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愛していると言ってくれ⑫

メイの育った環境は過酷だったが
それでもメイは今やっと
自分は運が良かったと思うこともある

メイは親が死に泣くという気持ちがわからない
メイには想像がつかない
芸能人の親が亡くなり
お葬式で子供が泣きながら親への思いを語る

メイは子供の頃から
それを不思議に思いながら
「きっとこれは悲しい気持ちなんだろう」と思ってきた

メイの親はとっくに死んでいる
どこで死んだかは知らない

実の親が死んで悲しくないというのは
どこか感情が欠落しているのかも知れないと
思ったこともあったが
今となっては清々している

そんなメイにもメイにも
何も手がつかなくなるくらい
涙も枯れるほど泣いた出来事がある

20代前半だった
仕事と学校との往復の日々
いろんな面でギリギリの毎日

ある人が亡くなったと連絡が入った

前の会社でお世話になった人
つい2ヶ月前に年賀状と
誕生日のカードを送ったばかりだった

交通事故だった
雪道で対向車線からはみ出してきた車と
衝突したと

2月だった
無理を言って仕事を上げてもらい
お通夜に向かう電車の中

メイは頭の整理がつかない

けれど事実だった

亡くなった

2ヶ月前の年賀状
「スキーにおいで」と書いてあった

メイには
そんな時間の余裕も
金銭的余裕もない

会社を休んだり
お金を借りてスキーに行くなんてことは
考えられない

「スキーにおいで」
この言葉もきっと
社交辞令だと思っていた

ひとしきり落ち着き
季節は春になり
亡くなった方のお母様から手紙がきた

「息子の遺品を整理していたら
あなたからのカードがあったので...」

それを読んだ時
メイは後悔とも違う言いようのない気持ちに
崩れ落ちた

どうして
どうして

どうして死んでしまったのか

もしあの時
メイがなんとか時間とお金をやり繰りして
スキーに行っていたら
こんなことにはならなかったのだろうか

考えても答えは出ない
永遠に

メイはそれから3年近く
死んだように仕事をした

何をしても
頭の片隅にある後悔と
どうしての言葉を振り払うように

親が死んでも一滴の涙も零れなかったメイの目から
止めどなく涙は流れ落ちる

あれから30年以上の月日が流れた

昭和が終わり
平成も終わり
令和になった



















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