不登校時代 私の場合。


私は小学生四年生から学校へ行けなくなり、

中学三年生まで不登校だった。

もっと言うと、中3から、教育委員会がやってるフリースクールへ通い始め、高校行きを決め フリースクールでいじめられ、中学の使ってない教室に通うようになりそこでもいじめられ、フリースクールで一緒だった子達の学校の不登校の子達用の教室に通わせてもらって、出席にしてみらって、進学をした。

いつも一人の強いいじめっこがいるのだけど、それ以外のことは普通に過ごせていたので一緒にお勉強して、一緒に可愛がってもらって、一緒に一人の子と同じ高校へ行って今でも親友だ。

幼稚園から強い子に陰でいじめられていて、

手を引っ掛かれたり、つねられたり、帰るとき、玄関前の廊下に二人ずつ並んで、先生に決められていた子と手を繋いで「先生さようなら」って言って毎日帰るのだけど、そのパートナーを取られて居場所を失って一人でポツンと最後尾にいるしかなくなったり。いじめ以外にも、ある日どこかによってから幼稚園に行ったら、みんなが 水色とピンクの画用紙で動物のお面を作っていて、私もピンクでゾウを作った。




先生に言われる言葉で え?って傷ついて心が固まってしまったり、給食前の体操の時間に恥ずかしくて終わるまで一人でただ立っていたり、友達のところに遊びに行くと、他にも遊びに来てると、緊張して入っていけなくて、友達の弟と遊んでたりするような子だった。

一見 朝みんなにおはよー!と言いながら登園してる明るい子何だけど、ナイーブで恥ずかしがり方が激しい子だった。

いじめられていることとか、辛かったことを言葉にして伝えるというすべや、選択肢を知らなかったので、


幼稚園行きたくないな。。と憂鬱な思いをしてたのは覚えている。


小学校に上がったら上がったらで、

私は地域の保育園へ行っていなかったので、帰りに同じ学年の子達と並んで帰るときに、仲間はずれにされ、一人だけ離れて、付いていかないといけなかった。言葉のいじめもあって 辛かった。

けど、いじめた子たちは知る限り大人になって心を病んでるという噂を聞いた。家で辛い思いをしてる子は、学校とか外でそれを発散してしまうんだろうなと、金八先生を見てるときに思った。

小学生三年生になると、グループじゃなくふたり以上でなら帰って良いことになった。けれど同じクラスの子はいなくて、他のクラスの子に 今日一緒に帰れる?って、聞かなければいけなくて、それもすごく辛くて、断られる事もよくあったので、泣きそうな思いでいつもいた。

一緒に帰ってもらえないと、上の学年の人が授業終わるのを待って一緒に帰らないと行けなかったり、

それ以前に、クラスでもずっとタラコ唇っていじめられていた。

教会生まれた時から通っていたけれど、

一歳で教会の裏に住んでいたところから遠くに引っ越したので、小学校に上がると他の子達がみんな近くに住んでいて 自転車で遊んでいるので、仲間に入れてもらえず、展覧会があっても、私はよそ者だからと、置いていかれて、いつも牧師先生とふたりで聖書の面白いお話を聞きながら過ごしていた。

そして、三年生のある日、いつも教会へ行くときに降りるバイパスのICを通り越して車が走り続けていった。

何の前触れもなく、何の話もなく、ある日突然違うもっともっと遠くの教会へ行くことになっていた。

この事からも分かるように、私の親はちゃんと話す。説明する。と言う事をしない人たちだった。

教会が変わったことで、仲間外れから、解放されたけれど、新しい教会ではいつもお客さん扱い、よそ者扱いが常で、いつも寂しい思いをしていた。

新しい教会の子達と一線が引かれるように、全く話すことがなかった。

そんなことがあり、小学3年生の途中から朝起きると激しい腹痛で毎日病院通いが始まった。

毎日毎日病院行ってから学校へいって、帰りも足が痛いからと、迎えに来てもらうこともあり、

四年生になってクラス替えしてからいじめがエスカレートして、バイ菌扱いで、みんな私から逃げるようになり、給食の時間、好きな人と食べると言うのが始まり、また一緒に食べてくれる人を探さなくてはいけなくなった。。

もちろんバイ菌が移るって、一緒に食べてくれる人がいなくて、一人のこって立ってると

先生のご機嫌取りに私を加える人がいたり、居なかったりだった気がする。


こう言うことがあって、二学期から学校の玄関まで行くけれど、足がもう動かなくなってしまう現象が起き、帰る。の繰り返しをしていた。

明日こそ行こうって、時間割りを見てランドセルの準備をするのに、入れない。。

それから、学校へ行かなくなった。

担任は新任で大卒したばかりの若い女の先生だった。家に遊びにおいでって招いてくれて遊びにいったりしていたけれど、どうして学校行かないのか、何かあった?大丈夫?的な事は一切聞かれることは無かったまま、五年生になり、クラス替えと担任も変わった。

五年生になるとき、よし、今度こそ❗と、通い始めるんだけど、私の存在を無視して、席を勝手に変えられたり、班で無視されてるとクラス全員で無視が始まり、体育で廊下で縄跳びの時は男子が私が転ぶように何度も何度も罠を仕掛けて来て、終いに班で成績を競わせるようになり、一年不登校をしていた私が居ることで(不登校の間勉強は見てもらえていなかったので)私のいる班はいつも成績が悪く、もっといじめの標的になり、

行けなくなった。

先生の前ではみんな普通にしているんだけどね。

先生が保健室登校を進めてくれて

給食を食べに行くようになると、給食だけ食べに来るなんてずるいって言いに来る、あちこちから耳にはいる先生がクラスの子を順番に保健室に顔を出させるんだけど、

先生ってバカなのかな?って、今書いてて思った( ̄▽ ̄)


なんで、これない理由聞かないの?( ̄▽ ̄)意味わかんない。

良い先生だったけど、ちょくちょくプリンともってうちに来てくれて、お母さんと話して帰っていく。

お母さんがかわいそう。

と言う、事になっている。これもいつも意味わかんない( ̄▽ ̄)

お母さんも自分がかわいそう

あちこちの不登校の会へ足を運び傷のなめ合いで一生懸命。人もみんなお母さんがかわいそう。

で、子供はほっておかれる。

それが現実だった。


家にいると 家に居ることで

祖父母の陰口と直接の言葉が飛んでくる、

居場所がなくて布団から出られなくなる、

朝起きると祖母と母が毎日のように大声で喧嘩をしている。(私が学校行かない事で、あと母が朝起きれないこともあって)

怖くてもう朝起き上がることができなくて、みんなが寝静まってから起きるようになった。

祖父は私を見れば、勉強しなさい!

一緒に勉強するわけでも教えるわけでもなく、勉強しなさい!と怒るだけだった、そう言われても、何をどうしたら良いのかわからなかった。

学校行っているとき、テストで80点取っても、100点を求めるような 完璧主義な祖父だったので、本当にしんどかったなー。


こう言う私の体験から思うことは、何があったの?ってまず、心配しようよ笑 で、家に居場所作って、最低限心と体健全に過ごせる環境整えよう。

そして、行けないなら「勉強しろ!」って言うだけじゃなく、時間をさいて、心尽くして一緒に勉強するなり、その子に合った勉強方見つけようよって思う。

昔の人にとって理解できない事だったかも知れないけれど、家族は味方であってほしいと思う。

そして、切にそう願います。








 




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