勝手なつらつら。

いつも以上に自分のためだけに書いています。

今さっき、自分が本当に恐れるものは何なのか?が、掴めたという気がした。

こわいのは、怖いと思うことは、私がこれまで既に書いたことだった。何度も怖いと思ったはずの、過去の、自分が恐れてきたと思っていた、いろんな心配の事では、なかった、それも、心配や怖さではあったし、不快なことではあるのだけど。

それは、何が怖いのだか、傍目にはわからないし、何も、怖いことではないこととも言えた。ほんの、目と鼻の先の、事だった。

優しさにつつまれたなら、という曲がある。
ユーミンの。
目に映るすべてのものはメッセージ、
ってフレーズあるね。
かなりスピリチュアルな詩とも取れる。
いや、思い切りそうだ。だって、
ちいさなころは、かみさまがいて、
から始まる歌詞だ。
かみさまの、歌なんだ。

昨日も、今も。疲れていなくて、そんなには。スッキリしていて、しかし。胸がざわつくというか、独特に気がたってしまう。天候のせいかなと思った。
そうじゃなく、何かが、来たよー、と、ノックしていたのだろう。
天候も、私に伝えることがあったと感じた。素早く変わる空。強い風。

思えば私の、気付いていなかった恐れが、最も邪魔していたんだ。何かやってもいろいろしっくりこなかったのは、このためだった。

私が恐れていたのは例えば、ドアだったと思う、その先のひとつの空間がある。その先は、言ってみれば無限のほんの、玄関さきのような区切りである。とはいえ、無限の玄関先も無限であることに変わりない。その果てしなさには、どう感じる自分がいるのかも含めて、怖いものがあった。
恐れていないふりをしていたというか、こわいなどと思ってなかったから、恐れていたとは知らなかったのだ。


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あれはああだったのかとわかるのがとんでもなくゆっくりだったある時代、そのころはまだ便利なテクニックを知らなかったので、重苦しいとか痛いとかいう感情は全部、そのまま抱えて一日を生きようとして、あんまりうまくいかなかった。わけがわかっていないから大変だった。今思えばそうだ。

だが、「いま」、私たちが変に繋がった生き物の集合であるために、感情というのが、自分のものばかりでないということがわかり、自分の事であるとずっと思いこんでいたんだなあ と詠嘆  そう詠嘆などしていない。

朝方が多い。だが夕方もある。私たちは互いに、混ざり合っていることがある。飛んでくる。(そう、いえばさ。ある本を買って読んで眠った夜に、びゅうと飛んできた、飛んで来たんですよ。護符、みたいなのが。でもあれって、なんというか、おおっ?!と思ってそれだけで、そんな悪いものじゃないと思うんだが、しかし、すごい勢いで落ちてきたような飛んできたような塩梅が、わかったんだよ。で、胸部のあたりに入ったのかなあ…。そうだと思われる。)

それはまあいいんだ。なるほどこういうものかと思ったし、半分は心強く思ったんだから。びっくりしたけど…

そんなわけでそういう特殊な感覚ではないにしても、感情が、自分のではないらしいことがある。それはね、申し訳ない気になってしまうけど、私がイライラしているのに、怒っているのは目の前の人だったりする状態のとき、相手は私の感情を生きてしまったんだよ。おそらく。うつしてしまったんじゃないだろうか…

朝方になんらかの気になる感情があったら、自分のものかどうか。もし悲しいなら、なんで悲しいのか。を、分析する。しても本当かどうかもわからないし、それをしたところでしょうがないが、やっている。多分、もっと早く…速く、そういうわけわからん分析にしても、便利なテクにしても、ちゃっちゃと回せるといいんだろうか。ゆっくりはゆっくりでいいことでもあるんだよな。なぜこういうことを書いているんだろう。ゆっくりでいいだとか、個人的には思わないが。

或る悲しさがあって、吐き気に似たような、汚いのだが、そういうリアルな感覚がその感情にはくっついてもいた。そこで、なんで、吐いてはいないまでもゲロのような感覚がくっついているのか?考えたがその答えは出なかった。自分の胃腸が疲れてしまっていただけかもしれない。胃腸を休めたらいいかもしれない。そのほうがすべてがよくなる。まったくだ。

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そもそも悲しいというバイブレーションを持っている…。前世からの持越しか。おそらくは?

これがあったとかだからと説明がつくものではなく元々あるところから感情が出来ている…

なので、問題があるから感情が起きているというより、そういうバイブレーションがあるからという場合もっと、純粋に、個人がどうの、というよりも振動数そのものに思える

なので 誰それのあれやこれエピソード云々ではなく、東西南北みたいな方向と同じだ
言ってみれば、吉方あれば凶方もある くらいの簡単な理解になる、

さらにいうと、その振動に共鳴するとよくないと思うことが多かったなら、そっちに合わせるとダメ。そっちは違う方向。と、それだけわかっていればいいのだ。

また自分の感情だけに集中する。責任をもって、そのことについてなにか出来るのは自分の感情だけ。自分についてやることが溜まっているなら余計そうだし
だいたい、それをやるために生まれてきている。頼まれてもないのに、他人の感情をコントロールしようとするのは…はあ…。この「他をコントロール」ということ自体が摩擦を起こす。

これをやるために生まれてきている、ということがなんらかの事情でできなくなると、自分が悲嘆にくれることになる。なのでいわゆる「つらい」感情によって、自分のそもそも持ってきた計画がわかるのではないか。使命とまで言うとなんだか…まあよくわからない。どエライものみたいに思えてしまうので、プランくらいで気楽に捉えたい。ざっくりでもぼんやりでもプランがある。
このプランを遂行しているときは生きている感じ方が違う。



頑張る、は危険なアイディアだ。頑張るも真面目も。それらは実は自分からずれてしまう態度だ。頑張るとわざわざ言うようなことって、心から欲していることなのか。
頑張る、真面目は、これは。大事でないとは言わないが。得意なひともいるかもしれない。自分は、違う。頑張るのは、ズレる。真面目も、中身は空虚になっていったり?
いつもではないかも。

生きている感じが違う時、頑張っているとは思わない。それが頑張ってるようにみえてもそれは他人の世界でのことだ。頑張る、は怖い言葉である。きっといつからか蔓延した美学だ。頑張るには注意。何故なら、これは洗脳ワードだから、いつしか言っている場合がある。でも違和感はあった。
そうではなくて、と思う。

何によらず そうではなくて、と思うんだったらしたくない。躊躇せず、やめられるか。惜しむことなく、よりこちらがシックリすると感じるほうへ、転換できるか。


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ありがとうなんです、そう、ありがとうございます
見てくれて 読んでくれて?ありがとう なんだけど
まー、でも もっともっとひっそりかんとしてないことには
もっともっと寂れていないことには


ですねえ
ですです












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