暴力と形而上学 2

2023年度・冬学期(1/17)

Jacques Derrida, Violence et métaphysique, essai sur la pensée d'Emmanuel Lévinas : L'écriture et la différence, Editions du Seuil, 1967

 1. 〔…〕この思考は、文献学に頼ることなく、経験それ自体の直接的ではあるが埋もれた裸性に忠実になるというただそれだけによって、〈同〉と〈一〉のギリシア的な支配から解放されようと望んでいる(〈同〉と〈一〉は存在の光、現象の光の別名である)。このギリシア的な支配は圧政のごときものであり、のであり、確かにこれはこの世界にまったく類例を見ない暴政、存在論的ないしは超越論的な暴政であるが、同時にこれはまた世界内におけるあらゆる暴政の起源であり、そのアリバイでもあるのだ。要するに、「西洋の哲学を支配する全体性の概念の内に固定され」「戦争において示される存在の相貌」に魅惑されている哲学から、この思考は解放されたいと望んでいるのである。
 2. それにもかかわらず、この思考はその第一の可能性において、形而上学として定義されることを望んでいる(とはいえ、形而上学はわたしたちの問いの血脈をたどるなら、ギリシア的な概念であるのだが)。形而上学をレヴィナスはその従属から解放したいと望んでいるのであり、アリストテレス以降の伝統の全体に抗して、形而上学という概念を再建しようと望んでいるのである。
 3. この思考が訴えるのは、倫理的な関係――〈無限に他なるもの〉としての無限への、他人への、非暴力的な関わり――である。この関係だけが、超越の空間を開いて、形而上学を解放することができるというのである。しかしこのとき、倫理と形而上学を自分自身とは異なる何かに依拠させることもなければ、倫理と形而上学が出来する際にそれらを別の水に混ぜ合わすこともないのだ。