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その道は一本 ~柔道が世界をつなぐ~ Vol.10 千原慎太朗さん

青年海外協力隊(JICA)柔道隊員としてバングラデシュに赴任したことを皮切りに、ミャンマー、中国、そしてカザフスタンで指導されてきた千原慎太朗さん。自身の選手としての実力に限界を感じた大学時代、次のステップとして目指したのが海外における指導者でした。今まで指導を行ってきた4か国については、文化や生活習慣が大きく異なる国々でした。しかし、柔道指導という観点では現地の選手や指導者と信頼を築くことから始めるなど共通する点は多くあり、選手が人間性をも身につけられるような指導を心掛けている、と語ります。第10回は、現在、カザフスタンで柔道指導をされている千原さんにお話を伺いました。

自分の存在価値を柔道の中に見出し、青年海外協力隊柔道隊員としてバングラデシュへ。

――海外に出られたきっかけを教えてください。

大学の海外武道実習でフランスに行かせていただいて、子どもたちに柔道を教えているときに、言葉ができないなかでも通じ合えて、ビビっと来るものがありました。柔道でコミュニケーションが取れるという感覚、自分を必要としてもらえる場所だという直感、そして自分のいる柔道というジャンルは日本人であること自体に価値を感じてもらえるものだなと。また、選手としてはもうあまり見込みがないとわかっていたのですが、できればもう少し柔道に携わっていたかった。で、進路を決めねばならない4年生になったときに、JICAが行っている青年海外協力隊の存在を知ったんです。当時、大学に形の授業の講師としていらしていた佐藤正先生に相談してみたところ「行け!」とその場で講道館に電話してくださって(笑)。トントン拍子に話が進みました。

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――その後、現在のカザフスタンに至るまで4か国で指導。それぞれまったく違う文化のなかで異なるミッションを担ったわけですが、最初の任地であるバングラデシュでの指導はいかがでしたか?

ナショナルチームといっても1つの体育館でいくつもの競技が練習をしていて、練習場所は事前に柔道に割り振りされた時間しか確保できませんでした。選手全員が揃うことはまずない。現実を見て、まずはできることをしっかりやろうと考えました。選手が毎日厳しい練習をすること自体に慣れていないので、メニューを工夫して目先を変えながら、柔道にこだわらず「毎日やる」という習慣をつけることから始めました。この国のキーワードは宗教、イスラム教ですね。女子の試合では、「礼」をするなり棄権する選手もいて、1試合もせずに優勝者が決まることもありました。練習中もお祈りがあると中断です。もちろんその行為は尊重しますが、なかには練習がきつくなると「ちょっとお祈りしてくる」と言っていなくなって、喫茶店でお茶していたり、隠れて寝ている選手もいました。でもこれはうまく理解していくと良い面もあって、「勝敗はアッラーが決めるものだ」と試合が近づいた選手が言うと、「アッラーは、試合に出るたくさんの選手のなかで誰を優勝させると思う? 一番努力した人だと思うよ」と諭すと「ああ!そうか!」と納得してくれたり。JICAの研修でベンガル語を学んでいたことも非常に助けとなり、海外での指導にはその土地の言葉と宗教、生活習慣を理解して尊重することが大事だなと肌身で学んだ2年間でした。

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赴任地ミャンマーで開催された東南アジア競技大会において柔道が金メダル4つ獲得という好成績

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――次はミャンマーのナショナルチームの監督を務められました。

44年ぶりにミャンマーで東南アジア競技大会『SEA GAMES』が開催されることになったタイミングでの赴任でした。この競技大会は、東南アジアではオリンピック以上に盛り上がるイベントで、「少しでも多くメダルを獲ってくれ」と強く要望されました。歴代赴任された先生たちのおかげで日本の柔道の練習法が根付いていましたし、何より日本人指導者に対する信頼が厚いことに助けられました。そもそも競技人口が多くなく、乱取りでの強化は難しい。大会まで1年間と残り時間が決まっていること、年齢的にピークを迎えて技術的な土台がある選手が多いことを考えて、フィジカルの徹底的な強化という方針を立て、結果として4つの金メダルを獲ることができました。他の選手たちも、銀メダルや銅メダルを獲得しました。30年前、日本から柔道指導者として初めて赴任された藤田真郎先生の時に3つの金メダルを獲って以来の好結果です。大会には藤田先生も来られて物凄く喜んでくださり、本当に嬉しかったです。

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――成果を残して、翌年から3年半中国、河南省の監督として赴任されました。

中国では4年に1回、日本で言う国体のような自治体対抗の全国大会があるんですが、そこにかける熱量が凄まじい。このための強化に呼ばれた形です。

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――思い出深いエピソードは?

