瞑想その8:第三の目


今回ご紹介する瞑想は、第三の目です。


ヒンドゥー教や、その原型となったバラモン教などを基礎としたインドの古い思想の中では、人間の眉間に第三の目があると信じられてきました。

それは彼らがビンディーやティラカといった装飾で額を飾る風習からも、そこに特別な何かがあるとされ、重視されている事が見て取れます。


インドでは、人体には性器から頭頂までの直線上にチャクラという7つのエネルギースポットがあると信じられており、そのうちの第6のチャクラ、「アージュナー・チャクラ」がこの第三の目に当たります。

第三の目はインドやその周辺国の文化的にも欠かす事の出来ないものであり、また瞑想にとっても大変重要な役割を持つものです。


と言っても、肉体的には眉間に目などありません。

にも関わらず、遥か紀元前の昔から、そこに目があると信じられてきたのは何故でしょうか。

それは眉間、眉の間の位置の水平線上に「松果体」があるからです。


この松果体は、初めこそ何のためにあるのか解りませんでしたが、近年の研究で機能的に目と密接な関係を持った脳である事が解ってきました。

正確には目が光を感知した際に体内時計を整える機能で、目が受容した光がこの松果体に辿り着くと(或いは暗くなって光が受容されなくなると)、主に覚醒と睡眠に関わるホルモンの分泌を行うので、光のセンターとも呼ばれると言います。


その起源は頭頂眼と呼ばれる原始的な眼であり、その様な起源を持つ松果体は、下等生物においては機能的にも目に近い部分があると言われます。

この様に、近年の研究によって目との密接な関係性が発見されてきたこの脳は、哲学者や神秘家、瞑想家は元より、彼等から影響を受けた一部の科学者も、その正体が解ってくる以前からインド文化における「第三の目」と結び付けて考え、意識や魂の在処として捉えてきた歴史があります。

まだ科学が充分に発達していない時代から、そこに目があると信じられ、結び付けられてきたと言うのは驚きと言えますが、実際に松果体が目と密接な働きをする器官であったのは更に驚愕と言えるでしょう。


この第三の目は「目」と言われるだけあり、「観る」事に関連した機能を持ちます。

観る事は観照、つまり瞑想の本質でありますので、この部位は特に瞑想に用いるのに最適な機能を有していると言えましょう。


一度試しに眉間、つまりそこにある「第三の目」に意識を集中してみて下さい。

そして、そのまま意識を第三の目に集中した状態で、自己の外側の事物を見るようにしてみましょう。

それが正常に行われているならば、あなたは意識が心のどこかをさまよう事もなく、どんな感情につられて我を見失う事もなく、意識が眉間という一カ所に固定され、そこから自分の外の現象と、自分の内面の現象の両方を、高みから同時に観ている感覚にいずれは気付くはずです。


第三の目を通すと、自己の外側だけを観ているはずが、あなたはいつの間にか同時に内面をも観ているのです。


最初は慣れない所為もあり、その度合いが微妙に過ぎて理解出来ないかも知れませんが、その「一つ上の高みから自己の内外全体を観ている感覚」こそが観照であり、つまり「ゾーン」、果ては「悟り」への道筋なのです。


・・・と、さらりと書いてしまいましたが、上記の「眉間に集中して、第三の目で物事を見る」と言うのは、第三の目を用いて行う瞑想技法の一つです。

しかしこれは文面を見ただけでピンと来て、言われた通りに実行出来る人向けのやり方です。


個人の感覚とその人の才能に依存するやり方で、「技術」として成立しているかと言われると疑問ではあります。

ですので、中には「そんな事を言われても・・・」と、いまいちピンと来ない方もいらっしゃるかと思います。


そんな人のために、昔から別のやり方で第三の目を用いる技法も開発されてきました。

以下に、そうした技法のいくつかをご紹介しましょう。

1:観照者を知る

和尚曰く、これは古代ギリシャの数学者で哲学者でもあるピタゴラスに授けられた技法であると言います。

かつて東洋を訪れ、この技法を携えてギリシャに帰ったピタゴラスは、西洋の神秘主義の源流となったと和尚は言います。

その方法はシンプルで、上記した様な眉間への意識の集中、注意を集めると言うものですが、技法としては次のような手順で行われます。


①まず目を閉じます。

②そのまま、まるで両目で見るように、目の焦点(注意)を眉間に合わせます。(実際に目を眉間に向けて動かすのではなく、焦点だけ合わせると言う事です)

③上手く眉間のポイントを感じる事が出来ると、その状態を維持したままでは両目を動かすのが難しい状態となり、観照者、つまりあらゆる思考・感情・気分などから距離を置いて、それらを見渡せるようになる状態へと至ります。

