2010年の終わりに、さようなら。

2010年の終わりに、さようなら。[編]
お久しぶりです。
2010年ももうすぐ終わりですね。
更新通知が70名になり前件の
更新から10何名の方が増えて
嬉しさとほとんどMEMOしか
更新していないのにこんなもので
いいのか、と少し不安に思いつつ…。

2010年が終え、新しい年が
明けるということでgdgdと、
所謂自己満、オナニー的な感じで
今年一年を振り返ってみようかと思います。

コメント返しは、追記にて。

以下、gdgd長文注意。

高校2年生に上がる頃。
予期不安等々が怖く学校にも
ろくに行かずに、自分を偽れる
ミナミへよく出没していた。

予定は特にない。
する事も特にない。
だけれど大金と虚しさだけは
持っていたから華やかで、
非現実的な、そんな場所が心地良くて。

夜のお友達もたくさん出来た。
初めて行ったホストクラブも
16歳にも満たない頃で、
キャッチやスカウトされれば
そのまま遊びに行く、という毎日。

家庭でも上手く行かず荒れていた。
もし父親がこの世に居るならば、
同じくらいの、それともそれを
上回るくらいの男性に買われる日々。

当初は食事代だけが欲しかったものの
一度襲われてしまえばどうでも良くなって。
大金を手にすると何故だか大きくなった気がして。

だけれど虚無感ばかりが残り
結局都会へ逃げる、その為に
お金を稼ぐ、という悪循環。

薬と、大好きな貝印の剃刀と、
大嫌いなジン40%のお酒の毎日。


結局初夏を過ぎた頃、
ガールズバーで働き、警察、
閉鎖病棟入院、という感じで
気付けば秋になっていた。
わたしが季節の変わり目に
気が付かぬとも世界は廻っているんだと。
少なくともお金に依存していて
お金が無いのはわたし自身の価値が
ないのだと酷く思って辛かったけれど、
寂しさ故に誰とでも遊び回るのも、
股を開くのも、価値がないだけだと
虚しいだけだと気付いた。
その時のわたしには必要なもの
ばかりだったのかもしれないけれど。

二学期が始まっても学校も憂鬱で、
自分の汚さが浮き彫りになる気がして、
怖くてほとんど行かないまま
全日制の高校から単位制の学校に転入。

その後、車で2時間程の距離に住む
恋人ができ、少しは親から見た
「普通」に近付けたかな、と思った。


だけれど安定はしてきたものの、
やっぱり根本的な虚無感や衝動は
無くならず感情にも波があり、
それでも明るいわたしを好いてくれた
恋人だったから、精一杯「普通」な
彼女で居ることに努めた。
自分にも、他人にも厳しくて
尊敬していたけれどなんでも
「甘え」だと言われるのが怖かった。


丁度その頃。
昔から仲の良い幼なじみの男友達と
夜中に会う機会があった。

友達の友達の、という風に
その場には十数人の男の子が居て。
その中に、彼が居た。

それが丁度いまから1年…と、1ヵ月前。

あの頃の彼は全くよく分からなくて。
大人しい、だけど毒舌な、
控えめだけれどはっきり物を言う
人間なのかな、程度の印象。

彼もわたしもあの頃は
互いに表面上だけの皮を被り
本当の意味で気を許すことも
共感することもなかった。

まれに連絡が来ては
「久し振り」、と他愛もない
世間話をするだけで。

当時の恋人へのクリスマスプレゼントに 悩んでいたわたしに
「何も渡さないことがサプライズ」
と微笑気味に笑う彼に
つられて笑ったことを思い出す。

本当に、この頃は。
現実、理想、常識、願望だなんて
深く考えもなしに一般常識に流され
恋人が思う可愛い女性、
世間一般で言う普通の彼女、
になることしかなくて。

彼と深く関わるようになって
弱音を吐き、思想も吐き出し、
共感を求め、本来の自分を
やっと見付けられた気がした。


年が明け2010年に変わり。

開ける事のないカーテン、
剃刀、薬、ガス、蛇にピアスを
延々と流しているだけの無音なBGM、
厨二程度の墨、水と煙草だけの生活。
毎日苦痛に溺れる日々にある
唯一安らげる時間だった。