人間関係と「お酒」ですね。日本からコーチが行くこと自体が初めてで、「自分の仕事を取られるのではないか」と疑心暗鬼になる指導者もいたので、あくまで「みんなで一緒に強くなるのが私の仕事だよ」というスタンスで諭して、行動して、指導を続けました。お酒に関しては、中国では白酒(パイチュウ)という強いお酒を飲めないと人間関係が作れない。お酒を遠慮すると「お前は家族じゃないのか?」と詰め寄られてしまいます。中国赴任後は白酒の匂いを嗅ぐだけでジンマシンが出るようになり、お酒はまったく飲まなくなりましたね。次のカザフスタンがイスラム教国でお酒を飲まないので、ちょうど良かったです(笑)。

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――指導にあたって、これまでの国と違ったことは?

国自体に根性論的なところがあって、厳しいメニューを与えてもすんなり受け入れる土壌があります。また中国は人口が多くて、河南省だけでも1億人以上。人の数が多いので選手の見切りが早いんです。省チームに入ると給料も出て練習環境も良く、食事も住むところも提供されますが、ダメと判断されれば、育成段階の子でもすぐに替えられてしまう。これは他の国にはない特徴だと思います。

実は格闘技大国であるカザフスタン。悲願のオリンピック金メダリスト誕生を叶えるために奮闘

――さまざまなオファーから、次の任地をカザフスタンに決めた背景は?

この国は強くなると直感して即決しました。「民族の魂」が強いイメージがありましたし、どんな環境であの闘争心の強さが養われるのか素直に興味がありました。また、まだオリンピックの金メダリストが出ていない国でもあったので、 (大きな仕事を)できるのではないか(笑)。

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――カザフスタンの普及の状況を教えてください。

競技人口は3,000~4,000人。民族格闘技のカザックレス(カザフ相撲)をやっていたり、サンボをやっていたり、かけもちの選手が多くて正確な統計が取りにくいんです。国内でお金を稼げるのはスポンサーが多くて賞金も高いカザックレス。カザフスタンの柔道は軽量級が強いイメージがあると思いますが、重量級にも良い選手はいるんですよ。でも、柔道は物凄くハードな練習をして、その上で極めてレベルの高いワールドツアーで勝たないと賞金がもらえない厳しい競技。だったら柔道で鍛えて強くなって、カザックレスに転向してお金を稼ごうという選手が多くなるんです。ただ格闘技が凄く好きな国なので、柔道はかなり人気があります。私は耳が潰れていて格闘技体型なので、街で「何してる人?」とよく話しかけられますし、柔道と答えると「おお!あの選手知ってるぞ」と有名選手の名前がどんどん出てきます。リオ五輪で銀メダルを獲ったイェルドス・スメトフは子どもたちにも大人気です。

――カザフスタン柔道の特徴は? また強化の体制は?

立ち技がカザックレス、寝技はサンボがルーツで関節技が巧みです。カザックレスは膝を着けないので、みな大外刈や内股が得意。強化体制としては、どの競技でも決まった拠点がなく、合宿から合宿を渡り歩くのが大きな特徴です。とにかく「移動」が多く、遊牧民族の国なんだなと実感します。鉄道で3日間かけてやって来る選手もいます。私は81kg級と90kg級の担当で、イスラム・ボズバエフ(90kg級 世界ランキング19位)と1か月一緒の部屋で暮らしたりしました。これは指導のミッションに関わるところで、監督は「カザフの選手はプロフェッショナルとしての自立ができていない、だからあなたが親になってあげなさい」と。朝から晩までずっと一緒に生活して選手としての自己管理を教えていきます。携帯ゲームに夢中で寝ない選手がいたりするので、携帯電話を没収したり、中高生相手みたいな仕事をするときもありますね。

指導していくうえで4か国に共通して大切だったことは、信頼を得る土台作りから始めることと、人間性を身につけるように指導すること。

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――4か国で指導されたなかで、共通して役に立ったことは?

