自己肯定感

自分のことを自己肯定感が低い人間って思ってる。
こんな感じのキャラだから意外って思われることも多いけど、実は自分に対する自信なんてまるで無い。
これは多分昔から人並み以上に出来ることが何も無いからだと思う。昔から運動が人よりできた訳でもなく(むしろ運動神経悪い方だった)、身長も小さくて、かといって勉強が飛び抜けて出来るわけでもなく普通だった。そのクセに一丁前に自己主張だけは強い(今でもそうだけど)クソガキだったと思う。基本的に何に対してもそうだけど自分は容量が悪いし不器用な人間だと思う。
何も出来ないなりに頑張ったこともある。幼稚園の時に自分は持久走大会で最下位だった。だけど小学校2年生からは6年生まで毎朝ランニングをしてた。そしたら持久走大会の順位で10位以内に入れるくらいには成長した。結局これって自分が他人より努力したから当然ついてきた結果であって自分が人より優れてるからなんてことは絶対にない。
だけど、このエピソードはこんな俺でも努力すれば結果は自ずとついてくるって思えて自信に繋がった。
中学では自分のことを認めてくれる親友に出会った。それ以前の交友関係では特に秀でたものも無い自分を内心見下してる人は多かったと思う。
テニス部で出会った彼らは、自分より圧倒的に運動も出来て、頭の回転も早い。当然勉強出来るし凄い人だ。自分が彼らに勝てる要素なんて何も無いと思ってた。(正直今でも思ってる。)だけど彼らは自分のことを見下すこともなく、対等に接してくれて今だに友達でいてくれている。彼らのことは誇れる親友だと思ってるし、彼らと仲良くなれたのは一生物の縁だし自分の中で自信になってる。
彼らの存在は「コイツらの友達でいて恥ずかしい人間にだけはなりたくない」って思わされるし、日々励みになってる。
親友達は自分よりよっぽど優れた人間だ。そんな彼らの横に立って恥ずかしくない人間になる為には何も秀でたもののない持たざる者である自分は努力しなければならない。
話が少し脱線したけど、結局のところ何が言いたいかっていうと自分は他人より秀でた才能の無い、むしろ劣っている典型的な持たざる者だから、「俺は努力している」っていう実感が無いと自分を肯定できない。何も努力してない自分には存在価値は無いと思ってる。
自分で自分を肯定できるほど強い人間ではないから、所詮は自己満足とか承認欲求でしかないけど、自分を評価してくれる仲間がいて、努力をすることでそいつらに認めてもらうか、結果を残す以外に自分を肯定する手段は無い。


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