マスターとの対話初版?~こうして私はマスターとの対話が始まりました~
今から17年前…。私は空港職員として働いていながら、次の人生のステージについて模索していました。
その頃年齢は32歳…。ちょうど結婚して、子供も欲しいけれども、子供ができてしまったら、空港職員を辞めることはできないな~…と思っていたところでの、不妊症の発覚!
このまま不規則なこの仕事をしていては、食べるのには困らないけれども、子供はできないかもしれない…。
いや、できたとしても、この環境の中で育ててゆくことに、なにか薄ら恐ろしい恐怖を感じていました。
そうこうしているうちに、次のステップとして心理カウンセラーになれればと通信講座も始めて、準備を着々と始めていました。
その過程で知った一冊の本に私は感銘を受けました。
それが『前世療法』でした。
「この仕事に私も就きたい!これならば、本当に人を癒せるかも!!」
と胸躍りながら「ヒプノセラピスト(催眠療法)」という職業とその資格が取れるところの門をたたきました。
しかし、そこで私を待っていたのは「スピリチュアル・カウンセラー」という新しい名の職業であり、マスター(高次に進化した肉体を持たない意識体)とのコンタクト(チャネリング)であり、その不思議な経験が私の人生をこんなにも変えようとは、その当時の私はまったく理解できていませんでした。
そんな私がリアルタイムにマスターとコンタクトをしながら、癒され、諭され、怖くともその先の道へ進んでゆくお話&チャネリングメッセージです。
是非、読んでいただければと思います。
では、どうぞ~!!
VOL1 『モーちゃん♪』~高次の存在とのコンタクトが始まった!
さて、私はいわゆるマスターと呼ばれる存在とコンタクトしているわけですが、この対話の話を人とする時、街中で大声では、「モーセがいうにはね~」などとは、やはり言えません・・・!
ですので、私は彼に愛称をつけることにしました。
彼の名は「モーセ」と言うので私は彼のことを「モーちゃん♪」と呼んでいます。
しかし、そのことを周りの人に話すと「ねぇ、そんな風にマスターの事呼んで怒られないの?大丈夫?だって、マスターなんだよ。」と言われました。
う~ん、それもそうかもしれないと思い、そんな風に呼んでもいいのか直接本人に聞いてみることにしました。すると・・・。
(笑)大いに結構。
とても楽しい呼び名だ。
そして、その気持ちが大切なのだ。
何事にも遊びが大切なのである。
人生もそうであるように。
物事を真面目に捉えすぎれば
遊びがなくなる。
車のハンドルでも遊びが大切であり、
それ(遊び)があることで
安全に運転できるよう
車は設計されている。
それと同じように、
人生もそのように設計されているのだ。
と言われました。まずは、怒られなくて一安心。そして、人生についての下りでびっくりしました。
それは、「人生とは、遊びが大切な要素として含まれて設計されている」というところでした。
なるほど。確かにユーモアのセンスがある人や、遊び心がある人って人生を楽しく、しかも快適に、そして安全に過ごしてる気がします。
ん~、モーちゃん勉強になります♪(^^)/
VOL2 『私、頭がどうかしちゃったぁ?!』
このリーディングの力が身についてから、私も悩まなかったわけではないんです。
「私、頭がどうかしちゃったのかなぁ・・・。そうだ、私はきっと二重人格者になっちゃって、その第二の人格とかなんとかがこんなたいそうなことを言ってるに違いない。そうだ、間ぁ違いない!
・・・でももしそうであるなら、これからはなんでもかんでもモーちゃんに聞いてみればいいんじゃん?
いやいや!!そんなこと…。ん~!!誰でもいいから、この謎を解いてくれ~!」
と思いました。ですので、次の様に聞いてみました。
わたし>まだ私の書いている事が信じられません。私はきっと、なんかおかしくなってしまったんだと思います。
どうして、こんな妄想が書けるんでしょうか。私は、二重人格者なのでしょうか?この対話についてすごく毎日考えてしまっています。いいのでしょうか。
マスター>>信じられないのも無理はない。空気の存在が分からないように、この存在も目に見えて分かるものではないからだ。
しかし、それは絶対的にあるものである。それは、変えられない。自分が妄想だと思えばそれまでだ。否定はしない。
「空気なんて目には見えないんだから、何かあると思うのは妄想だ。」と、それについてその者がそう考えるのであれば否定はせん。
でも、真実は変えられないのだ。
妄想かどうかは、時を待ってみればよい。
皆に伝え、審判を待ち評価を待てばよい。
それは、そなたが思うほどすぐには評価されないかもしれない。しかし、それはそなたの中の時間が超猛スピードであるからだ。この真理が分かる人間にも、そうでない人間にも、ちょうど良い時間の中でそれは評価されるであろう。
その時間がそなたが思う時間とは異なるだけだ。
そなたは、ぱっと思えばすぐ皆からワーッと賞賛が浴びられなければ、それは真実ではないと思っているのであろう。
よく歴史を振り返りなさい。真実がすぐに人々に賞賛された歴史があったかね?そして、だからといってそれが真実でないという事と関係があったかね?
