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禍話リライト 怪談手帳【あみだかぶり】


Dさんのお父さんが、お爺さんから聞かされたという体験談。

 「うちの親父がね、小さいころに聞かされてトラウマになった、っていうんですよ。 で、俺も親父から繰り返し聞かされているうちに話をすっかり覚えちゃって。 そんなもの受け継がないでほしいんですけどねぇ。 ま、実際なんていうのかな。 お化けなのかな、何だろう、って感じでよくわかんないんだけど……。 でも、やっぱり俺もめちゃくちゃ怖かったから、話しますね」


 それはDさんのお爺さんが学生だった頃、地元で目撃された子供についての話、なのだという。

 「どんな子供か、と言えば、まあ普通の子供だったそうなんですけどね」


 とDさん。
 年のころは五、六歳くらい。小さな男の子で、白いシャツと半ズボンの当時でもありふれたスタイルだったが、目立つ点として、やけに大きな帽子をかぶっていた。つばのかなり広い、そのくせグニャグニャと型の崩れたような不安な形をした白い帽子で、見慣れた麦わら帽子ではないために、いささか奇異な感じを与える。それを、水平にとか目深にではなく、斜め後ろに傾けて額や髪の生え際がそっくり出るように、俗にいうあみだにして被っていた。
 勿論、変な帽子をかぶっているだけのただの子供であれば、騒がれはしない。実際、目撃され始めのころは、単純に見慣れない、明らかに街の住人ではない子供がいる、という語られ方だった。

 「要するに迷子だと思われたから、目撃者が出る度に『何でお前は声かけないんだ』って窘められたりしたらしいんですよね」

 しかしながら注意喚起がされても、それが迷子として保護されることは一向になかった。
 ただ目撃証言だけがじわじわと広がっていき、晩夏のころに始まって秋に入っても目撃が続いたあたりで、あれは人間じゃないんじゃないか、と言われるようになった。


 「まあ、単なる迷子がそんな長い間その辺うろうろしてる、っていうのはおかしいですよね。 そもそも何で声かけたり捕まえたりしないのか……。 お爺さんもそれを見た一人だったんですけど、その子供の事を蜃気楼だとか、逃げ水だとか、そんな言葉で例えたらしくて」


 かの子供は多くの場合、目撃者から離れた場所にぽつんと立っている。垣根の下、道の曲がり角、路地の奥。それは常に後ろ姿か、斜めに近い横向きの姿だった。顔はあみだにかぶった帽子に隠れて見えないこともあれば、つばの端から額や横顔が覗いていることもあった。いずれにしろ、真っ直ぐにこちらを向いているのを見た者は誰も居なかった。そしてそれに近づこうとすると、ふっとどこかの陰へ入るなどして視界からいなくなってしまう。


 「爺さんも、最初は噂になる前に、道向こうの乾物屋の陰に立ってるのを見たとかで、あんな子供いたかなあとか考えてるうちに、店の裏に入っちゃったらしいんです」


普通に考えればおかしな話しである。何度かなら、見たもの皆がそうだというのだから。


 「それが、その子供を見たって人と、見たことがないって人がはっきり分かれたらしいんですね。 見たことない人にとっては、今話したようなこともあって幻覚としか思えないわけですよ。 それについては見た側の、まあ爺さんも認めてたそうで。 だから、蜃気楼とかって単語を出したんじゃないかなあ」

 ただ、それが幻覚であれ何であれ、もう一つ妙なことがあった。

 「その子供、ちょっとづつ移動してたみたいなんですよねえ」


 子供の目撃場所。それが、最初は町の東側に偏っていたのに、時が経ち夏から秋へ、秋から初冬へと過ぎるにつれ、徐々に中心部へ、そして西側へと移っていった。幻覚であればどこにどう出てもおかしくなさそうなものだが、律義に東から西へと移動していくことが不気味がられたという。

 「何かいわくがあるなら、見たやつが思い込んでたからって言えたんでしょうけど、何もなかったらしいですからね、そういうの」

 そして理由も背景もなくただ現れ、佇むだけの帽子をかぶった子供の幻影は、理由のない不安をもたらした。

 「焦り? 焦燥感、っていうんですか。 何か、このままいくとまずい気がする。でも何がまずいのか分からない、っていう。 それがどんどん強くなっていったんだとか。 子供を見た人、ってのはみんながそんな感じだったらしくって。 爺さんも、学校行ったり畑仕事手伝ってるときに、ふっとすごい不安に襲われる、みたいな。 そんなときに限って、白い帽子をかぶった影を遠くにちらっと見かけちゃったりするんですって。 まあ、今聞くと集団でそういう思い込み、というかパニックになっただけ、みたいに聞こえるんですけどねえ」


