泣いていない
街の風景が滲んで見える。PCの画面ですら上手く焦点が合わない。目が痛みを唱える。泣いているから、なんてドラマティックな理由だったらよかったんだけど。
現実は甘くない。苦くも辛くもない。味がしないんだよ、知ってた?
現実は小説よりも奇なり……と言えるにはどういった生き方をしていればいいのだろう。
脳みそがどんなに物語や幻想を求めていても、現実はそれを拒む。わたしは整合性のない言葉や思考を無理やり飲み込ませようとするのだけれど、吐き出されて決して融和しないのが腹立たしい。
グロテスクな視界を矯正するために、眼鏡を新調しなくちゃいけない、とかコンタクトレンズが切れた、とか詰まらない習慣に惑わされていたくない。
だから本当は、グロテスクだけど趣があるような、ぼんやりとした視界でぼんやりと生きていたいのだけれど、許されないのはどうして?