④そのままの状態でいると、次第に呼吸の際の非常に微妙なバイブレーションを感じるようになります。

⑤特に時間の指定などはありませんので、予め設定しておくか必要と感じた分だけこの状態を維持しましょう。


技法としては以上です。

補足としては、呼吸のバイブレーションの事を和尚は「呼吸の精気」や「プラーナ」と呼んでいました。

プラーナとは呼吸と言う意味ですが、同時にインド哲学に於いてはその中に内包される精気の事をも指します。

言うなれば中国の「気」に類似した概念も、言葉の中に含まれているのです。

和尚曰く、古代のタントラと言う聖典に於いては空気は媒介物で、真なるものではないと書かれていると言います。

同じくタントラに於いて、「注意は第三の目の糧なり」と書かれているとも和尚は言いますが、第三の目に注意を向け、焦点を合わせる事によってこれが活性化すると、たちまちあなたはこのプラーナ、つまりは呼吸によって空気と共に吸っている、その微妙なバイブレーションである息の精気を感じる事が出来ると言うのです。

これが観察出来るようになれば、あなたは飛躍・突破が起こる地点にいるのです。



2:羽のように触れる

この技法はとてもシンプルですが、少々熟練を要します。

要点はただ一つで、それは閉じた目の上に掌を被せ、瞼越しに眼球に触れると言うだけの技法です。

ですが、その触れ方は微妙極まるもので、それこそ名の通り羽のように触れる程度の接触でなくてはいけません。

少しの圧迫があってもこの技法は成立しないのです。

僅かな圧力を掛けただけで、この技法は質が変わってしまい、ただの無意味な眼球への圧迫行為へと変貌してしまいます。

ですから「触れているかいないか」「触れていないかのように触れるだけ」程度の僅かな接触が必要です。

また、顔や頭など他の部分に触ると、そちらに意識が向いてしまう場合もあるので、なるべく眼球以外へ触れないようにもしましょう。

和尚曰く、これを上手くやる事が出来た時、目から放出されるある種のエネルギーが、出口を失い内面へと戻ると言います。

そして、そのエネルギーは第三の目にぶつかり、頭や顔全体を軽くし、浮いたように感じさせるそうです。

そして、第三の目にぶつかったエネルギーは、次にポタポタと垂れるように心臓へと落ち、とてもリラックスした軽く穏やかな気持ちにさせてくれるのです。

心臓の鼓動が遅くなり、呼吸もゆったりとし始め、全身にくつろぎを感じるので、和尚はこれを瞑想法としてだけではなく、日々の生活の中でのリラクゼーションを目的として、一日何度でも疲れを感じた時などに行う事も推奨しています。

ですが、瞑想技法として行うなら少なくとも40分はやるようにしましょう。

40分ともなると大変な作業ですが、コツは「押さえ付けずただ触れているだけだ」と、絶えず気付いている事です。

その注意を緩めないようにしましょう。

そう言う意味では、この技法は良い「注意を維持する訓練」にもなると言えるかも知れません。

そして、この技法に熟練し何ヶ月か経つ頃には、心臓にポタポタと垂れていたエネルギーは川のようになり、やがては洪水のようになると和尚は言います。

その時、あなたの中のあらゆるエゴは、その洪水に飲まれて洗い流されるのです。



3:鼻先を見る

この技法もとてもシンプルで、読んで字の如く両目で「鼻先を見る」だけの技法です。

ですがこれはとても強力に、あなたの注意を第三の目へと結び付けるのに役立つ技法です。

ですが幾つかの注意事項があります。

まず目を閉じない事、そして大きく見開かない事です。

つまりは半眼開きで見る事です。

目を閉じたり見開いたりすると、この技法は機能しません。

注意が他に逸れるからです。


次に和尚曰く「光を引きずり込まない事」です。

つまりは無防備に光が瞳孔から飛び込んでくるに任せ、必要以上に「見よう」などと思わない事、また目から入ってきた情報を分析しない事です。

要は鼻先に焦点を合わせて、後は何も考えるなと言う事ですね。


また、冒頭でも言いましたが、両目で見る事も大切な要素です。

片目で見ても効果はありません。


次に心地よい姿勢で、しかし背骨を真っ直ぐにして坐る事です。

基本的に不快感は瞑想の敵ですので、快適な姿勢を取る事は大切ですが、和尚曰く背骨を真っ直ぐにする事は性のエネルギーを第三の目に向かわせると言います。

これはとても強力で効果は倍増すると言う事ですので、背骨を延ばす事を基本姿勢として考えておきましょう。

次に何も考えない事、つまり黙想をする事です。

もしも何かしらの思考が湧くようならば、その時は瞑想の基本としてその思考を「どこから湧いているのか」「どこに留まっているのか」「どこへ行こうとしているのか」、発生・現存・消滅を、思考と戦わず、飲み込まれずにただ見守る様にしましょう。

思考が湧く度にこれを為す様にして下さい。


基本的な事として、瞑想に必要なのは気付く事、見守る事、感じる事、くつろぐ事、油断無く醒める事です。

この瞑想技法に於いてもそれは変わりません。

この基本を守っていけば、あなたは自分の中にまだ見ぬものを迎え入れる準備が整う事でしょう。

それはあなたの限界の外にあって、あなたが扉を開けるのを待ち望んでいる「何か」です。


それは霊性、或いは神性と呼ばれるものです。

あなたは第三の目を通して、これを目撃するのです。



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