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★歌詞考察③★【推しの子】2期OP【ファタール】


【ファタール/GEMN】

■今回は下記の歌詞の考察です

致命的な欠落をくれたね
身勝手な巨星 狂わされた生

■誰もが持つ「致命的な欠落」

「致命的な欠落」という歌詞は、この曲の核心とも言える部分です。 これについて、GEMNのHP「Message from Tatsuya Kitani 」のページを見ると、次のように書かれています。

喪失の経験、承認に対する過剰な飢餓感、自身の外部の特定の事物への依存傾向など、なんらかの「”私”にまつわる致命的な欠落」を抱え、その欠落をも利用して自己実現のエネルギーに変えるために「モノやコトを創る/それを人前に立って発表する」道を選んでしまったこと。

アクアとルビー、舞台に立つ俳優たちやクリエイターたち、GEMNを名乗る僕たち二人、それにおそらく星野アイまでもが共通して持っているであろう歪みがそれですが、その歪みこそが煌めきの源泉であると【推しの子】は教えてくれました。

GEMN HPより
https://gemn-official.com/

これをふまえると、アクアにとっての「致命的な欠落」とは、「アイを失った経験」—「喪失の経験」です。

アクアはその経験によりPTSDになりましたが、舞台『東京ブレイド』ではそのトラウマを感情演技として利用し、見事な演技を披露しました。

「承認欲求の飢餓感」は、有馬かなが初のB小町ライブで「私を見て!」と胸中で叫んでいたシーンが思い出されます。その後、アクアのヲタ芸を見たかなは、「アンタの推しの子になってやる!」と煌めきを取り戻していましたね。

■身勝手な巨星(スター)

次に「身勝手な巨星」について。

「身勝手な」で想起するのは、舞台『東京ブレイド』の稽古で、有馬かなが姫川大輝と演じるシーンですね。黒川あかねは、有馬かなの「調整役に回らない演技」を目の当たりにし、「あんな身勝手な演技ができる子じゃなかったのに」と驚いてました。

また、プロデューサーの鏑木勝也は、有馬かなが『東京ブレイド』の舞台で披露した演技を「身を焼くほどにまばゆい、太陽のようなスターの演技」と評しました。

この「スター」という表現について、原作マンガでは「巨星」に「スター」とルビが振られてるんです。つまり、「巨星(スター)」は「まばゆい光を放つスター」を意味していると考えられます。

まとめると、「身勝手な巨星」という表現は、まさに自分の煌めきを全面に押し出し、人々を魅了する星野アイを指していると思われます。

■狂わされた生

「狂わされた生」は、そんなアイに狂わされた"アクアの生"という意味ですね。「身勝手な巨星」と「狂わされた生」の「せい」で、韻を踏んでると思われます。

■今回はここまで!

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