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その道は一本 ~柔道が世界をつなぐ~ Vol.12 田中美衣さん

近年イスラエルで人気沸騰中の柔道。女子代表チームを指導するのは、2010年東京世界選手権2位の実績を持つ田中美衣さんです。異なる文化の中で自分を見失いかけた戸惑うこともありましたが、文化が違っても「正しいことは正しい」「良いことは取り入れよう」と、自分らしい指導、そして選手に自信を与える指導をすることをモットーにしています。やってみないとわからない価値観、現地に行ってみないとわからない価値観があることを実感しながら、自身も、柔道やイスラエルの良さを発信し続けていきたいと語ります。

イスラエルで人気上昇中の柔道、オリンピックメダル9個のうちなんと5個は柔道。

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――イスラエルのナショナルチームで2017年1月からコーチをされています。イスラエルにおいて柔道はとても人気があるのですか。

イスラエルは建国72年の若い国で、オリンピックのメダルも9個しか獲ったことがありませんが、そのうちの5個が柔道で、そのうち女子が獲得したメダル2個はどちらも柔道選手が獲得したものなんです。柔道はオリンピックでメダルが獲れる競技ということで、国民の関心はとても高く、コンビニみたいに柔道クラブがあってとても人気です。

――想像以上の人気です。競技人口はどのくらいですか。

実は私も詳しく知らなかったので、ナショナルチームのシャニー・ヘラシュコ監督に聞いてきました。イスラエル柔道連盟の競技者登録は9歳からということで、現在は6000〜7000人くらいだそうです。この他に登録していない愛好家の人たちが3000〜4000人はいるんじゃないか、ということでした。
 女子の人気も上がっていて、2016年リオ・オリンピック女子63kg級でヤーデン・ジェルビ選手が銅メダルを獲得したあと、女子の競技人口が500人も増えたそうです。2012年当時の女子の登録者数は200人くらいだったのに、現在はその10倍の2000人になっているそうです。
イスラエルの国土は日本の四国くらいのサイズで、人口が約923万人ととても小さな国です。その国でこれだけの競技人口がいるというのは、やはりかなりの人気なんだなあと思います。

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――田中さんご自身は2010年東京世界選手権63kg級で2位となるなどの競技実績があります。柔道を始めた頃に少しさかのぼっていただき、イスラエルで指導することになった理由を教えてください。

柔道を始めたのは8歳のときです。小学校のときに同じクラスの男の子が柔道を習っていて、私もやってみようと思い、長浜市(滋賀県)の虎姫スポーツ少年団に通い始めました。
大学は仙台大学に進学し、卒業後は『ぎふ柔道クラブ24』というチームに所属したのち了德寺学園職員となり、2015年の講道館杯を最後に選手を引退しました。
翌年の1月から了德寺大学の学生課でOLとして働き始めましたが、ゆくゆくは教員採用試験を受けようと考えていました。それでその前に、海外に出て柔道指導の勉強をしてからでも遅くないかなと思って、調べ始めたんです。そのなかでいくつかお話があったのですが、英語が話せないとダメというところも多くて。でもイスラエルは、英語はこっちに来てから勉強すればいいよ、と言ってくれて。それならばということで、すんなり決まって行くことになりました。
イスラエルは東京五輪に向けてちょうど日本人コーチを探しているところでした。今、ナショナルチームでは、監督のほか、ドイツ人コーチと一緒に仕事をしています。

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得意の寝技指導と、監督や選手からの言葉から、大きなやりがいを感じる日々

――イスラエルで指導をしてみて、日本の柔道と違いを感じるのはどんなところですか。

一番の違いはフィジカル面だと思います。イスラエルの選手は力と瞬発力があるんです。ジムに行ったり、ウエイトトレーニングをする時間が長いのでその影響があると思います。
技術面で言うと、基本練習をあまりしないんですね。なので、前襟を持ち手首を使っての細かい動作などは苦手というところがあると思います。日本人が打ち込みや反復などの基本練習にかける時間をトレーニングにかけているという印象です。技術が足りない分、フィジカルで補っているということだと思います。

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――ナショナルチームの普段の活動はどのようになっていますか。
 
現在、女子の強化選手はシニアが15~16人、ジュニアが20人、カデが40〜50人くらいいます。こちらは日曜日始まりなので、日曜から金曜まで練習拠点の国立スポーツセンターで練習しています。金曜日の午後と土曜日は休みです。毎日が合宿しているような感じで、シニアは国立スポーツセンター内のホテルに滞在して週末だけ自宅に帰るという人が多いです。
 私は基本的にシニアのチームを指導していて、主に寝技を担当しています。

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――担当は細かく分かれているのですか?

