私の高校生のときの文。

このころは、自分が苦しんでると自覚しながら苦しんでいた時期だった


うーん…。
私の価値観がおかしいのか。何を信じたらいいかわからない。もう何も考えたくない。一回全ての人間関係を清算してやり直したい。
嫌いな人を嫌いと思わないでいる自信なんてないよ。私、すぐ顔にでちゃうから。
それを割りきって、相手のいいところを探すのも無理だ、
 
相手に一つでもいいところがあったなら、私は嫌いになっていないし、そんな非情な人間ではないし。
世の中悪い人ばかりではないから逆に性格悪い人が弾かれる世界でもあるわけだから、いいところがある筈なんだけど。
その人が私を嫌いならしょうがない。
 
 
賢い人間になりたい。
 
立派な職に就かなくていいから自分のやりたいことをやりたい。
こう言えたら少しは楽になるのかな。一直線に真っ当で真面目な道を望む私に、終止符を打てるかな。
 
 
本当にこれでいいの?私のやりたいことは何?やりたいことなんてあるの?今がずっと単純作業の様に流れていけばいいのにって思う自分がいるでしょう?なりゆきで苦労しないで生きたいと思う彼女がね、こっちを見つめて囁くんだ。
誰かのいう通りに生きて行けば間違いないって。
 
私のやりたいことって何?
考えたら何も無くて。
やりたいことを考えると同時に、できることだけを考えてた自分がいた。
努力が煩わしくて、人に話すこともしないで、自分の出来る範囲のことしか望まないなんて。
ちっぽけな野心。ちっぽけな自尊心。
 
自尊心といえば…現代の授業でやった『山月記』を思い出した。
知ってますか?
エリートの道まっしぐらで、自分はもっと出来る人間だと傲り昂って、その性格のせいで虎になってしまった李徴という男の話。

李徴が虎になってしまったのは、『尊大な羞恥心』と『臆病な自尊心』のためだという。
本当は自分に才能がないことを周りに知られることを恐れて、切磋琢磨をしなかった。自分が傷付くのが怖くて周りと関わらなかった。いや、関わりたかったのだろう、だけど彼は、自分は周りと馴れ合わないぞ、と自分から他人と話すのを避けた。
 
李徴の懺悔を聞いていて、
 
 
あぁ、私だ。
 
 
と思った。私にとても似ている。
他人と関わるのが怖かった。
みんなのことは好きだけど、話しかける勇気が出なくて。拒絶されるのが嫌で。みんながもうかけ離れていくのを見て、私はもう1人でもいいやと諦めた。3年間を棒に振るとわかっていても、吹っ切れたときの自分の冷めた表情と瞳は一生忘れられないだろう。
鏡のむこうの彼女は苦しかったよね。苦しかった。今は大丈夫、だからこう言って鏡のむこうの彼女を見つめることが出来るけれど、あのときの苦しさはあのときしかわからないよ。
1人になりたくないと1人で右往左往している私は苦しいくらいに必死で、滑稽なのだろうなと思ってた。
滑稽だと自分の肌で、視線で、感じてしまうのが怖くて、考えることを止めた。1人が嫌いで、怖くて、毎日が不安で泣きそうだったのに1人でいるのを知られるのが嫌で、1人が好きなんだと。自分から離れているのだと周りに思ってもらいたかった。
あのとき望んでいたのは、今の私が幸せでいること。未来の私が幸せでいることを毎日願っていた。いつか自分をしっかりと受け止めてくれる人が出来ることを糧に日々を過ごした。
 
自分はたいした人間じゃないと思い込もうとしても、少しのプライドが邪魔をして。
自分は他人とは違うのだと、そういうフリをして割り切って自分を守った。
 
 
 
 
 
自分が、嫌い、、だった。
 
 
 
『周りに好かれるには自分が一番自分を愛してあげなきゃ』
 
だって。
うん?私、自分大好きだよ?
私、やれば出来る子だからがんばればなんだってイケる!!
 
『あなたにはいいところがたくさんあるから』
 
 
大切な人に大切な言葉をたくさん貰った。
心が溶かされていく気がした。
やりたいことがなくて、ただ目の前の課題に躍起になっている私に、ずっと味方だと、そう言ってくれた大切な人。   
 
 
ありがとうって、大好きだよって、私が心からあなたが好きだと伝えたい。おばあちゃんになっても仲良く出来る友達で居たいと心から思う。
 
自分のやりたい道があって、人を助けることがあって誇りを持っているあなたを私は尊敬しています。

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