ママのことをちょっとだけ
『愛をこめて言霊を』を読む前に、ママのことでちょっとだけ知ってもらいたいことがあります。ママは小さなときから護られていることを知っていました。姿形はあなたたちが想像している「おばけ」のようなものと似ているかもしれないね。どんなものを想像してるかな?
ママに見えているのは、ぽわんとした光だったり、緑色の光だったり、ブワーッと吹く風だったり、雲だったり、木が笑っているように見えたり、雨の匂いが他の人より早く感じたり、そういう自然から教えてもらうものだったりね。ママが怖がりだから、氣をきかせてくれていたのかな?
「氣配のようなもの」と考えると、わかりやすいかな?あなたも小さいときには見えたり、感じたり、していたはずなの。「なにか」にいつもまもられている、ってね。それを人は、かみさま、守護霊、内神、Something Great (大いなる存在) などと呼ぶの。この時点で「ママ、変なこと言ってる」と思ったら、読むのをやめてもいいのよ。
読むのを止めたとしても、ママはあなたたちを愛していますからね。そして、もしも、いつか、「あっ!そういえば、あの先は何が書かれていたんだろう。」と氣になるときがきたら、また戻ってきてください。わたしがあなたに会えなくなったとしても、一生を掛けて伝えたいことを、ここに遺しておきますから。
ママにとっての「義務教育」の9年間、学校はちょっと息苦しい場所でした。友達や心友と呼べる素敵な人たちがいたり、好きな先生がいたり、好きなお給食があったり、そういう幸せなことはたくさんありました。
けれど、ママが学びたいことは学校では教えてくれなかったの。学校はいつも「軍隊みたい」と感じていました。たとえば、全員が同じ持ち物で統一され、重いランドセルを背負って、持ち帰る必要のない物を持たなければいけない。その理由を尋ねても、きちんと理由を伝えてくれる大人は誰もいませんでした。「そういうものだから」と。
なぜお給食の後にフッ素液でうがいをしなきゃならなかったか。先生は教えてくれません。ママは本能的に「これは体にいれちゃいけない」と感じていたから、うがいをするフリをして捨てていたの。あなたたちが可愛いというキャラクターの絵が描いてあるフッ素入り歯磨き粉を買わなかったのも、フッ素を体に入れて欲しくないからなの。いつか、わかってもらえると嬉しいです。
他人の心の状態を感じて疲れやすくなることもありました。その想いが強いときには学校をお休みもしました。バアバは悩んだと思います。「普通に学校に行って欲しい」と思っていたのが、ママにはわかっていましたから。
そして、自分で選んだ高校に進学しました。高校1年生はインターナショナルスクール、その一年間を掛けてジイジとバアバに話をして、アメリカに行くことを認めてもらいました。英語力が足りなく理解できないこと、夜中の2時3時まで必死にやっても終わらない宿題、と様々な困難がありましたが、自分で選んだ学校ですから、卒業までやり遂げられました。ジイジやバアバはそれは大変、心配していました。ママからの電話を受けてバアバは励ましてくれたり、ジイジがFAXで応援をしてくれました。日本でのお友達もたくさんお手紙(当時はメールなどは難しかった時代です)や流行っている曲をカセットテープ(どんな物か知りたいときは調べてくださいね)に入れて送ってくれたり、パパもお手紙などで応援してくれました。パパとママはずっと長い間、「パパ」と「ママ」になるずっと前から、仲良しでした。
帰国して、学生、社会人、そしてまた外国暮らし。ママは3つの国に住み、また帰国。「日本で、家族の傍で、暮らそう」という覚悟を持っての帰国でした。もし「うちのママは他のママたちとどこか違うな」と感じることがあったなら、「見えない存在が見える」や「外国暮らし」が理由かな、とママは思っています。
日本での学生時代や帰国後の暮らしの中で、周りの友人には、親に言えない、言いたくない悩みなどが増えていき、その頃から少しずつ、相談に乗るようになりました。あなたにも同じような経験があるのではないでしょうか。「親には言えないけれど、○○ちゃんになら話せる」ということが。
その辺りから、「聴く」だけでなく「深層心理を探る」や「道案内」のようなアドバイスをすることが増えていきました。お友達だけでなく、ご縁をいただいた方には、笑顔で楽しく生きて欲しいという思いがあったからです。世間では「カウンセリング」や「セッション」と呼ぶようなことですね。これを生業とはしていません。資格や認定書と呼ばれるような物も持っていません。「悩んでいる友人に会って話を聴いてあげて欲しい」と本気のお願いがあるときにだけ、お話を聴く・伝えるということをしてきました。表向きは「お友達とランチしてくるね」や「お茶してくるね」だったりするので、パパもよく知らないことです。そうして、いろいろな形でお礼となって届くことは本当に有り難いことです。
そして、文章として遺すことで、あなたたちが笑顔で楽しく生きられるよう、悩んだり苦しいことがあったときに少しでも心を照らせるなら、それはママにとっての最高の幸せなのです。一方的ではあるけれど、これが唯一の方法なのでわかってくださいね。
愛をこめて
ママより
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