"誰か"に判断基準を奪われていないだろうか


夫「インスタ運用とか興味ないの?」

私『えっ、なんで?』

夫「いっつもインスタ見てるから、保存されやすい投稿とかわかるのかなって。」


文字で見るとただの雑談なのだけど、私は一瞬ものすごく萎縮してしまった。。


まるで、

「子供見ないでインスタばっかり見やがって。」

「インスタ見てるならさっさと寝れば?」

「そんなに見てるのに運用出来ないの?
 時間の無駄じゃん。」

と言われているように感じて。




ぐぅぅぅ、判断基準が "誰か" (今回は夫) に奪われているぅぅぅ。


"夫" が良しとしないことはやってはいけない。
"母" が良しとしないことはやってはいけない。
"誰か" が良しとしないことはやってはいけない。


それをやってしまっていたら '私' が悪い。



………いや、そんなことは無いのだ!

まず、その "誰か" が良しとしているか否かは直接表現されないとわからないし、

次に、もし良しとしていなかったとしても、'私' が良しとしていればそれは良しである。


\インスタは見ていいのだ/

あ、ただ…………
少し控えようって年始に思ったんだった。。
これは "誰か" ではなく '私' がね。
お、思い出させてくれてありがとう旦那!笑



とまぁ、そんなこんなで負の感情に飲み込まれそうになったけど、一瞬で冷静になって、

私『いや、運用は興味無いから、どんな投稿が保存されやすいかとか全然わかんないや!』

と返せたの、大変に偉いぞ!!!



おしまい



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