 幻か否かに決着もつかないまま、西へ西へそのまま子供は移動していった。そうして日の落ちるのも早くなった冬の折、子供はある場所の近辺で頻繁に目撃されるようになった。


 「町の西側の端っこに、お寺があったって言うんですよ。 ずいぶんぼろかったらしいんですが」


 当時はそういう寺が多かったそうだが、戦後の修繕が追い付かず、建物の大半がゆがんだり壊れたままになってていた。それでも住職が気概のある人であったこともあり、地元の寺としては親しまれており檀家も多かった。
 その寺の近くで子供の姿を見た、という声が増えた。
 夕暮れごろ、ふと見ると石段に佇んでいたり、植え込みの陰にいたり。

 「それで、もしかしてあの子はここを目指してたんじゃないか、って話になって。 ですから要するに、成仏したかったんじゃないか。 みたいな」

 今まで全く分からなかったものにようやく納得できそうな理屈がつけられた。他ならぬお爺さんも段を登って敷地に入っていく子供らしき影を何度か見て、すっかり納得してしまった。だから、そのたびに彼は住職へと、子供が入っていったよ、と中心に発したという。
 住職は親切にも、彼が声をかけるたびにあちこちを見てくれたが、子供が見つかることはなかった。そもそも住職自身は、かの子供については見ない側の人間であったらしい。彼は幽霊だとかお化けだとかいう言葉を使わず、
かといって見たという人々を否定するのではなく、迷いという言葉を使って、もっと概念的に、あるいは哲学的に子供についての諸々を説いていた。
 おじいさんもまた、否定されるのではなく諭された。住職の言葉は平易ながらも地に足がついていて、理由なき不安への安らぎを得たような気持ちになったのだという。

 「それでお爺さんは、以前よりも寺に足を運ぶ機会が増えたって。

         まあ、そのせいで結局貧乏くじを引いたんですけどね


 それは、ある夜の事だった。
 どうにも寝付かれず寺の近辺で気持ちを清めようと出かけたお爺さんは、闇の向こう、白いものが動いていくのを見た。大きな白い帽子の形、あの子供だった。
 その後姿を見た時、ここ半年ほどの正体も理由もわからない焦燥に似たあの不安が、改めてはっきりと自覚されたのだ、という。

 
 「その時は、こんなものをいつまでも抱えていたくない、って思ったんだそうですよ」

 急き立てられるようにお爺さんはその後を追った。
 今までと異なり、追いかけてもなぜか子供の姿は消えなかった。

 寺の前へと至ると、子供の背は短い石段を上がり、中へ入っていく。
 もしかしたら今夜、何かのカタが付くのかもしれない!
 根拠はない物のそんなふうに思い、必死に追いすがる。夜の闇にうっすらと浮かんだ白い子供の姿は、とうとう本堂へと至った。そしてお爺さんの目の前で戸を開くと、本堂の中へと吸い込まれるように消えてしまった。

 荒い息を吐きながら、お爺さんは今目の前で確かに閉じた扉と、白い小さな背の残像を見つめていた。本堂は少し前から照明が壊れていて、日が暮れると闇に閉ざされてしまう。ろうそくの一つもあればお勤めには事足りますから、と住職は豪気に言っていた。けれどもさすがに子供一人では踏み込めない。
 ぐずぐずしてもいられない、とお爺さんは破れ壁のままとなっている住居の方へ向かい、迷惑を承知で住職を叩き起こした。

 「まあ、お爺さんもめちゃくちゃをやってるのは自分でもわかったんですが、それでも無我夢中だったから」

 さすがに困惑した様子ではあったものの、お爺さんのただならぬ気配に、住職は懐中電灯を手についてきてくれたという。本堂への道を踏みながら、お爺さんの耳には住職が低く念仏を唱えているのが聞こえていた。
 ついに成仏が叶うのだろうか?迷いが終わるのだろうか?
 そう思いながらお爺さんはむしろ、何故か不安の方が強くなっていくような気がしていた。
 何かがまずいという焦燥感。


 「だからね。 後々考えると、なんとなくわかってたんじゃないか、って言うんですよ。 これから何が起きるのかを」


 混沌たる胸の内を抱えたまま、彼らは本堂の前へと至った。白い子供を呑んだ格子戸は、薄闇の中に淀んでいる。住職がそれに手をかけて、ゆっくりと開いた。軋む音とともに、腐りかけた木の香りがじっとりと噴き出してきて、


 そこにはただ闇があった。
 地獄のように沈黙した、無明の闇。
 そんなものが、開いた本堂の戸の内側に広がっていた。
 その中に誰かがいる、とはとても思われぬような。
 迷い子どころか、仕切りや調度や壁や、あるべき仏すらも────

