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禍話リライト 怪談手帳【こうもり王】

 「なんというか、夢の様な話なんだよ」

 小学校時代のトラウマなのだ、と、話の提供を申し出てくれたCさんは、対面した席でそのように話を切り出した。
 
「といっても…… もちろんいい意味でじゃなくって、あの── 悪夢、だよな。 あれは何だったんだ、って、今だに考えるよ。 でも、……言葉にできないな、当時のクラス連中に確かめてもいいんだけど、まあ……多分、合ってる。 お互いに触れたがらないんだよ」

 陰鬱な顔でそのように語りながら、

 「でも君は、『そういうもの』のほうがいいんだろ?」

 と、僕に向かって苦笑した。


 Cさんの通っていた小学校の近所、あまり人の立ち入らぬ路地のどん詰まりに一軒の廃屋があった。と言っても、廃屋自体には何もなかった。曰く付き、というわけでもなく、ただ寂れていて汚らしい感じのする、荒れ放題の民家。というだけで、何年か前までは人も住んでいた。

 「学校で…… 学芸会の練習してた、秋のころだったかな」

 その廃屋を囲む生垣にある日、こうもりの死骸がぶら下げられていたのだという。見つけたのが誰だったかは曖昧だというが、自分の属していた悪戯好きな仲良しグループの誰かだった、という。有り余る体力で休みや放課後に近所をあちこち探検していたのが彼らだったのだ。

 「へんな話だけど、当時死んでる動物って、なんかわくわくしたんだよなあ。 車に轢かれたイタチを、皆で突いてみたり。 川の主じゃないか、って言って、腐った鯉を釣りあげたり、とか。」
 
 だからこうもりの死骸も、彼らにとってはどこか背徳的で蠱惑的な代物だった。

 「で、みんなで放課後見に行ったら、あったんだよ」

 遠目には黒い塊だった。荒れた生垣の半ばぐらいから、ワイヤーのようなもので括られて、吊り下げられているらしい。やや前傾姿勢で顔をうつむけ、先っぽに爪のついたやけに長い翼をだらりと下に垂らしている。

 「すごい騒いだなあ……。 ヒャーヒャー言ってさあ」
 
 遠い夕暮れ空にそれらしきものが飛んでいるのは彼らも何度か見たことはあったが、実物を目の当たりにしたことはなかった。

 「で、こうもりは汚いから触ったらいけない、って言われたしな。 ばい菌だらけだから、って」

 生垣に吊るされているそれはまさにそのイメージ通りの見た目で、興奮した彼らは、触ったら死ぬぞ、気持ち悪いな、と互いに煽りあった。

「それに…… その、死骸は── なんだか変だったんだ」

 人の、顔に見えないか。
 誰かが言った。
 確かに顔だけがやけに白く、穴のような目はともかく、鼻や口の感じは人のそれに似ている、と言えば似ている感じがあった。耳が腐って落ちているらしかったのも、その印象を加速させた。
 もっと潰れたネズミみたいな顔なんじゃないか?
 彼らは図鑑で知っていた。

「今思えば腐敗のせいだと思うけど、なあ。多分。 顔の所の皮膚がめくれて、こう、脂肪が出て……。 あとは、崩れて変形してたんだろう、な」

 ただその時の彼らはますます興奮して、ギャーギャーと騒いだ。当時、人面魚などが一大ブームだったこともあり、
 『人面こうもりだ!』
 と盛り上がったのだ。そのうち、『服を着ている!』と囃し立て始めた。下に垂れ下がった翼がマントやローブのように見えたらしい。
 本当に人間みたいだ、と。
 そのうちグループのリーダー格、いわゆる「ガキ大将」のポジションである友人が、
 『いいこと思いついたから、明日またここに集合しよう』
 と言い出した。

 「そいつは手先が器用で頭も良くて、悪戯好きなガキ連中の間じゃぁ、そういうのが【カリスマ】になるじゃん」

 次の日。生垣の前に集まった面々の前で、ガキ大将はある工作を掲げて見せた。
 それは、アルミホイルで作られた銀色のいびつな王冠だったという。

 「形だけのもんだけど、あれはよくできてた。 絵本とかで見るような分かりやすいやつだけど」

 その頃学芸会の関係で工作道具や材料が揃っていたのを利用したものらしかった。
 そして、こうもりの死骸に乗せる儀式が行われた。

 触ったら死ぬぞ、触ったら死ぬぞという野次の中、直接触れないように恐る恐るガキ大将が死骸の頭へと冠を被せる。無事に載せ終わると、歓声とともに改めてその様子が眺められた。
 それは彼らが思っていた以上に、様になっていたという。