そんな毎日に、必ず彼の連絡が届いた。
ODをして連絡を返せないでいると、
何重も連絡をくれていた。


薬で眠って長い間寝続けた後は
彼と数時間も電話で会話をし、
電話を切った後また薬を流し込む。


いつの日か、
「俺のものになれよ」と彼は言った。
「奪いたい」とも言った。

恋愛感情なんてものは
存在すらしなかったけれど
本当に、そうしてくれればと。
まだ一般常識に縛られたわたしは
それらを曖昧に、有耶無耶に、
受け流す日々。

「何もかもが嫌になった時は
全て捨てて俺のところに来い」と
殺してやる、とも言った彼と言葉に
いつでも死ねるという安心感が
嬉しく、少し気が楽になった

そうして気力が少し湧いた頃、
キャバクラへ入店。
忙しさにゆっくり彼と連絡を
取ることもなく。

彼の居心地の良さに
多少の依存はしていたけれど
打ち込めるものが見つかると
彼との距離に少し溝が出来た。

当時の恋人には振られ、
また新しく同業の恋人が出来た。

キャバクラを辞めてすぐ、
また苦痛の日々が始まった。
そんな時に彼からの一言、
「うちに来いよ」と。

すぐに荷物をまとめ2度目になる
彼の家へ向かった。
長居しても3日程度のつもりが
彼の言葉に甘えしばらくお世話に
なることにした。


衝動に駆られ、苛々し切りたくなれば
首を絞めてもらう、完全に
わたし一方が寄りかかる毎日。

たまに遊ばれるようにもなった。
性別の意識もなく全てをさらけ出せる
相手が彼だけだったために
それをされるのは嫌だった。
男と女だけの関係になってしまえば
それはとても虚しいから、
彼とだけはそういう風になりたくなかったから。


だけれど苦痛を求めていた。
剃刀よりも欲しがった。
だからと言って誰でも良かったのか、
と問われれば、それも違う。

気紛れに、遊ばれて。
拒否はするものの彼なら良い、と思っていた。

だけれどいつしか求めるのは
わたしの方からになっていた。
怒らせたくて、殴られたくて、
首を絞めてほしくて、叱咤されたくて。
キスをしてほしくて。

マゾヒストな感情とは違って
まぁそれでも達していたのだけれど
快感よりも欲しくて欲しくて
堪らないものがあって。

初めてセックスをした時も、
本当は嫌だった。
そんな関係にはなりたくなかった。

でも。
そうしないといけない気がして。
今、彼と繋がらないといけないような、
そんな気がして。

宗教すら聞き入れもしないわたしが
こんな事を思ったのも可笑しな話だけれど。

この時にまた「仕事」と称して
体を売っていたけれど、
彼と繋がった途端今までに無い程の
嫌悪感があって。たまたま鏡に写った
自分の作り笑いに本気で吐き気がして。
気を紛らわせようと彼を
思い出したけれど。
この人は彼じゃない
この手は彼じゃない
この背中は主人じゃない、と
気付かずまま無意識に、
その呼び名が浮かんだ。

それからは、ただ虚しくて
ただ嫌で堪らなくて、
ご主
人じゃないと顔を枕で隠して泣いた。

帰ってからも、
彼は抱き締めてくれた。
汚いよ、と笑ったけれど
汚くない、と抱き締めてくれた。

「やめろ」、とも
「俺が何とかする」とも言ってくれた。


「仕事」に行く度子供のように泣いて
感情を腕に向けたけれど、
段々と嫌悪感だけが目立って
触れられるだけの行為だけで
すごく痛い、と感じるようになって
体も反応しなくなって、
馬鹿みたいに「天職かな」だなんて
思っていたけれど、
あぁ、もうこの体は使えないな、と。

それから本当に今更、辛くなって
「仕事」に行くこともなくなり、
その後行為の時に何度も言葉に詰まりながら
泣きながら、途切れ途切れに、
「キスしてください」とせがんだわたしに

