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「アジちゃん?なんで?魚?(笑)」


(生誕ライブの日に「ごめん流石にアジのバルーンはなかったよ〜!」とファンの方たちが用意してくれたフラスタ。思いっきり魚いじりされている。)



自己紹介をするとほぼ必ずあるこのやり取り。


まず、思うのが「そりゃそうなるよね。」である。
当方仲春アジと名乗って活動していることは今回の記事を読んでくれている読者諸君の大半は既にご存知の情報であろう。
(覚えてくれて有難う。)

しかし「何故アジなのか」由来や理由についてはしっかりと語る機会はない。というよりはたとえ語ったとて「別に深く知りたいわけではないけど人名としては珍しいから触れないとなんか会話的にも次に進めない」程度の感じでなんとなく聞いたであろう相手に、己の名前の由来を熱弁するにはそこに生じる熱量の差が申し訳ない。

ただ思い出してほしい。ここは「仲春アジに語らせてください。」である。

この場を借りて今一度「何故アジという名前なのか」という質問をしてくれたすべての方に向けてここに由来を書き置いておく。

①「鯵」ではなく「味」である。
(ただし発音はア↑ジ↓である。)


(「もし漢字で書くとしたら」なので、正式な表記はカタカナのアジである。)
これはわたしがもともと「粋」「いなせ」や「風情」「情緒」などの「味のある」江戸っ子言葉や雰囲気を表現する際に使うこれらのニュアンスの日本語が好きで、そこから取ったものである。
簡単に説明する際には
「『味のある子になりたい』で" アジ "です!」と伝えることが多い。
まさにそのままなのである。

もう少し掘り下げるとべらんめえ口調が好きである。てやんでい。


②つまり「鯵」でもあるっちゃある。


ここで補足なのがそもそも魚のアジも「味がいい」から来ている名前のため、「魚なの?」という質問も(厳密には違うが)あながち間違っているわけではない。


③「あじ」ではなく「アジ」である。


厄介なのが表記がカタカナなことである。カタカナ表記により字面は魚類感増し増しなのだが、苗字と合わせたときに

仲春あじ
仲春アジ

どうだろう。

不思議とカタカナの方が名前っぽく見える(気がする)。
平仮名表記だと何かの文から引っこ抜いた途中のフレーズに見えてしまう(気がする)。


④鯵が好き。


自分の名前どうこう抜きにして大好物である。お寿司屋さんに行くと必ず頼むネタだし、フライにしても刺身にしても開きにしてもたたきにしてもなめろうにしても美味しい。
鯵のように幅広く楽しんでもらえる存在になりたいという意味も込められている。(ごめん今思いついた。)


⑤そもそも人と違うふうに見られたがる。


物心ついた頃から人と違うことが好きだった気がする。
よく覚えているのは幼稚園のとき、入園したばかりのわたしはまあまあ人見知りで誰かに進んで話しかけることができなかった。
ただ発信するリビドーは必要以上にあるため、「話を聞いてほしい」「興味を持ってほしい」という思いから
「人と違うことをすれば気にしてもらえそう」と考えるようになり、先生に「どうしたの?」と声をかけてもらうまで乾いた水たまりの白い泡の跡をひたすらじっと見つめていた。(周りの大人からはよく"不思議ちゃん"と言われていた。)

今書いてて思ったのだが、おそらくわたしは「人と違うことが好き」というより「誰かに自分を知ってもらうことが好きなのに自分からは声をかけられないビビリだから人と違うことをして不思議がって話しかけてくれる人を待っている」というのが正しい気がする。

色々かっこつけて言葉を並べたが、つまるところかまってちゃんなのである。



以上がアジがアジたる由縁である。
そんなわけで色々練り練りした大切な名前なので、もしよかったら覚えていてほしい。


(とある日のスタジオでダンス練習を録画した際に映り込んでしまった親の仇かの如くカメラを睨みつける仲春。この時彼女が何を思っていたのかは謎である。)





人に見つけてもらうために周りと違うことをする癖は今も変わっていない。


新たにハルとしてBOY MEETS HARUに加入したばかりの頃は、とにかく覚えてもらいたいとがむしゃらだった。
ダンスは大半は振り付けが決まっていてメンバーたちと揃えて魅せるものだから揃うように練習をする。
ただ逆に考えると振り付けが特に決まっていない部分はかなり極端に言うと何をやってもいいのである。
(初期はやり過ぎていた気がする。)

たとえば立ち位置移動する瞬間、移動し終わって次の振り付けに入るまでの数拍、ソロパートなどを歌っているときの自由に動いていいシーン…
その瞬間こそ己の色を出すチャンスである。

とはいえ振り付けは基本決まっているものなので、身振り手振り以外で何か動かせるもの…。













「もう顔しかない。」

(ライブ中はこんなもんじゃ済まない。)






気づけたわたし天才。




こうして「ライブ中顔芸すごいよね」「狂気を感じる」「ヤバイ奴がいる」と言われるパフォーマンスが生まれたのである。


あとは過去に舞台芝居を少し勉強したことがあり、稽古のときに「大きなホールの1番後ろで見ている人からも表情が見えるように芝居をしろ。お前は顔が小さいから(今となっては褒め言葉)余計意識しろ。」と言われたのがいまだに記憶の中にあり、その癖も抜けていないのだろう。


ライブは芝居である。(と、思う。)
BOY MEETS HARUのストーリーを仲春アジなりに解釈し、表情で、指先で、歌声で、できる限り全身全霊伝える。
なので本当はライブでパフォーマンスを観てくれた方の感想が「ヤバイ奴がいる」だけで肝心なことが伝えられていないうちはわたしもまだまだである。
ひとつひとつ丁寧に伝えてゆきたい。


今まで新たに仲春アジを知ってくれた方は「変顔すごいねー!」という感想とともに会いに来てくれる方が多かった。


有難う。



8ヶ月経ち、「曲によって変わる表情がすごい!」「お芝居観てるみたいだったよ!」
新たに会いに来てくれる方の感想が少しずつ変わってきた。




少しずつ、「味のある」人間になれてるのかな。


かしこ。

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