 「ああ、本当に王様だなあ。 ってなった、っていうかさ」

 王冠を被って長い黒いローブを引きずった、骨と皮ばかりに痩せ衰えた人物。細目に見合ったこうもりがその通りに見えた。
 病気の王様だァ、と誰かが言って、爆笑が沸き起こった。

 「何であんなに可笑しかったのか分かんないんけど、子供のテンションなんてそんなもんだろ?」

 ガキ大将を中心に彼らはそれを指差し合って笑い続けた。彼らに笑われる中、王様となったこうもりの死骸は、ただそこにひっそりと沈黙していた。


 それから少なくとも数日の間は、こうもりの王はそこにあったようで、彼らも放課後に何度か見に行ったりしていた。けれどある時(正確なタイミングはCさんも覚えていないそうだが)、見に行ったら死骸は消えてしまっていた。

 「残念ではあったけど、まあそもそも不衛生だしね。 大人が撤去したんだろうし、不思議もなかった」

 興味の移りの目まぐるしい小学校男子の常で、やがてすぐに彼らも、その悪趣味な所業と、哀れな王様のことを忘れ去っていた。

「それで、学芸会だよ──」


 彼らの学年は創作の童話劇をやることになっていた。
 一学年一クラスだけだったので気楽なもの。ふざけ合ったり時々は熱をいれたりしつつ、基本的には緩い空気で練習が行われていた。

 しかし本番も近づいてきたある日の、何度目かのリハーサル。その日は最初から、何かがおかしかったのだという。
 普段はふざけるにしろ、熱が入るにしろ、あれこれと五月蠅く騒がしいクラスの全員が、ほとんど無駄口を叩かずリハーサルを行っていく。担任教師も『なんか皆ぎこちないな』とか『本番じゃないのに緊張してるのか?』などと困惑していたという。

 「俺たちなんかはまさに、それまでのリハーサルじゃあずっとふざけてたのに…… 何か、あの日は、そんな気にならなくて」

 そのとき何を思っていたのかよく思い出せないのだ、とCさんは言った。ただ集中している、というよりはむしろ、どこか上の空のまま、覚えたセリフを機械的に発していただけの気がする、とも。
 自分だけではない、恐らく皆そうだったのではないか、とも。
 何かに気を取られているのに、その何かが分からないまま、自動的に動く体に身を任せている。そんな感覚だったらしい。

 がらんとした体育館の中、誰も彼もぽかんとしたような顔でギクシャクとどこか人形じみた動くで芝居をしていた。

 そうしてとある場面を迎えた。音楽が厳めしいものへと変わり、舞台の上の登場人物が一斉に舞台袖を向くと、兵士役の生徒が大きな声で言い放つ。

≪畏れ多くも、我らが王様!≫

 それと共に舞台の端から、劇全体では大した役でもない、登場シーンが派手なだけの王様が表れて、物々しいセリフを述べる。それだけのシーンのはず、だった。

 その日もまた筋書き通りに兵士が叫んで、そうして舞台袖から王様が現れたのだ。
 だが。

 「違うんだよ」

 Cさんは青みを増して見える顔で呟いた。

 「休んでたんだよ、王様役の奴、風邪で。 朝から、なんか熱が出た、とかで」

 つまり、その役はその日は空白だったのだ。透明人間のように、そこにいるかのようにだけ周りも演技しつつ、王様のセリフは担任教師が舞台の下から喋る、ということになっていた。
 それなのに。

≪畏れ多くも、我らが王様!≫

 その日その時、機械仕掛けのまま舞台袖へと顔を向けた演者たちは、兵士のセリフを聞きながら、誰も立っているわけも無いその場所に立っているものを見た。

 王様を。

 被り物が天井にまで触れていた、というから、3mはあったのではないか、という。
 幕の陰から半分体が出て、斜めに傾いた白い皺だらけの顔が覗いていた。影になって黒ずんだ眼窩に捲れた肉のようにも見える鼻、顎が外れ首のあたりまで開き落ちた口。それらのパーツはいずれも不揃いで、大雑把で、どこか人を馬鹿にしたような気配を帯びていた。
 首から下、所々が白くほつれた黒くて長いボロボロの布で覆われている。そして傾げた頭の上には、いかにも王様らしい、しかしながらやはりひどく造形のいびつな冠が被せられていた。

