この一年でずっと思っていたこと

大学生になって、一人暮らしをして、付き合う人を選べる環境にいると、自分がどんどん集団に向かない人間になっていくようで、自信がなくなる。付き合う人が変わると、生活は変わるし、生活が変われば、感じることも考え方も変わっていく。考え方が変わらないことだって、それはそれなのに、変わっていく周囲の人たちのなかで自分だけが変わることが「できない」人間のような気になってくる。私は流されやすい人間だから、心配はいらない気がするけれど。
高校生になってから会う地元の友達、大学生になってから会う高校の友達に対して、自分が変わっていないがために、友人に対して「変わってしまった」と思ってしまう。悪いことではないはずなのに。私は友達が少ないから、友人に「あの頃」を強要してしまいがちになる。関係なんて、そもそも「命ある限り続くもの」ではないし、いま仲良くしている人とも、何かがきっかけに疎遠になったり、同窓会で久々に会う人とおばあちゃんになるまでの付き合いをするかもしれない。
誰が自分の近くにいるかで自分の考え方や行動や好みは変わっていて、その一瞬一瞬の積み重なりで今の自分があるし、これからの自分が出来上がる。人と関わらないということが、こんなにも自分を変えないんだ、ということを痛いほど感じた一年間だった。
中学生で塾という新たな環境に飛び込んだときや、高校生で部活をしていたとき、さまざまな人と関わって、緊張したり、感動したり、怒ったり、悔しがったり、傷ついたり、たくさん感情が揺さぶられていた気がする。それが自分を見つめる機会になっていたと思う。
この一年、良くも悪くも自分のために生活した。自分の心に負担をかけないことを最優先にして、自分のことを愛せるようにしようと思っていた。泣くことも少なかったし、自分の感情を割と平坦に保つことができたけれど、本当にこれでいいのかな?と何度も思った。自分を好きでいることや、自分の考えに自信を持つことと、自分の殻に閉じこもって、自分に都合のいいように生きることは全然違っているから、そこを絶対に自分ははき違えたくない。だから、今の他人とのつながりの弱さを、守りとか、甘えなんじゃないかと思うこともある。でも、極端に言えば、自分の精神をすり減らしてでしか自分を成長させることができないって、なんて痛ましい人間なのだろうとも思う。これはいまだに何が正解かなんてわからないし、ないものねだりでもあると思う。それに、とらえ方の違いというだけで、すべての相反する考えが正しいような気もする。
これは決意表明をするために書いているわけでもないので、答えは出ていない。ただ、自分で傷つきにいってそれを成長したと勘違いはしたくない。自分のことは何より大切にしていたい。できることなら面倒な付き合いは嫌だし、傷つきたくないけれど、自分の非を認められる人間でいたいし、自分がよいと思ったものには影響を受けてたいし、それは他人の力を借りて自分の人生をよりよくするということだと思う。だから何をする?日ごろ何を意識する?というのもわからないけれど、何があっても、今が結末なのだと悲観せずにこんな人生、こんな自分もいいじゃん!というくらい、肩の力を抜いて楽しく生きていたい、という願望はいつまでも持っていたいものかもしれない。

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