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【Episode 3】写真集計画作成!ワクワクと不安、責任の狭間でぷよぷよも揺れている

#10

7月16日、土曜日。
怪獣大決戦の翌日。

この日は卓球仲間を招いての飲み会を控えていた。
朝から家中を掃除し、買い出しに出かけた。
その合間にまみーごとメッセージのやり取りをした。

まみーごとは今後、写真集の詳細を詰めていくが、このとき既に一緒に進めている企画があった。
「身体の使い方チェック」だ。(Prologue Side A参照)

イベント日程の案内文を考えて欲しいと依頼を受け、文案を練った。

このときわたしは、ある「遊び」を取り入れた。
「なんちゃってゴーストライターごっご」だ。
言葉遣いや改行箇所、絵文字のチョイスなど、まみーごになったつもりで文章を作ってみたのだ。

その文章はほぼそのまま採用され、まみーご本人によって、イベントのFacebookグループページに投稿された。
(このことはまみーごと「いつか種明かししようね♡」と話していたものの、それっきりになっていた。この場を借りてネタ晴らしさせていただく)

#11

7月17日、日曜日。
卓球仲間との宅飲み(卓飲み)の翌日。

この日は写真集計画作成の続きをやると決めていた。
リリース日の10月10日まで、とにかく時間がない。
計画に何日もかけていられない。

普段から、何かの計画を立てることは多かった。
仕事でも、プライベートでも。

本業の仕事(英語と子どもに関わる職場)では、年間を通じて様々なイベントが催される。
必要な準備事項をリストアップし、イベント当日から逆算してスケジュールに落とし込む作業を、日常的に行っていた。

プライベートでは、まさに宅飲みの計画などだ。
ゲストの顔ぶれをもとに献立を考え、買い物リストを作る。当日はゲストの到着時間から逆算して掃除や買い出しを済ませ、冷蔵庫で冷やすもの、煮込み時間が必要なものなどから順に料理を作っていく。

とはいえ、写真集の計画作りは何もかもが未知数だった。
なにしろ冊子の製作も、クラファンも経験がない。
以前勤めていたIT企業で印刷会社とお付き合いがあり、「校正」「入稿」などの用語を多少見聞きしたことがある程度だった。

そこで再び、まずはネットでの情報収集から始めた。

「写真集 作成方法」
「写真集 印刷会社」
「クラファン サイト おすすめ」

など、キーワードの組み合わせを何度か変えて情報を検索した。その中から信用できそうなサイトに書かれた情報を洗い出し、順番に並べていった。

何も分からず手探りで計画を立てるのは、エネルギーを要する作業だったが、同時に楽しくもあった。
これを機に本当に写真集が作られ、世に出回るとしたら、なんとも夢のある話だ。そんなストーリーの一端を担うかもしれないという状況にワクワクしていた。

わたしがPCで作業する横では、生後5か月を過ぎた息子が布団に寝転がり、そばに置かれたおもちゃを掴んではキャッキャと声を出して遊んでいた。
計画作りに煮詰まったときは、息子を抱きしめて声をかけたり、高い高いをしたりすることが、程よい息抜きとなった。

そんなこんなで、ひとまず完成した計画がこれだ。

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写真集計画

まだまだ粗削りながら、ひとまず「なんだかできそうな気がする」レベルのものは作れたなと感じた。

出来上がった計画を、まずはまみーごに共有。
するとすぐ「すーごーいー」と返ってきた。

その後、アビリティデザイン講座のFacebookグループページにも共有した。
何かあれば指摘してほしい旨のコメントと合わせて。

これに対し、複数の方から「すごーい!」などのコメントを頂いた。
コメントの一つ一つがありがたく、心強く、励みになった。

だがしかし、これは何も経験がない人間が、無鉄砲にもネットの情報だけを頼りに想像で作りあげた計画だ。
どうしても「これで大丈夫なのか…?」という不安がつきまとった。

#12

不安を完全に拭い去ることは難しい。
ただ、一時的でもそんな気持ちを忘れさせてくれ、癒してくれる存在がいることは、有難いなあと心から思う。

わたしにとって、夫と息子の存在はいつだって心の支えだ。
手前味噌かもしれないけど、夫は人の気持ちに寄り添うのが本当に上手い。(エレコ属性は「地水」だ)
このときもわたしの話を親身に聞いて、不安に寄り添う言葉をかけてくれた。

そうかと思えば、息子と一緒に全力ではしゃいでいる。
(全力で、だ。大事なことだから二度言う)
その様子を見ていると、こっちまで気持ちが軽やかになる。

そしてもうひとつ、癒しになったのが「ぷよぷよ同好会🍛」の存在だ。

この頃、ぷよぷよ同好会🍛では、オフ会ができたらいいね、と話をしていた。オフ会の開催時期に関しては「まみーご写真集が終わって落ち着いてからがいいね」と言ってもらった。

しかし、そこはまみーごのことだ。
きっと写真集の完成を待たずに新しい「なにか」が出てくる。
わたしが彼女に巻き込まれにいく限り、一段落つくことはないだろうな、と予想していた。(そして、その予想は見事に的中した。笑)

そういうわけだから、写真集のことは気にしなくて大丈夫、と伝えた。
そのうえで、
「ここの空気感、ほんとに癒し」と、追加でメッセージを送った。

#13

そもそもなぜ、自ら計画係を買って出たのか。

計画を立てることが好きだから、という面はもちろんある。
しかしそれ以上に、「言い出しっぺの責任感」による部分が大きかった。

写真集とかどうかな?と、最初にまみーごに持ちかけたのは自分だ。
であれば、本当に作る流れになった以上、実現に向けて責任を果たさねばという思いがあった。
そして、責任感を強く感じていたがゆえに、計画に対して「これで大丈夫なのか…?」という不安も大きかったのだと思う。

エレコのコミュニティでは、毎朝「シェア会」と呼ばれる朝活が行われている。計画の公開から数日後のシェア会で、わたしは写真集作成に対して感じていたワクワクや不安、責任感を、ありのままに話してみた。

それに対し、様々な視点からフィードバックをしてもらった。なんてあたたかい環境だろう。
その中で、琢磨さんから「あーりんは責任を感じる必要はない。万が一、計画がうまくいかなかったりしたときに責任を取るのはまみーごの役目」とのフィードバックを頂いた。

この時まで、計画が頓挫したり、うまくいかなかったりしたときに責任を取るのは自分であり、むしろまみーごには責任を感じてほしくないとすら思っていた。
琢磨さんのフィードバックは、ちょっとしたパラダイムシフトだった。

その日のシェア会にまみーごは出ていなかったが、毎朝のシェア会の様子はアーカイブが残るため、あとから視聴できる。
まみーごはアーカイブで一連の流れを聞いたうえで、
「ワクワク作ってくれてほんとにありがとう!
そしてたくまくんが言ってたみたいに、責任はわたしがとりますゆえ!
その辺はいい意味で押し付けてね~」
と言ってくれた。

なんとも「風」人間らしい、彼女の器の大きさがありがたかった。
そして逆説的なようだが、責任感から解放されたことで
「なんとしてもこのプロジェクトを成功させよう」
と、より一層強く決意したのだった。

さて。
威勢よく決意したはいいが、果たしてどこからどう進めるか。

具体的な動き方が分からずにいたところ、思いがけない追い風が吹いた。それによって、写真集プロジェクトは大きく前進することになる。

こみーの参入だ。

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