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高望みと高誇り

 この双子悪、部下にいそう。

 たぶん上司は強欲かな? と思ったら強欲師匠は金銭欲と同一視されていたり、高望みはほぼほぼ金だけどそうじゃないとしたら虚栄と高慢? と思ったら高慢がヤバすぎて、この世すべてから煮出された灰汁アクとして別カテゴリを切られていたりする。

 記憶頼みの昔話はソースとなった書籍の公平性に委ねられており、目玉焼きのしょうゆ派閥とソース派閥のように、きのことたけのこのごとく永遠の戦火を宇宙に顕現させてしまう。

 まったく故事、諸説ありすぎて困る。

 さて高誇りって造語いきなり何やねんという話であるが、善と悪を対消滅させて虚無の平和を織り成そうぜという話である。結論が第二宇宙速度でどっか行ったし、いや対にしても罪と罪は対消滅しやんぞ、となってしまう。でもこれから書くのはそういう話。

 * * * * *

 まず高望みと言えばかつて諫められており、近年はトレンドとして正当化甚だしく、至近では「おや……? 高望みのようすが……?」という観測があったりもする概念のことである。

 インターネットの発展かしましく、怠けるためなら徹夜も辞さぬ七つの大罪「怠惰」の使令、エンジニアという最適化の権化によって、勢いあまって人間の欲望が最適化されすぎた。都合よく強欲にマッチングしたすぎてマッチングしなくなった。そういう深淵の闇が浄化の光を放って漆黒のウェルダンにローストした豚こと我々の話である。

 人間だれしも分を弁えるというのが人生のマナーであり、その線引きは押し引きされ、推しては挽き回されて時々肉片が飛び散る。こわい。焼肉と挽肉。そんな死に方はいやすぎる。そういうわけで足るを知らしめよう。

 で、高誇りってなんやねん。


 説明しよう! 高誇りとはプライドたけーというだけのことを高望みと対にカップリングするにあたりどーーーーーしてもリズム感を「合わせ」たかったのである……それだけ……。

 いや高望みは一周回ってやめとけやーという話は当社比では当たり前すぎてつまんなくなってきている中で、対岸のことが気になってきてしまったのである。いや散々高望みに文句垂れてるけどさァ……そうは言ってもな……さすがに常識的に考えて感謝を忘れすぎだろ……というような。

 自己言及性の慎み、弁えを失った存在は本当にカッコよさもキャワいげもない。端的に言ってクソである。が、肥料クソは肥溜めにあり。川に水はあり、塩は海にあり(ときどき岩)。

 前々々世であまりにも誇り高いクソが散々人をゴミのように使い倒してきたという話で現々々世はこういうクソになっており、そこに使い倒す側のゴミがドヤるのはクソだけど普通である。

 問題は肉屋に駆け込む豚である。いやさすがに同じ豚として恥ずべきことではないブヒか?!?!?!? とブヒってしまうのである。いやお前ら「そういうとこ」やぞと。散々挽肉にされてブーたれておったろうが。都合のいい時だけ肉屋を頼るな。

 もう挽肉にされとけ。おいしいから。


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 じゃあ……しゃぶしゃぶになってくるね……。

 地獄の秘湯・五右衛門風呂目指して概念的な別れを告げるほかなかった豚としては同時に思うのである。「これは対消滅……あるか……?」と(論理の飛躍ロケット発射)。豚は焼いても挽いても茹でてもうまい。豚目線で「そんな残酷なことはやめて!」というのもアホらしくはある。人間目線で言えばどっちでもいいし、面白くさえある。

 善悪の彼岸もクソもごった煮になった現代で、正義を騙るクソをクソと言ったり、しからば悪と指差されても構わぬと胸を張ったり、いや正義は原義的に正義で悪に正義が簒奪されただけだから正義は正義と言い募ってなんかもう論点迷子でめんどくせえなとなったりする。

 それでも豚は食べればうまいし、クソクソをぶつけると加法混色では白に焼き尽くされ、減法混色ではグレーにはなる。ならばクソクソを減点方式で論戦ディベートさせたら多分対消滅する。だって両豚クソ過ぎて観客にんげんが引くから。

 こ……こいつらヨダレまきちらしてさァ……なんか……きたねぇわ……とはなる。デロンデロンの精神の煮凝りの下に隠された凶器。その筋線維による力士めいた衝突はトラック級のダメージを発生させる。常人が気の迷いで仲裁すべく間に入ればしぬ。触らぬ邪神に祟りなし。

 だから、全体的にはなるようになる。俯瞰すればなるようになる。身近を振り返ればそんなことは起きていない。いないが、稀に個別具体例にぶち当たる。属性が合致マッチングしていないなら争いは無意味だ。争いの仲裁に入るなど無意味を越えて負意味でさえある。イミフである。

 さて、逆に考えると高誇りを嫌う豚は高望み寄りであろうということも推察できる。では誇りが望みと倒錯してしまった可能性を持つわたしは、望みと誇りが倒錯した豚と対消滅マッチングすべきなのか? そんな豚は聞いたことがない。虚無フィクションの中にしかいない気がする。

 まあ、豚だけど力士じゃないから何もぶつかり稽古せんでもいいという話ではある。行司も真顔でこっち見てる。お前は力士じゃない。ただの豚だ。土俵から畜舎に帰れ。いいから普通に人類と仲良く食っちゃ寝をキメればいい。いつかお声が掛かるその日まで。

われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……