見出し画像

由良と私

こんにちは。やしまです。
趣味で漫画を描いている人間です。

突然ですが、由良という町をご存知でしょうか。
和歌山県の中部西側にある、海沿いの町です。
県外の人にはあまり馴染みがないかもしれません。

由良港からほどなくして

私はこの由良という町がとても好きです。
好きというか、愛しています。
美しい町の風景、優しい住民。美味しいご飯。
すべて、すべてが愛おしくてしょうがない。

私がこの由良にはじめて訪れたのが高校生の時。今から10年は前のことです。
当時入っていた部活動の一環で、白崎海洋公園へ行くことになりました。

最近撮った白崎。天気は悪いです

白崎は由良の中でもいちばんの観光スポット。
石灰でできた巨岩たちが、ターコイズの海に美しく映える‪「日本のエーゲ海」です。
道の駅もあり、バイクでツーリングをする人や家族連れ、カップル、いろんな人で賑わいます。きっと、由良を訪れる大半の人の目的がこの白崎です。
高校生の頃の私も一目で惚れ込み、何度も何度も人に語りました。これほど美しい場所があるとは思っていなかったのです。
余談ですが、母も同じようなことを言っていました。

ただ、私が由良の町でいちばん好きなのは由良港です。町の中心部にある、ちいさな港です。
付近に海上自衛隊の分遣隊があるため潜水艦が時々いたり、付近のドックでは巨大なタンカーが修理されていたり。
かつて第二次世界大戦の頃に重要な場所であったため、戦争の跡が残されていたりもします。


ここからはかなり私事になりますが、かつての私は仕事でかなり疲弊し、グロッキー状態でした。
毎日毎日苦しみの連続で、嬉しいこと楽しいこと、輝くことなんてなにひとつない。パワプロで例えるなら、投手が打ち込まれてピヨピヨしている状態です。
道を歩けば車道に飛び出すことを、電車に乗れば駅のホームに飛び込むことを、歩道橋にいれば下に飛び降りることを、毎日毎日考えていました。
ぜんぶなんにもなかったことにしたい。私のことなんか忘れてしまってほしい。LINEも各種SNSも消してすべて終わらせたい。友人たちからの連絡も全て無視し、ひとりぼっちになっていました。
そんな日々を過ごしていたさなかです。

全部なかったことにするのなら、その前にあの白崎の海を見たい。

なぜかそう思い、思い立ったが吉日、電車に揺られながら由良へ赴きました。



夏の紀伊由良駅

まず迎えてくれたのはレトロな駅舎。
虫がいたり多少のボロさがあったりしましたが、そんなことはどうでもいい。
その時は秋でした。秋の空と目の前に広がる黄味がかった緑、そして時間が止まったような駅舎。
これだけで充分でした。
降りた瞬間に心を鷲掴みにされました。

駅からはバスが出ており、そこから白崎へ行けます。
しかし、この日は平日。白崎行きのバスは土日にしか出ていません。有給の日に訪れたのが不運でした。当時は県外の都市部に住んでおり、マイカーを持っていなかったのも不運でした。
歩こうか、とも思いましたが、2時間弱かかります。道中倒れたら迷惑になる。
タクシーに乗ろうか、とも思いましたが、客ひとりで白崎まで連れてってもらうのは申し訳ない。


じゃあ由良港に行ってみようかな。30分くらいだし。そうしてとぼとぼ歩き始めました。


道中、すれ違う人はいません。
車がすいすい通るだけ。
風がそよそよ吹いてるだけ。
太陽がぎらぎら光るだけ。
それだけの道でした。
それが心地よかったのです。
他の人からすれば‪「なんにもない」のかもしれませんが、私にとっては‪「それがあった」といった感じでした。


歩き続けて、潮の匂いがしはじめました。
海が見えてきました。


夏の由良港

そこには、小さな港がありました。

夏の由良港


ちいさな漁船たちが、きらきらひかる水面にぷかぷかと浮いていました。似たような船たちにも、それぞれに個性があり積載物が異なっていました。

そのそばでは、漁師と思われるおじさんたちがのんびり道具の手入れをしていました。時間に追われることもなく、誰かと争うこともなく、道具を見つめたり、片付けたり、逆に出したり、そんなことをしていました。


時が止まったか、別次元に移されたか、
音が聞こえなくなった感じがしました。
ずっと港の様子を見ていました。


ちいさな港。

ここを生活の拠点としている人々の、海の営みが見える。白崎のような自然の雄大さや、呉や横須賀のようないかめしさ、格好よさ、壮大さもない、ちいさな港。
それがとても美しかったのです。


ここだけが、この由良だけが、
この狡くきったねえ、ろくでもない世の中から取り残されたように、美しく静かに佇んでいました。


気がついたらぽろっと涙がこぼれていました。
よくわからない感情でいっぱいになりました。
それでも、‪「美しかったから」 それだけで説明がつくほどに、すばらしいものだったのです。

ああ、生きてみようかな。
なんとなくそんな気になりました。


ひとしきり海の営みを見た帰り、由良の人々を見ました。
町に唯一あるスーパー、Aコープでは地元のおばあちゃんたちが楽しそうに談笑していました。駅の近くにある、町で唯一のコンビニでは愛想のいい店員さんが応対してくれました。
駅に停まっているタクシーの運転手さんは、にこっと笑いかけてくれました。

行きの道では人を見ずにずんずん歩いていましたが、帰りには人を意識できました。
優しそうな人がいるんだなあ。そんなふんわりしたぬくもりが心に生まれました。なんとなく、救われた気持ちでした。

この時から、
まあ人生いろいろあるか。
なんかどうでもいいや。
良い悪いもクソもあるか。

がんばろう。

そんな気持ちになりました。


今でも私は由良が大好きです。
定期的に訪れて、特に何かをするでもなく町を歩き(徘徊とも言います)、景色を見ています。
訪れるたび、人に優しくされます。
お寺や神社で出会った人は、みんな笑顔で会釈してくれます。道ですれ違ったときは、こんにちは、と挨拶してくれます。
ただそれだけのコミュニケーションが、心地いいのです。深く複雑でまどろっこしいものは疲れる。やさしさがある簡単なしぐさと言葉、それだけで充分です。

そして何より変わらない由良の港の景色。
いつも、いつまでも、青い。青い。
‪「由良」の語源の説に、‪「水面が『揺れる』」というものがあります。
ゆらゆら、水面がゆれています。
青く揺れる由良の海は、
いつまでも美しくあってくれます。
記憶の中の、あの日の景色のとおり、
美しく存在しています。

海辺を歩く

今年のお盆に、また由良へ行きました。
ただ、由良港の空気を吸う。
生きている心地がします。
それだけで充分です。
ここにいるだけでいいのです。

私は二度、由良の町に惚れました。
きっと三度目もあるのでしょう。
何度も何度も惚れ直して、また行きたくなる。
それだけの魅力がこの町にはあります。


美しくやさしい由良の町。
私にとっては、生命の源です。

生かしてくれてありがとう。
いま、とっても人生が楽しいです。

いつか、この町に恩返しがしたい。
ひとりよがりな愛が、ただ今も続いています。


慰霊碑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?