風呂入ろ。の話。
【七百万円のバナナ】
昔のエピソードの一つを。
僕の父親がまだ小学生だった頃、家に帰ると座敷の真ん中であぐらをかいて難しい顔をしている祖父がいました。
祖父の目の前には当時まだ珍しかったバナナが一房。
「おう、バナナ食うか?」
父親は祖父の前に座りそのバナナにかじりついた。
「うまいか?」
「うん、うまい!」
「そうか、うまいか。味わって食えよ。700万円のバナナだからな。」
その時はまだ父親は祖父の言った意味がわからなかったそうですが、初めて食べたバナナが忘れられないほどおいしかったそうです。
このバナナ...
実は親戚にもらったものでした。
うちは当時、祖父が経営するパチンコ店が繁盛し数百万円の借金をちょうど返し終わった時でした。
そんな頃、親戚は商売が上手くいかず借金を背負い、その連帯保証人を祖父にお願いしました。
祖父は昔から「仏の宮さん」と呼ばれるほど人が良く、この時も快くその保証人のハンコを押しました。
その連帯保証の借金額が700万円。
お礼がそのバナナ一房でした。
「700万円のバナナ。」
そう言った祖父はおそらくその後起きることを予感していたようです。
その数ヶ月後、借金取りがうちに押しかけてきました。
なんと親戚は夜逃げして家はもぬけのから、連帯保証人となっていた祖父はそっくりそのまま700万円の借金を背負うことになりました。
ようやく借金地獄から抜け出すことが出来た矢先にまたうちは新たに700万円の借金を背負ってしまったのです。
昭和30年代初期、サラリーマンの平均「年収」が20万円、東京銀座の一坪あたりの土地単価が100万円台の時代です。当時の700万円は現在の1億円に近い価値に相当しました。
そこからまた数十年、宮嶋家は長い借金生活を強いられました。今でも父親はその親戚の悪口を言います。
しかし、祖父は死ぬまで悪口を言うことはありませんでした。
「うちは人を泣かせるようなことは一度もしたことがない。だから、必ずいつかいい時が来るはずだ。」
というのが祖父の口癖でした。
宮嶋家に多額の借金を背負わせて逃げたその親戚は、後に隣町、多治見市笠原町と言うところでタイル産業で財を成したそうです。
年商数千万だとか億だとか。
笠原町自体がタイルの製造で栄えており最近ではタイルミュージアムなるものが出来、今や田舎の一大産業になっています。
どうも親戚はその中核を担っていたようです。
その後ももちろんその親戚からは何の連絡もなく、代は変わりこんなエピソードは忘れ去られているでしょう。
僕が高校生の時、祖父は亡くなりました。
家族で遺品整理をしているとタンスから借用書が大量に出てきました。連帯保証人の名前は全て祖父。
祖父は連帯保証人どころか、他にもいろいろとお金を貸していました。
700万円どころか、その額は軽く1000万円以上にのぼっていました。
結局、借用書はそのまま、祖父は一円たりとも誰からもそのお金を返してもらうことなく、この世を去りました。
そして借用書の入った棚からは、なんだかよくわからない掛け軸や置物も大量に出てきました。
おそらく借金の肩代わりでもらったものでしょう。
母親が気になって鑑定に出したのですが、1円の価値もないガラクタばかりでした。
どう考えても、宮嶋家の歴史は貧乏です。
しかし精神的には僕を含めた家族はみな貧乏ではありません。
資産の有無、名声の有無は人の価値ではない。
そんな本質を心の底から理解出来たら、精神的貧乏から解き放たれます。
家族の中では僕や姉が特にそうですが、僕ら姉弟は圧倒的な自尊心を持って生きています。
相手が誰であろうと圧倒的な自信を持って相対することが出来る。
僕たちの態度は普通の人からは鼻につくかも知れませんね。
でも僕たちは相手が子供だろうが大人だろうがホームレスだろうが、社長や政治家だろうが同じ人として変わらない態度で接することが出来る。
良くいえば、人の年齢や肩書や財産や名声に振り回される事はありません。
僕はご存知の通りこんな感じの人間で、姉は今度東京で「都会で頑張る女性の為の癒しの場」を数年間貯めた自己資金をほぼ全額投入し、ほとんどボランティアに近い形でやるそうです。
これは全て祖父の影響です。
そしてこれは『遺伝』ではなく、祖父の生き様が僕らをそうさせる後天的なものだと思っています。
実は遺伝子なんかヒトの人生には一切関係なく、「生き様」が人から人へ情報を伝えると思っています。(←これはまた違う機会に語ります。)
祖父は家族に大量の借用書とガラクタだけを残しこの世を去りました。家族はそれを全て焼却しました。
しかし、祖父は最大の遺産としてその生き様情報を残してくれました。
そして、その生き様情報からくる精神性が僕らを貧乏から遠ざけてくれるのです。
ここに命を繋ぐ本質と価値の本質があります。
子どもや孫、後世に残すべきものはお金でも家でも土地でもありません。
僕はその生き様だと断言します。
そしてそれは自分の血族に限らず、多くの人を幸せにします。
ちなみに、そんな祖父の葬儀には一般人としては大変多い1000人近くの参列者に来ていただきました。
通夜は深夜まで人が途切れる事なく、ゴーストタウンと化した田舎町に100メートル近い行列を作りました。
葬儀場は入りきれず急遽キャンセルし町で一番大きな公民館を借りましたが、それでも入りきれず、となりの公園と大きな駐車場を隙間なく人が埋め尽くしました。
全身をガンで犯された祖父の遺体は火葬場で焼却されると真っ黒な粉状になってしまっていて箸でつまめる骨がほとんどありませんでした。
しかし程なく親族から驚きの声が上がりました。
「仏の宮さんだ!」って。
跡形もなく木っ端微塵になった真っ黒な遺灰の中、真っ白な喉仏の骨だけが綺麗に焼却台の上にちょこんと残っていたんです。
それはまるで本当に仏様が座っているかのようでした。
悲しみにくれる親族の中で、僕は一人どこか誇らしい気持ちになったのを今でも覚えています。
そんな「生き様情報」を受け継いだこれからの僕の生き様を一人でも多くの人に見届けて頂けたら、これほど嬉しいことはありません。
もし皆様がこのサロンで少しでも幸せを感じることが出来たら、是非周りの人にその幸せをお渡しください。
それは回り回ってかならず皆様や皆様の大切な方に返ってくるはずです。
何より、このような場で祖父の生き様の一片を皆さまにお伝え出来た事がとても嬉しいです。
これからも僕は我が道をひたすら突き進みますが、こんな僕をどうぞよろしくお願い致します。
さぁ、楽しもう。
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