襟を正す

「襟を正す」私が最近行った古本屋さんのnoteに書かれていた単語である。

私は生きている間にこのような言葉を使うことがあるんだろうかとふと考えていた。書き物をする人間は日本語を美しく使っている。私は「言葉足らずだけど」とか「語彙力ないんだけど」とかを文頭に免罪符にして表現をしている。

去年の8月、中学の国語科の先生に久しぶりに会って食事をした。どういう本を最近読んでいるや、今何をしているかなど最近についての話をした。
その時に、バイト先での日本語の使い方について疑問に思ったので先生に聞いてみた。私は年上の人でもタメ口を混ぜたゆるゆるとした敬語になってしまい、正しい敬語を今まで意識して使ったことがなかった。いざ電話対応や接客の対応をしていると、正しい敬語や日本語ってなんだろうと考える時間が増えた。

「そうやって今自分の中で考え直していたり、意識し始めることが大切だと私は思いますけどね」と国語科の先生は言った。根本的な解決にはなっていないから、私は頭を抱えた。ただ、本を読んで語彙力を豊かにしたり自分の中で言葉を組み立てる意識は必要なのかなと思った。

最近映画や小説などに触れる機会が増えた。美術館にも足を運ぶ。その時に、綺麗だなと思っても言語化が出来ない。とても困る。

自分の中で考えたり意識したりしてみても、襟を正すなんて単語は出てこないし、私が使うと背伸びをしているみたいで気持ちが悪い。精神的に成長したと過去のnoteに書いたが、まだまだなんだろうなと実感した。

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