ツノの生えかけたる

もう長いこと、と言っても良いくらい、どうとも言えないことなのに私の言いたいことなのだろう、ということがあった。
私は結局ブツクサ言っていたけれど、案外簡単に、それを表していけるのだとわかった。もはや古典として殿堂入りするのだろう前衛的手法において、ー安直であるかもしれないが…、それはあったし、仕上げは丁寧で有りながらかつ骨太な構造が常に全体を支える「力」を感じさせるような、「この」独特な「感覚」こそが、全てを前進させる心地よさなのだと気づいた。そして、そんな恩寵の降り落ちる床の上で、私の見たい君が逆に私を見降ろしているらしい。
私はひとりであり一人で歩く他なくなってしまったのに、まだ『うつくしい他者』を求めているのだとでも?それは余剰であり恐しく贅沢な話だろう、とても自信がなく運営しきれない王宮が背中の斜め向こうに控えているようなものだった。私が掴みかけている映像は、暗示したようにナラティブではなかった。風が、強くて。ところどころ、千切れ飛んでしまったんだよ。またそのくらいが丁度良かったのさ。サモトラ系のにけ(三毛)、と言えば褒め過ぎか。しかし王宮には全てがコレクションされている。古今東西そういうものだからだ。私は王宮の窓が、西日を乱反射する曲がった光の切れ端に見とれただけである。そのぼんやりとしたじかん。

あなた。懐かしいという感情は、病苦であるはずが、ここでは言葉も含め甘美な香りがする。つまり故国のことを言っているのだ。
カフカの曰く城の人間が使う馬車にぞんざいに隠されたコニャックのように、しかしその説明がもう酒呑みではないか。あなた、とは酒なのか、剛健な寒さを抱えた国で、暖の取れる貴重は「あなた」になり変わる。そのようなそのような・ほんの一瞬だからこその、濃い夢。城の外の酒場のコニャックは飲めたものではないなどと、これもまた丁寧な。

この頃は不安が鮮やかな夢を見せるばかりか、夢が睡眠を食ってしまったらしくて、心がボロボロに疲れ果てている。どんな朝でも、私は微笑むことを繰り返した。済まないなあ。「こんなオンボロ航海船に執着するあまり。」この今正に横切ってゆく水煙のようなケム・トレイルが、水色の空にて薄笑いする様子を横たわり乍ら見ている、そういう気分を中和した。





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