ラグビーのエディ・ジョーンズさんは監督に赴任する前に、日本の国民性を知ろうと勉強したそうですが、事前に言語と生活文化、特に宗教を勉強しておくことは凄く役に立ちました。「アッラーのことをよくわかっている!」と彼らが心を開いてくれましたし、どの国でも生活習慣上の意外なタブーがあり、これをあらかじめ知って振る舞うことは、溶け込む上でかなり大事だと感じました。言葉も、現地の言語で話すと、より信頼感を得られます。特にカザフスタンはいま国策として、社会を旧ソビエト時代のロシア語からカザフ語中心に改めつつあるという民族的な事情があるんですね。そんな中、カザフ語でコミュニケーションを取ることで得られるものは結構大きい。実はこの10年間もっと英語を勉強したいと思っているのですが、実際はベンガル語、ビルマ語、北京語、カザフ語と、任地のローカルな言葉をひたすら覚え続けることになっていて、ちょっと複雑な気持ちです(笑)。

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――異なる文化背景や競技レベルの指導で、大事なことは?

まず人間関係。こちらが信じることで相手に信頼してもらうというスタンスを持つこと。あとは、どの国でも、表面上求めていることと本当にやってほしいことは結構違います。簡単に言って「柔道を通じて日本の精神を教えてくれ」と言っていても、実は「スペシャルテクニックを教えてほしい」と思っていたりするわけです。ですから、本当に自分が教えたいことがあるのなら、まず現地に溶け込んで、信頼を得る土台作りから始めたほうがいい。あとは、柔軟な考えですね。できることをやると割り切ることも大事です。今年はコロナ禍で、カザフスタンのナショナルチームとしての活動はここまで20日間のみ。私も焦りはありますが、選手もコーチも「無理なものは無理だ」「これはアッラーの意思だ」「次にできるときに頑張ろう」とポジティブです。これには私も教えられました。

――千原先生の、「本当に教えたいこと」とは?

ひとことで言うと、強さや影響力に見合った人間性を身に着けてほしいということです。指導者として必要な知識は、頑張れば誰でもある程度身に着けられますし、スペシャリストを呼んでくれば自分ができない技術を教えることもできる。では指導者というものの本質的な条件とは何だろうと考えるなかで、辿り着いたのはこの部分です。タイミングよく言葉を掛けたり、話し合ったり、柔道以外の部分をきちんと見てあげることで、強さに見合った人間性を身に着けてもらう。影響力が増すことの怖さと価値を理解してもらう。そういうことが大事だと思っています。

「またこの人に会いたい」と思ってもらえるような信頼関係が将来の財産になる。

――いまの日本チームの印象は?

フィジカルも強くなってどんどん隙がなくなってきていますね。こちらのコーチも、真面目で精神的に自立していて自己管理ができる日本の選手を憧れの目で見ています。

――2019年世界柔道選手権東京大会のコーチボックスはいかがでしたか?

選手としては日本武道館で試合をしたこともないですし、自分をボックスに送り込んでくれた選手と監督には本当に感謝していますし、嬉しかったです。

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――今後の目標、また大きく人生のビジョンについて聞かせてください。

コロナウイルスの影響で、ごく一部を除いて、いまは選手もコーチも経済的に苦しんでいます。まずは皆が生活に困らず柔道に打ち込めるようになってほしい。そして無事に東京オリンピックが開催され、選手たちに納得のいく試合をしてもらうことが願いです。将来的には、どこかの監督になって、金メダルを獲る選手を育てたいと思っています。

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――これから海外に行ってみたいと思っている若者にメッセージをお願いします。

海外に行く機会も、日本人を求めている国自体も増えていて、チャンス自体はあります。そのなかで、どういう気持ちで行ったとしても、自分は日本人のイメージを背負っているんだということを常に思っていてほしい。私自身も、個人の名前ではなく日本人として仕事に呼ばれていると自覚していますし、これを忘れて振る舞うことはできない。また、柔道を教えることが仕事かもしれませんが、大きくみると信頼関係を作りに来たんだと意識してほしいですね。どんな終わり方になったとしても、赴任した国の人から「またこの人に会いたい」と思ってもらえる関係を作ってもらいたい。柔道そのものよりも、それを通じて作った関係が将来の財産になると思います。

【プロフィール】千原慎太朗さん

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千原 慎太朗(Shintaro CHIHARA)
生年月日:1987年4月10日生まれ
出身:熊本県
8歳から柔道を始める
福岡工大城東高校→国士舘大学
コーチキャリア:2011年1月~2013年1月:バングラデシュ(青年海外協力隊柔道隊員)、2013年3月~2013年12月:ミャンマー代表チーム(講道館派遣)、2014年4月~2017年9月:中国・河南省(講道館派遣)、2018年4月~現在:カザフスタン代表チーム(個人派遣)。
居住地:カザフスタン(アルマティ)
全柔連国際委員会在外委員。

【#全柔連TV】インタビュー動画


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