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一言って難しい

映画「ダンケルク」を観ました。
これはもう間違いなくかっこよく、おもしろいのでそこに関しては言うまでもないのです。

ところで、私はクリストファー・ノーランの作品が大好きなのですが、正直「ダンケルク」公開前はそんなに盛り上がっていなかった。

とあるご縁から、公開前にキャッチコピーの候補を目にする機会があったのだけど、そこにあるキーワードは
・40万人の救出
・ノーラン初の実話
・第二次世界大戦
・絶体絶命
・IMAX体験
正直、え…って思った。

「ダークナイト」のようなひとりの人間の葛藤が好きだったから40万人て…って思ったし、「インターステラー」や「インセプション」のようなSFだからこその時間のトリックに魅了されていたから実話って…大戦って…ってなった。
いつだって絶体絶命だし、映像は美しいからそこに新しさはないし。

眉間にしわを寄せるような「違うんですけど…」感たら。


知ってしまったこともあり、公開翌日にとりあえず観に行った。

20分後には、そんな感情消えるわけで。
残りの70分は、そんなこと思ってごめんなさい!とすら思いました。

結果からすれば、あがっていたキーワードはすべて正しかった。

でも、私は最初「観たいと思わない」と思った。

それはやっぱりあがっていた正しいキーワードたちが1つの映画になっているからこそのおもしろさなんだと。


前の日に行った映画「散歩する侵略者」の舞台挨拶で黒沢清監督が、

「今は一言でおもしろさを説明できないと映画はヒットしないと言われている。この映画は一言では説明できないと思う。
だけど、一言で説明できないところに映画のおもしろさがあるんじゃないか」

と、いうようなことを言っていた。


どちらかというと、その一言を作ったり見つけることが私の仕事だけど、その一言を選んだことで「違う」と思う人がいるし、一言で説明してしまったがためにそれ以外のおもしろさが見えなくなってしまうこともあるし。

たくさんのおもしろいから、そのひとつの言葉を選ぶことはとても責任があることなんだと思ったんです。


そんな話をしたけれど、あまり響かなかったのは、そんなこと当たり前なことだからなのか、簡単なことだからなのか、意味が伝わらなかったからなのか、1分超えの長話だったからからなのか。

ファリアの戦闘機のような軌道をたどって、静かに着地した2分20秒の小話。


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