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徒桜

コロナ初期、二年近く経つのかな。その頃免許合宿に行った。貸切状態の新幹線でゆっくり向かった先では四月も終わろうとしているのにまだ桜が満開で、桜を二回も楽しめるなんてお得だと思った。
ド田舎で自分が行った日以降は感染対策として誰一人入校してこなかったし、県境でPCRか何かの検査をしているような閉鎖的な場所だった。そんな場所に関東や関西から合宿に来ている人のことを正気じゃないと思っていたが、もしかしたら相場より安かったのだろうか。自分は祖父母の家が教習所の近くにあるので、もしロックダウンしたらお世話になろうと思いその場所を選んだ。
自分と同じ入校日には同年代の子が三人居て、一週間ほど前から合宿に来ていた同年代の子が何人か居た。駅前の宿に宿泊したが、コンビニや飲食店があるくらいで娯楽は何もない場所。自分は免許合宿ですら人と打ち解けられなかったため詳しいことは知らないが、同年代くらいの子達は少し遠くまで足を伸ばして飲み会を開いたりしていたらしい。歳上の牽引免許を取りに来たおじさんと喫煙所で少し話したときに、此処は何もないけれど普段何をしているのかと尋ねたら、電車を乗り継いでパチンコを打ちに行っていると笑って答えられた。流石に電車を乗り継いでまでパチンコを打ちに行く気力も財力もないので「そうなんですね〜」というような雑な返しをしたと思う。
朝六時前に起きて支度をして余裕があればホテルの朝食を食べる。ホテル前まで迎えに来たバスに乗る。座学をして用意されたお弁当を食べられる分だけ食べる。運転練習をしてバスでホテルに帰るのが大体16〜17時。温泉が空くのが18時なのでそれまで一生つけっぱなしのテレビでアンパンマンを流し見する。一番乗りで温泉に入り誰も来ない間に上がって布団で眠る。気付いたら辺りは真っ暗で親に生存報告をして気が乗ればホテルの夕飯を食べる。部屋の中にある風呂場にお湯を溜めて足湯をしながら歯を磨く。何をする訳でもなく時間が過ぎ、深夜3時頃にアラームをセットして眠る。これを二週間と少し続けた。暇だろうからと持って行った数冊の文庫本も全く手をつけず虚無を貪った。普通に狂う。ZIPとアンパンマンと運転についてしか情報源がない。その頃はストーカーでそれなりに追い詰められていてTwitterのアカウントを作ると殺すと脅されるような日々だったのでTwitterへ逃げることも出来なかった。
仮免試験前は先生が筆記で落ちる人は沢山いるからちゃんと勉強しなさいと言っていたので人並みに勉強して一発で合格した。しかし、年に一人居るかどうかと言われるレベルのド田舎の卒検に二回も落ちた。周りの人はどんどん卒業して地元に帰っていく中、先生や牽引のおじさんやホテルの経営者の方達に「次こそ受かるよ! 練習のときは失敗しないんだから緊張せずに頑張って!」とたくさん慰められた。そう言われる度に「もう一生この牢獄から抜け出せないのかもしれない……」と泣きそうになった。落ちる人が年に一人居るかどうかのレベルの卒検に二回も落ちた自分の自己肯定感はドン底だった。無事、三回目でオマケ合格を貰うことが出来て、慰めてくれた方々にたくさんおめでとうと言われながら脱獄した。
帰ってから免許を取るために免許センターへ出向かなければいけないのだが、先延ばし癖が酷く「コロナ大変だしな……」とか言っているうちに数ヶ月が経ち、全てを忘れる前に流石に取らないとと気合を入れて免許を取得した。免許センターでの証明写真撮影がはやすぎて全員犯罪者顔になると噂では聞いていたが、本当に爆速で流石に半目だったのでは……と怖くなったりした。一応ギリ人にお見せできるくらいの写りでホッとしたのを覚えている。
合宿に行く前はやる気に満ち溢れ免許取得したら運転するんだ……! と思っていたが、ド田舎の卒検に二回も落ちたのに助手席にブレーキのない車を都会で運転する気になれず、一度だけ二時間ほど運転しただけでそれ以来乗らずに年数が経ち初心者を名乗れなくなった。ハンドルを握っていると、他人を殺すか自分が死ぬかというような追い詰められた気持ちになるため運転したいとも思わないし、運転免許はただの身分証として使っている。多分今後もあまり運転をせずにペーパードライバーとして生きていくのだろうと思う。
一緒に死んでも構わない、または助手席からブレーキを踏んだりハンドルを握って死を回避するくらいの心構えがある人の隣でなら運転しても良いのだけれど。

それでは、また。

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