そういうわけではないのですが、私と選手たちの寝技にあまりにも違いがあるということで、「ミキ、寝技をやって」ということになった、という感じです。
私が来るまでイスラエルには寝技を教えられる人がいなくて、寝技と言ったら三角に入るというくらいで、崩し方も身体のさばき方も知らないようなレベルだったんです。これでよくオリンピックに出ていたな、というくらいで。最初の頃はどこから手をつけていいのかわからないくらいでした。
そんなところから始まったんですが、ある大会で、私が教えたとおりに足をさばいて抑え込んで勝った選手がいたんです。それは誰が見ても田中が教えた技術だとわかるものだったので、監督から「これはミキの仕事だね、ありがとう」と言われて。うれしかったです。

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――「ミキの仕事だね」。すてきな褒め方ですね。

こういう褒め方は日本ではあまりないですよね。選手もこういうふうに言ってくれることもあるので、そういうときに、やりがいをすごく感じます。

――指導にあたって日本と違うと感じるのはどんなところですか。

こちらの選手は、練習の目的や意味を理解しないとやらない、というところでしょうか。例えば、「打ち込みは足を揃えたところから入りなさい」と言うと、「乱取りではそんな状況から入らないのにどうして?」と聞かれるんです。日本であれば、指導者が言ったことは、とりあえずやってみると思うんですが、そうではないんですよね。
この場合だと「たしかにそうかもしれないけれど、技に入るスタート位置がわかっていないと技が崩れていたり、自分がまっすぐに立っているという感覚がつかめない。だから、毎回足を揃えて入ることが必要なんだ」と説明したら、納得してやってくれるようになりました。
一事が万事こういう感じなので、最初の頃はどう説明したらいいのかわからないことが多くて、日本の知り合いや先生に相談したりしていました。日本語で言うのも難しいのに英語でなんてもっと大変で。最初のうちはとくに大変でした。
あと、びっくりしたのは、選手に「ミキ」って名前で呼ばれること。中高生にまでそう呼ばれて、「え? 待て待て待て、私はあなたたちの友だちじゃないぞ」って(苦笑)。中高生のなかには、コーチと選手との間に線引きができない子もいるんですね。はじめの頃は戸惑いましたが、今は、近くなっていると思ったら私から距離をとるようにしたりしています。

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当たり前のことを当たり前に。「目の前のゴミにさえ気づけないのに、どうして技術が身につくの?」

――そうした違いのなかで、選手の信頼をどのように得ていきましたか。

一生懸命にやってくれる選手をつかまえて教え込み、その子が結果を残していくのを見て、やってくれるようになっていった、という感じですね。はじめから全員が私の言うことを聞いてくれるとは思っていなかったので、やってくれる子を強くして勝たせることで、少しずつ言うことを聞いていってもらう、という流れを作りました。やっぱり結果です。結果が出たら、やってくれるんです。

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――技術指導以外の面で、重視していることは。

私は服装がだらしなかったりするのが嫌いなので、柔道衣をちゃんとたたむとか、道場の掃除をするとか、時間前行動とか、そういう面はかなり厳しく指導しています。これも最初は全然やってくれませんでしたが、ゴミが落ちていることに気づけないということは、目の前の問題に気づけないということだよ、それでどうして技術が身につくの? とか言ってその必要性を理解させました。
今では、選手同士で声をかけあって時間に遅れないようにしたり、掃除もできるようにはなりました。選手たちは私のことを怖がっていますが(笑)。
どうしてこういう指導が必要かというと、子どもたちは町のクラブで柔道を習ってくるわけですが、クラブの数が多くて生徒の取り合いも激しいので、生徒はお客さん扱いされるというか、厳しい指導を受けてくるわけではないんです。カデの強化に入っても帯を自分で結べない子もいるくらいで。だから、私は「ここはクラブじゃないよ、ナショナルチームだよ」といって、余計に厳しく指導しているという事情があります。

