする。

打楽器奏者になって20年以上になるけれど、いわゆる”腱鞘炎”や”腰痛”といった『あるある職業病』とは無縁だった。どんなにハードな現場やツアーが続いても一切の怪我をしてこなかっただけに、明確に自分の身体にエラーが生じるというのは強烈な体験で、恐怖心を植え付けられ、今振り返っても堪えるものがある。
それがたまたま、本当にたまたまレッスンと現場が入ってない暇な時期だった、というのは僥倖だった。

分かりきっていることなのに『いつかドラムを叩けなくなる日がくる』ということに対して希薄だった現実感が、急に重みを増した。予期せぬ形で。少なくともこんなに早くからアクシデントに見舞われるつもりではなかった。
色々と学びも得て、見直すべき部分は徹底的に見直し、結果的に奏者としては幅が広がったりもしたので『怪我の功名』がもたらされたとも言えるが、今後も油断はできない。気をつけましょうね(自戒)


趣味のゲームの話。

今月末にFF14の新拡張『黄金のレガシー』が発売される。事前予約者の特権としてアーリーアクセス(一般発売日より早く新パッチにアクセスできる)を今回も無事に(とはいっても早めに予約すればいいだけのことなのだが)獲得できたは良いものの、スケジュールの都合で1日たりとも遊べそうになく。そも、ここ1年ほどはろくにログインもできていないのだけれど。

FF14を始めてから今年で14年目になる。MMORPG歴をトータルで換算すると24〜25年目ぐらい。読者の中にオンラインゲーマーがいるかはわからないけれど、ネトゲ黎明期のRagnarok OnlineやPSO、リネⅡ、メイプルストーリーあたりは耳にしたことがある人も多いと思う。

MMOには人生の半分以上を費やしているので、当然”ネット上の僕”がそこには存在するわけなのだけれど、その中でも10年以上の付き合いの友人が何人かいる。血の通った人間に10年もの時間が流れたら当然いろんなことが起きるため、その時々において付かず離れず、しかし”当たり前にいるやつら”として。彼らにとってもその中の一人として、長年に渡り奇妙な友情を育み、掛け替えのない思い出を積み重ねてきた。

きょうびSNSも市民権を得ている時代、『顔の見えない相手が画面の向こうに存在する』ということに対して違和感を覚えることは少ないと思うのだけれど、あの頃の自分にとってインターネットは魔法のようなものであり、知らない誰かがそこに存在して、自分と言葉を交わしてくれるという事実に、とてつもない衝撃と感動を覚えたものだった。

文字通り、世界が変わった。


「何がおもしろいの?」

そう聞かれるたびに、答えに窮してしまう部分でもある。こればかりは「やってみて」としか言いようがない。加えて向き不向きもあるので「やってみて」とは言いづらい。

こんな風にちゃんと書くのも初めてかも。やっぱりどこか恥ずかしい。

不登校で、家もめちゃくちゃで、よるべのない自分が見つけられた『かけがえのない居場所』のようなものだった、と思う。

ちなみに長い付き合いの友人たちとはリアルでも会うようになり、今では中でも外でも気軽に連絡を取り合う仲である。

「・・・もしかして◯◯(キャラ名)さんですか?」
「あ、そうですよ」

可愛らしい猫耳の女性キャラクターを長年愛用していた友人Aは僕と背丈が変わらないゴリゴリのおじさんだった。ちなみに彼の奥さんはムキムキの強面男性キャラを使っていた。

今では彼らの子供が、同じゲームにログインするようになった。



和山やま先生の漫画が面白くて大人買いするなどしている。




夏が本格化してきた。暑いのがとにかく苦手な自分には死活問題。
読者諸賢もご自愛ください。

読んでくれてありがとう。

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