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禍話リライト 怪談手帳【蛹男】

 「いやなァ、やっぱり飲みすぎはダメだよ! ウン、酒はダメ! ダメだよ飲まれちゃ!」
 そう言って己が禿げ頭をぴしゃぴしゃと叩く、還暦すぎのAさん。
 元消防隊員だという彼は、少し前までしこたまお酒を飲んだ後、夜の地元を徘徊するのを趣味としていた。
 「季節の変わり目にパーッと飲んで歩き回るのが気持ち良かったンだ。 我ながら、迷惑なジイさんだよなァ」


 
 少し涼しくなってきた、とある晩夏の深夜だったという。
 いつものように火照った頬を冷まそうと緩やかな夜風を受けながら歩いていた彼は、ふと立ち止まった。
 電気が切れかけているのか、ちかちかと力なく明滅する街灯が行く手に見える。その傍の、とっくに終バスの過ぎたバス停のベンチに、同年配くらいの背広姿の男性が、項垂れたまま斜めに座っていた。
 さては、大虎のご同輩だろうか。
 冬場ではないとは言え、ひと声掛けようと近づいていって、おや?と思った。

 何か、男性が妙にてらてらと光って見えた。

 その肌が、というわけではない。

 頭から足の先まで、髪の毛も背広もズボンも靴も、すべてが均一に。
 力ないそのポーズとは裏腹に、やけにつやつやと光を反射していた。

 何だィこりゃァ、と傍を通り過ぎながら、よくよく見なおしてみた。
 その肩は僅かに上下しており、スゥスゥと息の根も聞こえる。
 けれどもうたた寝しているような顔や、だらりと下がった腕、身に着けている服、それらの境目や起伏がやけに薄くのっぺりして、まるで均一の素材で型を取ってから色分けしただけ、のような──。

 何だ何だ、とますます困惑しつつ、ベンチの後ろに回り込んだ彼は思わず息をのんだ。
 男性の痩せた背中、白茶けた背広のちょうど真ん中に、クレバスのように真っ黒な亀裂が一筋走っているように見えた。

 「イヤ、これァマズイと思ってさァ。 こんなものがある訳ねェから……。 相当悪い酔い方したかなァ、と。 マァ、ただせっかくの散歩に水を差されたような気もしてさァ。 なんだこの! と思って……」

 品定めしてやろう、と一生懸命のぞき込もうとしていたその時。


 「ねえ、珍しいでしょう」


 背後から、いきなり話しかけられた。
 え、となって固まるAさんの後ろから、その声は続けざまに話しかけてきた。

 「今の季節じゃ、なかなか見られないんですよ」

 やたらと柔らかい感じの、男か女かよく分からない声だった、という。

 「運がよかったですねえ」

 振り返ることができない。
 背中の後ろでひどく嬉しそうに喋り続けるその人、いや、何か【それ】という感じがしたのだ、とAさんは言う。

 「イヤ、見ちゃいけねェと思ったンだ……。 そうしたら目の前の裂け目みてぇなモンが、そうこうしているうちに、なんだか──」

 口から言葉になっていない声を出して、Aさんはこけつまろびつその場から逃げ出した。
 そのあと気になってあれこれと調べてみたが、何を調べればいいのかも曖昧な状態では、何も分からなかったらしい。

 Aさんは結局、その時以来夜の徘徊をやめてしまった。



 「マァ、酒が悪いッつーか…… 酒の見せた変な幻だ、とは思うんだけどなァ」
 あの時ひどく嬉しそうに話しかけてきた声。姿も知らないその主が、どこかでまた話しかけてくるかもしれない。
 そしてあの時見た、何が何だかよくわからない【何か】の続きを見せてこようとするかもしれない。

 どうしてもそんな気がして、夜に出歩くのが、恐ろしくなったのだ、という。



出展:禍話インフィニティ 第三十三夜 書籍第二弾も宜しく!怪談手帖スペシャル の12:25~
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/788484923?t=744
余寒さん投稿の【蛹男】を、一部読みやすく編集してお送りしました。


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