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――海外で指導することで、日本の柔道について見えてきたことはありますか。

いっぱいありますよ。一つ挙げるとすると、外国人選手は日本人に勝つことに対して、とても強い意識を持っているということですね。日本人に勝ったというだけで、評価が10倍くらいにボンと上がるんです。
実は私はジェルビ選手に、2012年グランプリ・デュッセルドルフで負けたことがあるんですが、それが、イスラエル人が日本人選手に初めて勝った試合だったみたいで。本人からあれで自信がついたと言われて、ちょっと腹が立ったんですが(笑)。でも、それだけ海外の選手は日本人選手を尊敬しているし、なんとしてでも勝ちたいと思っているということなのだと思います。

文化が違っても、正しいことは正しい。自分らしい指導をすることがモットー。

――生活面で変わったことは。

そうですね……私、日焼けしているのわかります?(笑)。こちらに来るまで、イスラエルは戦争をしているということで、正直、あまり良いイメージを持っていなかったんです。でも、住んでみるととても良いところなんですよ。ビーチもきれいで、4月から11月くらいまで海に入れるくらい暖かくて。イスラエル柔道連盟には、日本人柔道家を年間4人呼べる予算があるのですが、これまで何人か日本人選手にも来てもらっていて、みんな口を揃えてイメージが変わったと言ってくれます。それがとてもうれしいですし、私がイスラエルにいることで、この国の良さを知ってもらえたらいいな、という思いがあります。

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――選手時代を通じて、今につながっていると思う経験があれば教えてください。

大学時代のことですけど、南條和恵監督に、一人で海外に行ってこいって放り出されたことがあったんです。行き先は韓国だったのですが、航空券の手配から何から全部自分でやって、1週間稽古して帰ってきました。当時の私にとってはとてもキツいことだったんですが、あの経験は大きかったです。あれで海外に飛び込む勇気が持てたのだと思います。とりあえず、蛇口から水さえ出れば大丈夫、くらいの感覚になりました。

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――指導者としてのモットーは。

私は日本人のコーチとして来ているのだから、日本のやり方でやる、ということですね。
実はこちらに来て間もない頃、自分を見失いかけたことがありました。自分があまり好きじゃないと思うことや、こちらの文化に全部合わせなくちゃいけなくて、ちょっとキツいな、と思うことがあったんです。でも、生活していくうちに、やっぱり正しいことは正しいし、悪いことは悪いということに気がついたんですね。例えば、掃除についても、これは道場をきれいにして気持ち良く練習するために良いことだからやろうと。そこに落ち着きました。

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――ご自身で変わったと思うところは。

一番変わったのが、私、強かったな、って気づいたことかもしれません。日本は競技人口が多くてライバルが多いですし、国際大会に出ても2、3位じゃダメじゃないですか。それが日本のクオリティの高さにつながっていると思うんですけど、こっちでは、2、3位でおめでとう、メダル獲ったらおめでとうなんです。
そういうふうに、おめでとうって言ってもらえるチャンスがあるから柔道を好きになるし、もっと頑張れるとも思うんですよね。このことを私が選手のときにわかっていたら、もっと自尊心を持ち、自信を持って柔道ができていたのではないかと思います。ですから今、私は選手に教えながら、ダメなところを指摘するだけにせず、こういうところが良くなっているから、もっと伸ばしていこうと自信を与えながら指導するようにしています。

【プロフィール】田中美衣さん

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田中 美衣(Miki TANAKA)
生年月日:1987年10月20日生まれ
出身:滋賀県
8歳から柔道を始める
長浜西中→京都成安高校→仙台大学→筑波大学大学院→了徳寺大学職員(前:了徳寺学園職員)
競技歴:2010年世界選手権63kg級準優勝、2012年グランドスラムパリ63kg級優勝。
コーチキャリア:2016~了徳寺柔道クラブ指導員、2017~イスラエル柔道女子代表コーチ。
居住地:イスラエル(テルアビブ)
イスラエル柔道女子代表コーチ。

【#全柔連TV】インタビュー動画



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