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本質を理解できない

今からすごく情けない記事書くからサムネだけでもカッコよくしておきたい。


Xにてわたしがよく動かしているハッシュタグ
「#仲春アジの映画日記」
観たり読んだりした作品を記録、紹介していて、多分もうそろそろ300作くらいになるかなぁ。

最近は「映画観たいときにあのハッシュタグ見て参考にしてるよ!」や「あの映画の感想投稿してる子だよね?」と、いろんな人に認知してもらえるように。超嬉しい。

始めてよかった。

好きなものが多く、せっかくお金と時間使って経験したならせめて自分の武器にしたいと思って発信し始めてみたけど、継続は力になってくね。

映画

現状今年1番嬉しかった武器人間リクエスト上映。
note記事にしました。読んで。

お笑い

大好きな大好きな東京ダイナマイト。

ウイスキー

まだ紹介してないお酒結構あるかも。


さらにここ1年でベイブレードXも加わって趣味が賑やかに。

緊張感のなか楽しく打てた。打欲!


もともと誰かに何かをすすめるのが好きだしちょっと得意なので、今のアイドル活動を通していろんな分野を自分の言葉にして発信することは楽しくできているし、反応があると嬉しい。

でもいつからこんなにこだわる様になったんだろう。


最近ふと考えてたこと。


今でこそプレゼン上手と褒めてもらうことが多いけど、もとからこうじゃなかったと思う。


自分がこうなったのには何かしらルーツがあるはず。
どうしてこんなにマメに紹介するようになったのだろうか。




って考えてたら






あったの。こないだようやく繋がったの。
「だからかあ…!」って思った出来事を思い出した。

ということで今回の記事は自分への戒めシリーズです笑






高校生のとき演劇部で3年間芝居をしていたとき、戦争を取り扱う戯曲に挑戦した。
高校演劇って毎年大会があって、1時間の上演をした後に代表部員が幕間にインタビューを受けるのね。
その作品に挑んだ思いとか、作品を通して何を伝えたいかとか。

当時高校2年生で主演を演じたのでそのインタビューを受けることになったのだけど、あまりにも重いテーマに言葉が出てこず、一緒に代表でインタビューを受ける先輩にすべてを預けてしまった。
ただその先輩はもともと出演する予定のなかった急遽代打で出演してくれた先輩だった(もともとその役で稽古してた後輩が直前で飛んだ)のもあって、その先輩が咄嗟にインタビューで答えた内容を聞いた他の出場校の顧問の先生からその場で「戦争を取り扱う上で絶対に言ってはいけないことを言っている。本質を間違えないでほしい」と指摘されていた。

勿論そんなボロボロの状態で挑んだ大会の結果は地区予選落ちだった。

この時からだったと思う。


その翌年、再び主演で挑戦したのはざっくり言うと姥捨山の話。この年は関東大会にまで出場できた。たくさんの人が笑って涙してくれた。魂の作品だった。
ただ、うん、この時のことも思い出すと顔から火が出るくらい恥ずかしい…。

あのさ、姥捨山っていうのはあくまでディティールというか枠組みのことであって、この戯曲が伝えたいことはもっと違うものじゃん。
もともとこの戯曲をやる決定打となったのは脚本会議のとき後輩が言った「お母さんのことを考えたい」だった。まさにそれこそがこの物語の本質。なのに
当時のわたしはこれを言葉にすることが本当に下手、というか、本当に本質を理解してない奴だったのかもしれない。この劇の紹介を
「村の風習で70になる親を山に捨ててこなければいけないお話」なんてような内容のことを言葉数多くべらべらと地方局のテレビのインタビューで紹介してしまった。


また同じことを繰り返していた。


本質を理解できず言葉にもできない自分の物語への理解や読解の薄さや浅ましさが表面にめくれ返った瞬間だった。

なんて情けない。
そんなの芝居じゃない。
そりゃ稽古で「お前の芝居には中身がない」って言われるわ。


表現ができている、わかってる「風」なだけで
持ち前の中途半端な器用さを生かして上手いことやっていた中身ペラペラな自分が恥ずかしくて仕方なかった。


そんなの芝居してる自分に酔ってるだけじゃん。


何自分芝居できるって勘違いしてたんだろ。


アホか。









………





でもそれだけじゃ終われない!!!!!!💢💢(185db)


高校を卒業した春休みから、わたしは部屋に引きこもって狂ったように何本も何本も映画を観て、その感想や考察をメモするようになった。自分の言葉だけじゃ足りなくて、いろんな映画レビューを調べて自分に落とし込んで整理していった。



あのとき、自分が演じた役が何者だったのか、何を伝えたかったのかすら言葉にできなかった情けない自分のことを救ってやりたかったんだと思う。


もう作品に触れてる自分に酔ってるだけの奴にはならない。



それが、今もある意味贖罪のように続けている映画日記。
勿論好きでやってるんだけどね。



高校生のわたしが自分にかけた呪いなのかもしれない。






かしこ。

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