 舞台の照明の下でそれがぎらぎらと銀色に輝いているのを、Cさんはただただ見ていた。
 同時に、  じきじき  じゅくじゅく  と、何かが細かく蠢き合うような音が響いていた。
 何が起きているのか、これは何なのか。分からないまま、何かが起きているという認識だけが、滴る血の染みのようにじわじわと大きく滲んでいき、パニックが生じるまでにどれだけの時間硬直していたか分からないという。

 ただ、皮切りとなる女子生徒の誰かの叫び声が上がる直前、それはずるりと黒い裾を引きずって、確かに舞台のほうへ動きかけたのだ、とCさんは言った。

 タガが外れてから混沌がその場に満ちるのは、恐ろしく速かった。
 彼自身クラス中の叫びと泣き声が上がる混乱と恐怖の渦のさなかで、自身も腰を抜かしていたから、その後のことを正確に記憶できているわけではない。
 ただ担任教師が必死の形相で、何かよくわからない呻きを漏らしながら舞台上へと駆け上がってきて、幕の端から泣きわめく生徒たちへと近づいてこようとしていた王様を、思いっきり突き飛ばした所はハッキリ覚えていた。

 それは、図体に反して酷く脆く、手ごたえがなかった、らしい。

 突き飛ばされるまま王様はぐしゃりと崩れ、そのまま後ろへと倒れていった。勢い余って袖にある入り口の境へ担任教師とそれとが音を立てて倒れ込むのを見て、Cさんは腰の抜けたままそちらへと慌てて這いずっていった。

 混濁した記憶の中、入り口の端に昏倒している担任教師と、薄黄色い舞台の明かりに照らされて、赤い幕のひだの間に伸びている巨大な「王様」。作り物のようにすっかり崩れているのに、なぜか床の上で頭を捻じ曲げ、ローブを広げた滑稽なポーズで、大口を開けて笑っているような形でつぶれているそれを、Cさんはぼうっと見つめていた。

 そして入り口の向こうに、喉を締められたような顔で、口の端から泡を吹き零しながら、壁を背にして尻餅をついている男子生徒──仲良しのガキ大将の姿がある事に気づいた次の瞬間、凄まじい吐き気に襲われて意識が途切れたのだ、という。


 結局、その日のことはかなりの騒ぎになった。
 生徒の多くが嘔吐や下痢の症状を起こし、気を失うものまで出たとあって、救急車が呼ばれるようなことになったのだ、とCさんも後日聞かされた。ただ事態としては集団パニックの類だとの解釈で、生徒たちの症状も極度のストレスによるもの、と診断された。

 王様についてはほとんど原形を留めていない残骸、ガラクタのみが発見され、最終的に学校側からは『いたずら』『例のガキ大将の仕業である』と結論付けられた。ちょうどすぐ後ろにいた、というだけでなく、何より彼自身が『自分がやったのだ』と進んで肯定したのである。

 彼は級友たちの説得にも耳を貸すこともなく、ほどなくして転校していった。

 しかしあの日あの舞台に居合わせていたものは皆、あれが子供一人の手で用意して動かせるような物ではないことを知っていた。
 担任教師も『そんなわけがない』『もっとよく調べてくれ』と訴え続けていたが、聞き入れられず。

 すべてが、有耶無耶のままとなった。

「俺も……。 あれは子供の悪戯なんかじゃないって、ずっとわかってるよ」

 Cさんがあの時目の当たりにした、倒れているそれの姿。
 崩れ潰れているのに、表情だけが生きているような、そして何か、有様の全てでこちらのことを嘲り笑っているような、その姿。

 今でも、悪魔だとか怪物だとかの単語を耳にしたとき、常識的な考えのほかに、ふっと一瞬、あの王様の笑っている姿が浮かぶことがあるのだと、Cさんは言葉を結んだ。


メモ こうもりについて

 日本国内に生息域のあるこうもりに黒い大型の物はほぼほぼおらず、調べた中でCさんに見せて「近い」と言った「オオコウモリ」は、南側の諸島に生息する種であった。
 子供の視点であったから大きく見えただけ、だとか、変形した死体だったから、とか、誰か物好きのペット、など、色々と説明は考えられるが、何か腑に落ちない感覚を残すのである。

 病に見舞われる児童、という点では、かつて僕が収集した「ももんがあ」と通ずる所があるではないが、エドガー・アラン・ポーの小説「赤死病の仮面」を想起したことを、蛇足として付記しておく。

(各単語にはWikipediaのリンクを付けています)



出展:禍話インフィニティ 第二十六夜 こうもり王 の52:20~
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/785031396?t=3141

余寒さん投稿の【こうもり王】を、一部読みやすく編集してお送りしました。

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