彼は馬鹿にしたように、可笑しそうに、
感情の起伏にも気付けない程冷静に、
口角を釣り上げて笑った。

涙を流しながら、その顔を捉えて、
「あぁ、もう逃げられない」。

戦略だったのかな、と
こうなる事も分かってたのかな、と
彼には、全て見透かされていたのかな、と思う。今でも。


それでも恋愛感情はなかった。
恋愛独特の胸の高鳴りも、初々しい恥じらいも。

だけれど彼には、
わたしを彼のものにしてほしかった。
逃げたくなったとしても逃がして欲しくないと思った。
殺してほしいと思った。
彼氏、よりも「主人」になってほしかった。

ありきたりな共感よりも、
気が遠くなるような快感よりも、
映画みたいな甘い時間よりも、
安心感や父親のような無償の愛や
温かさが欲しかった。

共感も快感も甘い時間も、欲しい。
けれど、まず先に安心感や愛が欲しかった。
それらが満たされて次の欲が出てくる。


彼氏彼女の関係になる必要性は
無かったのかもしれないけれど、
独占欲と支配欲が欲しかったので、
同業の恋人に別れを告げ、
彼氏彼女の関係になりました。

彼氏彼女や恋人、という言葉では
表したくはないけれど。
表面上は彼氏彼女として束縛され
束縛したいのです。

それから彼の家からわたしの家へ、
という風に実家で同居という現在です。
今は2ヶ月前からお互いの実家で
暮らしているけれど。

その間も色々ありました。
母親がガンを患って親戚に
援助してもらっていたとはいえ、
支えてくれたのは彼でした。

本気で嫌悪感を剥き出しにして
手を上げられ
「じゃあ殺して」と
包丁を当てがわれ泣いていた夜中の別れ話も、

欲望のまま本能のまま、
首元に手を誘い、締め上げられたのも
傷口を差し出した行為も、

外で血を流しているわたしを
見付けて手当てをして抱き締めてくれた夜も、

くだらない事ばかり言い合って
それすらも楽しくて笑った日も、

映画の余韻に浸りながら
ひたすらに夢物語を語った
朝日が昇ったあの朝も、

「殺したいくらい愛してる」と
「愛しているのなら殺して」と
言い合った日も、


いつも、彼が居ました。

幸せばかりか、と問われると
今まで以上に辛いと感じる事も
多い1年でした。

離れてから、
辛く感じる事も増えました。
だけれど彼は隣に居てくれます。
わたしはずっと彼と居たいです。


色々な事があり、
辛い辛いと悲劇のヒロインじみた
わたしではあったけれど、
自業自得な部分もたくさんあります。

地味な日々を送っていると感じていたけれど、
こうして1年を振り返ると
とても充実したある意味人間らしい、1年でした。


来年のわたしも、今年よりも
成長していればな、と思います。
というか成長したいです。

この1年で色々な事があったように
来年も何があるかは分かりません。
ただ、強く生きていたいです。
彼に、生きていたいです。

この考え自体が
弱いのかもしれないけれど、
それが辛くても生きたい、と思える
生き方なのです。

ここまでお付き合いしてくださった方、
1年の終わりにまで、または新年早々
こんな記事で申し訳ないです。
ですがありがとうございました。


少しだけでも関わってくれた方、
物凄く助けてくれた方、
そしてご主人。


本当に、ありがとうございました。

来年度もこんな愛澤を
よろしくお願い致します。


愛澤。


追記無理でしたので。


___まき様

ということは、
年が明けるとお会いできるのですね。
楽しみもありますが、不安も
あるのではないかと思います。
約束は、ただわたしが彼から
離れたくないばかりに自分自身で
縛っているだけですよ。
苦しいけれど、彼と離れる事程
今のわたしには辛い事等ありませんので。
どうか無理をなさらないように。

___ありさ様

初めまして、嬉しいお言葉、
素直に嬉しいです。
ありがとうございます。
本当の気持ちなら年なんて
関係ありませんよ。
そんなわたしもまだ18ですので。
素敵ですよ、そのお気持ち。
ですが辛いですよね。
時が解決するなんて言葉もありますけれど、 そんなもの当事者には
辛いものでしかないものですよね。
他人は騙せても自分の気持ちは
騙せない
難しい問題です、すみません、
何も言葉が出なくて…。
ただ、ありさ様がわたしに
そのように思ってくださるように、
ありさ様にもどうか幸せを掴めるように、
と祈るばかりです。
どうか後悔のないように。