 お爺さんはその重力そのもののような暗冥に飲まれていた。光無き堂内に親しんだはずの住職も、眼前に現れた闇の色濃さに、つかの間言葉を失っていたようだった。それでも仏を想うなにがしかの一節を強くつぶやくと、住職は手に持った懐中電灯の明かりを闇の中へと向けた。
 壁際や床や、人がいるならばそのあたりだろう、という場所が、照らされていく。隅の仕切り、床の木目、壁の柱、掛けられた額の文字が、照らし出されていく。


 しかし何もいない。
 何の姿もない。


 捉えるべき影を捉えられず、しばし堂内をさまよった光は、最後に本尊、この寺を守る仏の御姿のある場所へとむけられた。金の褪せた燭台が、花立が、仏飾りが、ほのかに明るむ輪の中に次々と浮かび上がっていく。
 やがて、黒ずんだ青銅色の手、印相を形作った手が浮かんだ。そのまま坐した膝を照らし、胸、首が光の中に浮かんで、そして最後に現れた仏の顔。光の輪の中に静かな半眼の、瞑想を表したその顔の上に、真っ白いものが喰らいついていた。

 血の気の全くない、子供の顔。白い帽子をかぶった、あの白い子供が、顎が外れそうなほど大きな口を開けて、本尊の仏の頭を飲もうとしていた。帽子のつばがその白い顔の後ろでぴったりと白く、丸い円を描いている。

 「まあ、仏像の大きさを子供の口で呑めるものか、って考えてたらおかしいですから、もしかしたら最初に見えた時よりも大きくなっていたんですかねえ」

 お爺さんは、それを永遠に見ていた気がする、と言った。住職と共に四つの眼で。いつまでもいつまでも、目の前のそれを眺めていたのだ、と。

 それでも、実際にはそれはどこかで途切れた。無限のような時間の果て、ふっと明かりが消えて、子供の顔も仏もすべてが、闇へと再び溶けた瞬間をお爺さんは確かに記憶している。そしてそこからの記憶は、完全にぐしゃぐしゃになっている。


 「意識が飛んだとか、そういうレベルでもなくて、本当におかしいんですって。 記憶の中のその前後が、まったくつながらないんだそうで」


 その夜、その後どうなったのか。
 そればかりか、住職とそれについて話した記憶もない。
 
 だから言ってしまえば、その晩の出来事自体が夢だったような気もするのだ、と。

「でも、その逃げ道もふさがれてしまったんですよ。 証拠が残ってたんですね」

 寺の本尊の仏像。その頭のところに、はっきりとそれまではなかった歯のような跡が刻まれていた。ちょうどあの時見た子供の口の形そのままに。あまりにも目立つ傷だというのに、建物の老朽や破損とはわけが違うのに、それはそのままにされていたそうだ。

 「まあ、寺自体はそれからさほど持たなかったそうなんですが」

 

 ほどなくして、住職がちょっとした風邪をこじらせて体調を崩し、そのまま急速に衰弱していったのだ。臨終までの間に、修行が足らなかった、というようなことを、病の床で事あるごとにうめいていた記憶が、お爺さんにはある。
 住職の死後跡を継ぐ者もなく、短い期間で寺は廃止となってしまった。
 そしてあれだけ街を悩ませていた子供の目撃証言も、それを境にぱったりと途絶えた。

「だからやっぱり、あの寺が一つの終着点だったことは確かだったんでしょうね。 でもそれは、成仏だとかそういう事じゃない。 何か全く別の、救えない終わりがあったんだって、お爺さんはそう言ってます」

 お爺さん自身はその後変わりなく過ごしたものの、四十代という若さで亡くなった。だからDさんは、ご本人と会ったことはない。あくまでお父さんの話を解してでしか知らないのだ。

「ただ」

 と彼は言った。


 「最初に言ったとおり、繰り返し繰り返し聞かされたせいですかねえ。 私自身が爺さんの話を聞いてたような、そんな気分を通り越して何か、記憶の中で、自分でそれを見たような気になってるんですよね。


 ぞっとするほど白い子供の顔。 それが、ずっと横顔や後ろ頭しか見えなかったこと。
 本堂の闇の中に浮かび上がったそいつが、真正面を向いていたこと。
 

 
それらの事実の、理由も理屈もわからない、何かすさまじさの感覚が、あったこともないお爺さんの眼を通して。 そんなわけないんですけど、
脳裏にくっきりと焼き付いちゃってるんですよねえ


出展:禍話2024夏の納涼祭 第二部・余寒怪談三連発!キミは耐えられるか!
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/798213926t=4546

余寒さん投稿の【あみだかぶり】を、書き起こしてお送りしました。

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