年年歳歳、善悪の花占いは山海反転し、初めて始めてに戻る
三ヶ日の散歩により、原神のイベントでありそうでなさそうなタイトルが発生。これでどことなく新年の厳かな空気感が出るというもの。
一枚目:善
オギャり。
すべてに興味をもつ無邪気な愛情がすべてを破壊する。
自分がしたこともわからず泣く。
スキなものを壊したら壊れたから泣く。
スキなのに壊したら壊れられてイヤになる。
二枚目:悪
つたなさ。
はじめから拗ねていても拭えぬ愛着がはじめから破壊する。
スキなのに壊れるからスキにはなりたくない。
スキにならないためにキライしか知らない。
キライだから普通に壊れるけどスキだからいやになる。
三枚目:善
はじらい。
スキでもキライでも壊してしまうなんてキライ。
スキにウソはつけない自分をわかる。
でもスキもキライもよくないからなにもできない。
スキなのになにもできないからイヤになる。
四枚目:悪
さすらい。
スキなことなのにつらいからキライ。
わかっていてもなにもできない。
なにもできないからキライにしかなれないことも含めてイヤすぎる。
イヤすぎてスキではなかったことにしたくなってくる。
五枚目:善
あきらめ。
なかったことにしてもなかったことにはならない。
あるものはあるから。
すきなものはすきだから。すきでもきらいでもあるから。
スキ、キライ、スキ、キライ、スキ……。
山と海が三度も裏返るころ、一輪の花をむしり終えている。
はじめての花占いを始めて終える。
すると、ぼくたちはスキとキライをわかった。
いいや、わかった気になれた気がしてくる。
一枚たりない? そこはたりない方がいい。
オバケになりたくないならね。
タイトル思いついた時点ではいつものノリ(約2000-3000字)で書こうかなと思っていて、時間が空いて着席したらぜんぜん量を書く気がなくなっていたので普通にポエムにした。うん。普通にしてたらポエムにはならない。
そもそもは昨今の本にせよ放言にせよ、倫理観のジャンルって今だけを切り取ったこまぎれカーニバルだな~~~もうちょいサイクルとしてちゃんと描写せんもんかな~~~というボヤきを実際にサイクルにしたかっただけであった。
そこに年末年始に児童がスキキライですったんもんだする作品とか、〇百年生きる種族が人間を看取る話とかそういうのを見た影響で普通に出汁とった感。透き通った綺麗なウソの人生を見て、その出涸らしの栄枯盛衰を霊視したのである。
人生の聖書とかなんとか言われるものは色々あれども、だいたいそういうのは立身出世すなわち子供から大人への一筋の道がせいぜいで、回り道ももちろん書いてあるものはあるのだけど、網目上に「街」を成すほどにあちこち書かれまくっているものもない。書きようがないとも言う。
で、街並みを要約すると、読む側からは一筋の道に見えてしまう。街を知らなければ街並みを想像することは難しい。そんなわけで七転八倒しながら人々が「ちゃんとしようかな」と思ってきたPDCA軌跡をオリジナル・ポエムにしたとて、知らんものは知らんので想像してもらうことは難しい。
ここまでの流れ全体として、この空気おごそか~ってな感じでしみじみとして永劫回帰から日常回帰の準備運動とする。
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……