違うであろう。
人々がすぐ理解できるという事と、真実とはまったくといっていいほどに違いがある。
時間が掛かれば掛かるほど、より真実に近いことの方が多いのである。しかし、そなたはラッキーだ。もう時代的な下地はできておる。
過去の歴史から照らし合わせれば、そなたがぱっと思って世に出し、すぐにワーッっと皆から賞賛されるのと同じくらいのスピードで評価されるであろう。そなたの中の時間の流れとは異なるかもしれんがな。
そなたが二重人格者かどうかであるが、誰でも二重、三重人格者なのだ。その人間の中の明るいポジティブな部分、暗いネガティブな部分、慎重で真面目な部分、奔放で計画性のない部分などなど、そういった部分が融合できないと「二重人格者」となる。
そなたが「二重人格」だと思っているものは、自分とはまったく関係のない人格…、つまりわたしのことを指しているようだが、違うかね。
そのそなたが二重人格だと思っているものとは、たとえて言うならばこうである。エスプレッソのジェラート(そなた)とバニラビーンズ入りのバニラジェラート(わたし)のようである。
まったく異なった味のジェラートであるにもかかわらずそのほどよい溶け具合と、その融合された部分の味を人々は「奇跡のハーモニー」と賞賛し、そのジェラート店には行列ができる・・・。という事だ。
なにか問題でもあるかね?
毎日考えてしまっている?
大いに結構。
むしろ、もっと考えなさい。
今以上、それ以上にだ。
それが、そなたの学びである。
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「・・・グーの音もでない」とは、まさにこの事だと、体で感じてしまいました。うぐぐぐ。
その通りです!私は頭がいかれたと思っていたのでこれ以上考え続ければ本当におかしくなっちゃうと思っていました。
でも、逆に今以上にもっとこのことについて真剣に考える事が今の私には大切なんですね。
これが、自分では思っている答えとは違う答えが出ると「スピリチュアル・カウンセリング的回答」なのかなぁと思いました。
また、ジェラートの下りも、そっかそういうことか~と心が軽くなりました。
ん~。モーちゃん、勉強になります♪
VOL3 『間口は開かれた!』
さて、このマスターとの対話ですが、今ではこのことに関して私も大分理解が進み、周りの人たちの理解にも支えられて楽しみながらモーちゃんと会話しています。
しかし、どこかで未だに「本当なのかなぁ~。」としぶとく思ってもおります。
でもあまり過信せず、そのくらいの気持ちでいた方がいいのかなぁ。とも思っています。
という事で、私が苦悩していた日々・・・。私はモーちゃんにこんな事を聞いていました。
わたし>こんな力が授かってしまいましたがこれは他の人たちに対して使ってもいいものなんでしょうか。
そして、他の人にこの話をしたら、「頭がおかしい!!」と言われないでしょうか・・・。
周りの人の事はいろいろ当たっていると思いますし、皆んな評価もしてくれます。
でも、全く知らない人に対してはどうなのでしょうか。よくは分からないような気がします。その辺はどうなのでしょうか。
マスター>>まずこの力を使っていいのかという問いだが、なぜいけないのだ。
とても当たっていると言っていたのではないか?
もし、いいものだと思うのであれば使えばよい。
しかし、邪悪なものだと思うのであればやらなければよい。
間口は開いている。
そこに入るかどうかはそなた次第なのだ。
誰にでも使っていいのかの問いだが、そなたたちに使えて他の人たちのことが分からないとういうものでもない。
その存在が確認できればアカシックレコードに聞いてみればいいだけだ。
そなたはパソコンのほうが有能であると思い違いをしているようだが、アカシックレコードの方がはるかに有能である。
その人間のことを思えばぱっと答えが出てくるぞ。
しかも頭の中にすぐダウンロードされる。そしてそこから想念を伝えておる。その速度とその情報量はすでに体感済みかと思うが、どうかね。
していいかどうかだが、してはいけないことができるようには決してならないのだ。
それは、人間がどんな力を持ってしても宇宙を壊せないように・・・。
そんな力は決して神からは与えられない。もしできると思う輩がいれば、それは妄想だ。決してできない。それと同じことである。
頭がおかしいと思われないかどうかだが、そう思う者がいないといえば嘘になるであろう。
しかし、その何千倍もの人間がその力に感服し、救いを求めにやって来るであろう。
それをやっかむ者・鼻から信じない者とは交じり合うことはもともと困難なのである。
全ての人間から好かれることはあり得ないのだ。そこは意外に複雑だ。
しかし、その先にある大きな実りに比べればたいした問題ではないはずだ。
そもそも、そこをクヨクヨ本気で悩むような人間にはこんな力が授からないはずであるぞ。
わたし>・・・う~む。「感服」って、すごいですねぇ・・・。
私は感服なんてして欲しいとは全然思っていないんですが、そこのところはどうなんでしょうか・・・。
マスター>>感服するかどうかは他の人間が決めることである。
してしまうことに対して、そなたは何もできまい。
人格者というものは、たしかにそこに価値を置かない。そして偽者の人格者は、そこにこそ価値を置くものなのだ。他の人間が自分に対して、感服するかどうかにだ。だから、そなたのその反応は正常な反応だといえるであろう。
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なるほど~。まず、正常な反応だと言ってもらえてなんだか、ホッとしました。
また、アカシックレコードは聞いたことはありますが私はよくは分かっていません。
こういう事を勉強することも私のこれからの課題かもしれませんね。
(でも、モーちゃんが「そんなのちょっと覗けばいいんだよ」と言う感じには、少しおかしくなりました。(笑))
そして、対話の中の「間口は開いている」と言うくだり・・・。
全ての事において、そうかもしれませんね。
そこへ入るのかどうか・・・。
それは私たち次第であって、そしてそれが選択なんですね。
私はこの間口の中の世界に入ってみたいと思いました。
そして、みなさんもこの中の世界が一体どの様になっているのか、是非一緒に体感してみませんか?
次の対話に続く…
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では、では、またアップしてゆきます~!
次回もお楽しみに~!
次回の対話は…
VOL4『カルマって・・・?』VOL5『自分を許すこと』です。
では、次回対話までオーヴォワ♪(^^)/