ごきげんよく暮らす。

このところずっとつよい希死念慮があって、本気で引っ越しを考えては移住先(想定)の賃貸アパートの相場を調べたりしていた(わたしは死をおもうとき安易に移住・引っ越し・ひとり暮らしを検討する悪癖がある。ようするにここじゃないどこかに行きたいのだと思う)(ちなみに移住先/想定の家賃相場、ワンルームの場合は最安で4万円、上を見れば果てしがないけれどだいたい8万円ほどらしいことをはじめて知った)
生理がきて、仕事がおちついて、冷静で正常な思考回路が戻ってきてくれた。体が動く、頭がはたらく。わたしは書きものが好きなので、それができない期間はほんとうにしんどかった。なにかを言葉を書きたいなと思ったので、ひさしぶりにnoteをひらいてみる。

さいきんのわたしは自分の「快/不快」をいちばんの判断基準にして行動している。
部屋が散らかっていると居心地が悪くて落ちつかないから、掃除や片づけをする。
体が汚れて気持ち悪いから、シャワーをする。
シャワーのあと、肌がパリパリに乾燥するのがいやだから、保湿クリームを塗る。
眠くて作業効率が落ちると自分を責め始めるから、お昼寝をする。他にもいっぱい。
当たり前の日常生活動作だけれど、惰性で、なんとなくお風呂に入っていたときより今のほうがすこし、楽しい。
石けん(わたしは石けんが好きだ。石けんという存在そのものが)をミノンの薬用石けんに変えたら、洗い上がりの肌がしっとりとして、とてもよかった。シャンプーとトリートメントもちょこっとだけよいものを、ラインで使いはじめた。乾かしたあとの髪の毛のまとまり具合いがちょうどよい。
物事をてきとうに選ばなくなって、てきとうな行動をとらなくなった。雑に買い物をしなくなった。以前よりほんのすこし、なのだけれど。
珈琲は豆から挽く、などというと、ああていねいなくらししてるね、と揶揄されてしまいそう。わたしはガス火で湯を沸かして、挽いた豆で淹れる珈琲がおいしくて好きなだけなのだけど。
ただ自分の生活を快く、楽しくしたいだけなのだけど。

「ていねいなくらし」について言及するつもりはない。そんな形骸化しつつある言葉なんてどうでもいいです。
わたしは自分が気持ちよく、ごきげんに生活をしたいと思っていて、そうすることで精神が安定することを知った。それはごくさいきんのことだ。
安達茉莉子さんの著書『私の生活改善運動』を読んでいて、そう、わたしもそう、と思いあたる箇所がたくさんあって、うれしくなった。
ミニマリスト(あるいは、ミニマリズムそのもの)や「ていねいなくらし」に憧れているわけではなくて(根底にはもしかしたら、そういうあこがれがあるのかもしれない。けれど)、ただ自分の「快い」という感覚をたいせつにしたい、という価値観。自分自身をたいせつにあつかいたいという、いっそう慈悲にちかい気持ち。
できているかといわれると完全ではない部分はたくさんあって、部屋はすぐに散らかすしお風呂が億劫でしかたのないときも多い。でもやっぱり、「不快だから」、掃除をする、お風呂に入る。どうせ飲むならおいしいほうがいいから、手間でも湯を沸かして豆を挽き、珈琲を淹れる。だってそうしたほうがわたしが楽しいから。

そうこうしているうちに、以前のなんとなく生きてる生活より、わたしはわたしをきちんと見つめていられている気がするのだった。
保湿クリームを塗るとき、肌の健康状態や肉の付きかた、骨のかたちを観察する。太ったなとか痩せたなとかの感想を持つ。もうすこし運動しなきゃなとか、もうすこしちゃんと食べようかなとか。運動をするとして激しい運動は負担になりすぎるから軽くて継続できるものがいいなとか、食べるなら罪悪感のすくないものからちょっとずつ食べようとか。クリームを塗るだけの数分のあいだにいろいろを考える。今使っているボディクリームはじつは香りがあまり好きじゃなくて、使いきったらべつのものを試したいと思う。どこのお店のものがいいかな、ちょっといいもの、にしてみようかしら。などと。

わたしを見つめることでわかることはたくさんある。すぐに死を思ってしまう現実や気分の浮き沈みは、もう、しようがないもので、たぶん一生のおつきあいになりそうだからほんとうにしようがない。でも、しようがないことをしようがないと思えるのもきっとつよさの一つだ。
死にたいと思いながらもなんとか自分のごきげんを取りつつその衝動をごまかして、せっせせっせと働いて生きてゆく。

朝に珈琲を淹れる時間が好きだ。前の日の夜、力尽きて入れなかったシャワーを浴びて、石けんを泡立てるのは楽しい。スキンケアをしているときがいちにちでいちばん、自分の体のようすを観察できる。
テーブルや棚をアルコールで拭いて、掃除機をかけてクイックルワイパーをして、すこしずつ片づいてゆく部屋を見るのは、うれしい。自分にもできることがあるのだと思えて。
生活はまいにちのことだから、無理しないように。自分の楽しい気持ちをいちばんに考えて。
そうしてくらしをやってゆくことが、今はこんなにも楽しくて幸福。