春はたぶん苦い

推しって呼んでいいのかすらわからないけど一度でもときめいたコが公式Twitterでするすると突発性難聴でアイドル活動休止って流れていって、私はあの子の人生を見て自分の人生に潤いを与えられたというのに一ミリも寄り添ってやれないのが悔しくて悔しくて。

たぶん私はDD(誰でも大好き)だけどいっぺんに何人もを好きで居続けられるほど器用じゃないんだろうな。だれかに夢中になっている間にもう一人の推しとの時間が浦島太郎状態になってしまう。だからね、君のことなかなかかまってやれなかったんだよ。でも思い出すきっかけがソレとはね。

嘘です。大好きだったひとがアイドルを続けられなくなるかもしれないのに最初に出てきた言葉が「ふーん」でした。「ふーん」。

人のために泣いた記憶がありません。
アイドルを見て泣いたこともないです。
おかしいでしょうか?って危うくヤフー知恵袋に送ってしまうところでした。いまはtiktokにあげますか?

とはいえ

泣いてばかりいられませんがなんとかして同情心を持てないでしょうか。そのためにやっていた演劇もあとかたもなく、いや、溢してしまった砂糖のようになってしまったのかもしれません。それは肉眼では見えやしない塵に包まれてグレーになりました。私はこれを美しいとは思えなかったようです。なにもなかった方が幾分かマシだったように思います。

私の好きはその程度だったのでしょうか。あるいは好きとはなんでしょうか?

自分の誕生日は好きですが、自分の名前は好きではありません。でも最近思います。この世で自分の名前が似合う人間なんて滅多にいないのだと。それっぽいだけ塗り固めて生きてきてしまったことを虚しく思いました。

ただ、要潤だけは違います。あんなに似合っている名前他に見たことがない。彼をみて要潤という名をるけるほどのセンスは私にはありませんが彼の名前を見るとなぜか納得してしまいます。



幸福と不幸はどちらの方が死に近いでしょうか?

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