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独歩青天

これは禅の言葉で禅林句集に収められています。
青天に独歩す。
この言葉は、執行草舟の新刊「誠に生く」の帯を読み初めて知りました。
青い空を悠々と独り歩く
ビビッとこれは私のテーマだったんだなと思いました。
今回は独歩青天するためにはというテーマで考察してみたいと思います。

この青天は何もない広い空間のことを指しています。
道も何もまっさらな状態です。
選択肢があるとも言えるし、逆に迷ったり立ちすくんでしまうこともあります。

どうやって進んでいけばいいのでしょうか?
空を飛ぶときの考え方が役に立ちます。
 
「誠に生く」で第4章「ぶれない軸」(p181)について書かれています。
まさに軸の存在が独歩青天の重要なポイントでです。

「ぶれない軸」とは「よく動く軸」(p204)である。
私たちは壁とかフレームによって外と内を隔てています。
これは内の重要なものを守っていると言えます。
外の環境は流動的であり常に何らかの力が働いています。
境界において硬直してしまうと環境的な外力のダメージを受け続けてしまいます。
硬直した軸では持ちません。

そこで重要なのが「遊び」の存在です。
余白やハンドルの遊びのことです。

身体論的に言うと「身体は考える」(方条遼雨、甲野善紀)p26の「脱力」になります。
これにベースとなる「骨」との組み合わせにより環境要因に柔軟に対応する適度に「動く軸」ができます。
骨がないと環境からのダメージは受けにくいかもしれませんが、出力する際に外に力が伝えることが困難になります。
 
軸ができてくると、周りが見えてきます。
初めは解像度が低くぼやっとしているかもしれません。
何もないと感じていたのに、ランドマークとなる目標が見つかるでしょう。
やがて視座や布置(星座のように一見関係のないものに意味を見出すこと)といった自分の認知地図ができあがります。
地図もコンパスも持っていない渡鳥が何千kmもの移動を再現できるのも同じシステムだと考えられています。

これは道を描くときに道がわかっていれば線を引いて出来上がるのかもしれませんが、全く何も分からないときには少しずつ背景を描いていくとやがて道の輪郭がはっきりするように、試行錯誤の上で最後に残ったものが道になると言うことでしょうか。

内部の「動く軸」と認知地図の「道」をに作ることによって、やがて悠々と独り歩く一歩となるかもしれません。


静岡県富士宮市朝霧高原朝霧アリーナという広い芝のやさしい斜面で、一人で飛ぶパラグライダー体験を開校しています。

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