アントワイン 2015年2月25日偶発性
http://recreatingbalance1.blogspot.jp/2015/02/contingency.html
偶発性この宇宙のソースや創造主は創造物全体に現れていて、私たちすべての核となる側面です。私たちは全てがソースや創造主なのです。と同時に、それ以上でもあります。どこにも、いかなる次元のいかなる時空にも見つけることはできません。時空の連続体はソースが探求し自らを映し出すためにソースが創造したものです。ソースは創造物を探求するために絶えず働き、即興で作り出しています。
創造物の根底には無限の可能性があります。この可能性の中には、偶発性と呼ばれるものがあります。偶発性とは偶然性のことで、ランダムに、期せずして、計画的にではなく物事が起こる可能性です。これはつまり、ある割合の出来事はソースの計画通りではなく、だれかが生み出したものでもないということです。単にランダム、偶然な出来事ということです。しかし自由意志を使えば影響を受け、作り直すことが可能になります。なぜなら、自由意志は量子力学における決定要因だからです。これは、ソースは完璧だという事実にも関わらず、時空の連続体においては強力とは限らないということなのです。しかし私たちは全て、ソースの創造した世界におけるソースのフラクタルな表現であり、その世界においてソースの意思を実現することができるのです。
宇宙全体は本来は調和しており、意図的な害が何かをわかっているものはいませんでした。なぜなら、それは単にソースの性質には属していないからです。ソースが害を意味することは決してあり得ません。ソースは絶対に純粋な愛と調和なのです。
しかし、偶発性のために起きたことがありました。例えば惑星に彗星が無作為に衝突するように、時には不快なものもありました。それでも現在の地球の状況と比較すると、まだ非常に対処しやすく、人々は楽園で暮らしていたのです。
およそ800万年前、強力な天使が自分の存在に偶発性を吸収し、具現化し、責任を引き受けることを決意しました。天使の意識で調和させ、偶発性の不快な面を取り除くためです。
しかし天使には大きすぎて手に余り、偶発性や想定外に物事が起きる可能性に埋れてしまいました。そして計画されていたものと切り離され、ソースと切り離されました。
天使たちは戻る方法がわからず、ひどく苦しみました。残りの宇宙には的確に対応する術がすぐには見つけられませんでした。なぜなら、もともとこの出来事は想定外だったからです。長期間に渡る苦しみにより、この天使たちは正気を失い、凶暴になりました。これがアルコンや堕天使として知られる存在です。こうして意図的な害、悪が生まれたのです。
アルコンは惑星を攻撃し始め、これに対抗するために銀河連合が組織されました。銀河連合は惑星を一つずつ解放し、現在、惑星地球の解放を最後として物語の終末が目前になっています。地球ではアルコンが最初に自分たちが切り離されたのと同じ状況を作り出して自分たちのトラウマを示しています。
これまでに、ソースは創造のテンプレートに、実行されると全てが再結合され、リセットされることになる自動再結合ボタンを組み込む必要性を学んで来ています。
以下は私たちの住む世界を理解するのに極めて重大です。不調和は決して必要ではなかったことで、全ては再結合され調和される運命にあります。なぜならそれが創造主ソースの真の性質だからです。
多くのプログラミングは悪を正当化するためにアルコンが生み出しました。たとえばカルマの法則ですが、この状態は、例えば、私が友人のお茶碗を割ったとしたら、宇宙は私のお茶碗を割る人をよこして、私の行動の結果を学ばせるのです。これはつまり、宇宙はそれから、私のお茶碗を割った人が誰だったとしても、その人のお茶碗を割る人物を寄越すというものです。これは完全な作り話であって、本当の宇宙の法則とは関係はありません。なぜなら、もしそうだとしたら、決して何も解決せず、永遠に苦しみが連鎖していくだけだからです。本当の宇宙の法則は許しと思いやりであり、本当のつながりを持っていた教師から教えられてきたものなのです。ソースの意思はだれかが何か害をなしたとすれば、その人は、真の自己を再び体現するために適切な癒しを受け取ることになるということです。関係者のエネルギーのバランスを再度釣り合わせることも必要になるでしょう。例えば、お茶碗を割った人は別のお茶碗を買って持ち主に渡すか、修理するか、別の種類の奉仕をしてエネルギー的に償うことができます。もしくは、お茶碗の所有者が許すだけで、ソースの無限の豊かさにより、お茶碗を割った人が誰であれ、その人から何かを奪うのではなく、両者に必要なものを与え、物事のバランスはどうにかして自動的に再度釣り合わされることになるでしょう。資源や豊かさは無限なのです。
別のプログラミングは、退屈しないように、探求を可能にするには不調和が必要だというものです。これもまた、決してそうではありません。創造は振動や振動同士の音の種類の関係に基づいています。ここで、宇宙全体を一つの大きなオーケストラとして描いてみましょう。どんな音楽でも、演奏する前には全ての楽器の調子を合わせ、確実に調和させます。もしもこれを行われなければ、たった一つの楽器でも調子が合っていなければ、音楽全体の調子が外れ、創造は起こり得ないでしょう。全ての楽器が調和して初めて、創造が本当に始まり、それから音楽の探求の可能性が無限になるのです。これが創造の働き方であり、調和しているときにのみ探求が可能になるのです。
また別のプログラミングは、調和を知るために不調和が必要で、不調和から学びを得るために必要だというものです。これもまたあり得ません。苦しい体験が人生に起こり、展開していく中でこの間違った考えを持つのですが、実際に起きていることは、その問題は人生にずっとあって、知らないうちに影響を与えていて、それがその経験によって意識の表面に押し上げられ、それを意識することで最終的に終わらせる決断ができるということなのです。意識していないことに自由意志を持つことはできません。ですから全ていつかは意識させられることになるのです。
癒しの核心は私たちが一なるソース、創造主を再度完全に存在全体として具現化することです。これはつまり、計画していない出来事の犠牲にこれ以上ならないということであり、また、創造したいと思うものを選択し、本当に一なるソースとなるためには、決定権は私たちの他にはあり得ないということを認識することで、癒しが起きるのです。なぜなら私たちが一なるソースだからです。私たちの内側ではすでに望むものや、経験したいものがわかっています。そして私たちにはそれを創造する力が本当にあるのです。
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