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お産物語① 自宅を選んで

「誰もが安心して産み育てやすい社会にしたい」

「すべての人が自分らしさを尊重して、生き生き活躍できる社会にしたい」

--その目的を果たすためなら、縛りをかけずに、あらゆることへ、感じたままに何度でも挑んでいきたい。

その活動の原点をシリーズで振り返ってみる。

まず最初のシリーズは妊娠・出産への想いを深めていこう。

病院で産めない!

第1子を授かったときのことから。もう14年も前になるので、曖昧な記憶をたどりながら(正直に明かせば、記憶なのか創作なのかも微妙だけど)綴っていく。

何も知識がない中で、とりあえず実家近くの産院へ見学に。

昔ながらの古〜いクリニック。病院のスタッフに案内され、どきどきしながら中へ入ると…。

「・・・・・」

その雰囲気に絶句。

いやさ、わかっていたし、予想はしていたけど。

いのちの誕生であるはずのその部屋は、しーんと静まりかえり、まるで死んだも同然の空間だった。

たまたま土曜でお産もなかったようだけど(土曜でお産がない、という事実から、どんな診療をしているのかが予想される…詳しくは後述)、

窓から入る淡い陽の光に照らされて、お風呂のごときタイル張りの薄暗く、ひんやりした手術室。誰もいない分娩台。

・・・ここでは産めない。

本能的に感じていた。いや、いろいろ知識を入れた後の言語化だから、そのときそう感じたかどうかはなんとも言えない。

でも、安心して、落ち着いて、妊婦として、やる気の出る空間ではなかった。

なんというか…どこもそういうものなのかもしれないし、たまたまだった可能性もあるけど…何もかも初めての私には受け入れ難かったよね…。

そう、最も手近な場所にあった産院は、私の安心できる場所のイメージから最果てにあったのだ。

お産における贅沢とは

そこから私の出産場所を探す旅が始まった。

初めての妊娠で、つわりや倦怠感とも闘いながら、

(そして転職したばかりで、覚えたての仕事とも格闘しながら)

いろんなお産の本を探し、読みあさった。

中でも漫画家の桜沢エリカさんの「贅沢なお産」は衝撃だった。

プラダにエルメス、超ブランド志向のエリカさんが、本当のお産の贅沢に目覚めるまでが綴られていて、私はブランドにこれっぽっちも関心がなかったけれど、出産の贅沢にはちょっとそそられた。

一般的によくイメージされる出産の贅沢って、ぴかぴか✨の綺麗な産院で、お祝い膳に豪華な食事が出るとか、至れり尽くせりの手厚いケアとかだろうか。

でも、本当の贅沢は、お金をかけるかどうかより、もっと本質的なことにあった。

赤ちゃんとお母さんが主役かどうか。

それは、お姫様や王女様のように扱われることではなく、お産に集中できる環境で、自らの心身の変化を存分に感じながら、ありのままのお産の経過を見守られながら、自分のペースを大切に、自然に沿ったケアをされることだった。

不必要な医療行為を排して、過剰な医療ケアを避けて(実は世の中では、本来は必要じゃないのに、医療者や妊婦が待てずに、見切り発車されている医療行為が蔓延している)、「待つ贅沢」、つまり真の意味で「自身を大切に扱われる贅沢」。

妊娠出産や子育てを学ぶことは人権教育だ、と知るきっかけにもなった。

今、世の中では、まだまだ病院の都合で、こうです、こうなります、と決められていること、進められていることがなんと多いことか。

そもそも出産はいつどう進行するか、わからない。(潮の満ち引きである程度の傾向は出てくる。)土曜にお産がない=土曜は病院の人手が足りないから、お産がなるべくないようにコントロールしている、ということだ。

果たしてお産は人の思い通りにいくことなのか。全然そうは思えなかった。

昔ながらのお産を大切にして、妊婦に薪割りをさせる愛知県岡崎市の吉村医院のDVDブック「しあわせなお産をしよう」や、自宅専門の産科医、大野明子さん著「分娩台よさようなら」にも多くを学んだ。

私は自分を尊重したお産をしたい。

そのときは訳もわからず、人に話を聞き、本を読み続け、出産場所として「自宅」を探し当てたのは、後から振り返れば、それが私を導いた思いだった。

家族と第2の母の支え

私が自宅を選べたのも、自分だけの力じゃなく、家族が理解して支えてくれたからだった。

日頃の行いから、言い出したら聞かないと諦めていたのかもしれないけど^_^;

そして、第2の母である助産師のKさんに会えたことも恵まれていた。

日本助産師会に電話して、助産院から教えていただいた方で、お住まいはわが家からバイクで15分。偶然にも隣の市で、私の学生時代の先輩がKさんのサポートで自宅出産していた。

大きな定期検査は緊急時の受け入れ先となる病院で受ける。診察にもよく付き添ってもらった。自宅での検診時には、夫の不安にも寄り添ってもらった。

Kさんの在り方は新米母にはありがたかった。いつもカラカラとよく笑い、どんな話にも寄り添い、ちょっとやそっとじゃ揺らがない安定感でどっしり構えつつ、主役はあくまで赤ちゃんと妊婦。さりげなくそばにいてくれる安心感。

何でも相談できたし、心身を整えることも教わった。妊娠初期はパンや麺ばかり食べていた私が、いつの間にかごはん中心の和食になり、その食事の変化は子育てのうえでも大いに役立った。

温熱刺激療法、イトオテルミーが心地良くて。何より安心して出産に臨めたのは、Kさんのサポートがあったからだ。産後もたくさん相談にのっていただいた。

妊娠初期から産後まで。継続したケアだから話せることも多い。これがシフト制の病院だと、異なる担当者でケアが分断され、前回までの経緯をいちいち説明するのもしんどい。

産み場所が自宅でなく病院でも。すべての妊産婦さんに、助産師さんのサポートがあるといい。

お産を地域に取り戻したい

Kさんに「ちょっと見ておいて」と借りた、知らない人の自宅出産を紹介したビデオは確かに衝撃だったけど、それはつまり、いかに見慣れない光景で、お産が私たちの暮らしの中から遠い場所へ移されてしまったかを物語っていた。

昔なら当たり前にそばにあった風景。人の生き死にをいつの間にか見なくなった現代社会。

私たちはみんな、誰もが1人の母から生まれて死んでいくのに、それが実生活から切り離されていることに、自宅出産を通して気づかされる。

今、地方では産院がどんどん閉鎖している。24時間体制の運営に、医療訴訟も増え、産科医療現場は疲弊して、社会が産院を支えきれなくなりつつある。少子化以上のスピードで産み場所が減っている。

元気な人、健やかな人がどんどん自宅で産めば、病院はハイリスクに専念できる。地域にお産を取り戻したい。当たり前に産み育てる風景を暮らしの中で復活させたい。

そのヒントが自宅出産には詰まっている。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。今後も少しずつ続きを書いていきます。

安心して産み育てやすい社会を作るため、また社会全体で子育てを支援する仕組みを作るため、サポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、あいのちの活動で使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。