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会津戦史 9月14日

9月14日(新暦10月29日)
この日は、西軍大砲撃の日となりました。小田山からはアームストロング砲が火を噴きました。西洋の最新鋭兵器の威力がいかんなく発揮されたのです。砲弾は小田山だけでなく各方面から撃ち込まれました。城中にいた山本八重子はのちに、

火天を頂き、火の海に立っているようでした

と語っています。

この砲撃の中、八重子は夫とともに果敢に応射!一時小田山の砲台を沈黙させるほどの働きをみせました。

しかしさすがのこの反撃も、形勢を逆転するには至らず、お城には砲弾が雨あられと撃ち込まれました。そしてそれに伴い西軍の大攻撃が行われたのです。


が、それでも城は落ちませんでした。


食料も銃弾も減り負傷者は増すばかりの状況で、それでも城を支えたのは、

会津武士道でした。国のため、会津のため、容保公のため、信ずる大義のため自らの命を捧げ戦うこの生き様こそが会津の誇りでした。



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