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知っていることと、体験したことは別物

noteをはじめて4周年(あれ、多分3周年だなぁ、とぼんやり思うけれど気にせず書き進める)が経ったという通知がきた。最初に知ったのは何がきっかけだっただろう。サクちゃんのnoteだろうか?その頃から一貫して、どういう場所にしたいか、と伝え続けているnote社の方々の熱量はずっとそのままで、むしろ上がっているように思う。わたしはこの場所が好きだ。
2018年7月にはじめて参加したcakes&noteフェスでは、佐伯ポインティさんと石川善樹さんの話で大爆笑する写真を撮られている。このイベントで一緒に行きませんか?と誘った友達とは今も定期的に連絡をとったり飲みに行く仲になったし、レポートを書いてたくさんスキをもらったことも嬉しかった。拙い文章でも、自信がなくても締め切りをつくって出す、書く、書き続ける。そのことは私に居場所をつくってくれた。(noteをきっかけに、会いませんか?と言われてお話したことも嬉しい出会いだったなぁ)

ちょっとだけ振り返ってみる。感情が動いたとき、言葉にするのは苦手で、でもあふれてしまう暴れている気持ちをメモする癖があった。それが、PCに打ち込んではざっと確認して更新して、ある種気持ちを昇華させるようなnoteになった。ありのままの自分を、とりつくろっていない自分を、noteにだったら書けたのは裏側で安心な場所をつくってもらっていたからだろう。

2018年8月後半くらいから2019年7月まで、ほぼ毎日書き続けた時期もあった。決めたわけじゃなくて、あれ?なんだか続いているから続けてみるか、という気持ちで始めた。日常を見つめる癖がついた、揺れる自分をなだめる術としても頼っていた、書くことで他の人の文章を読む量もさらに増えた。

私は、メモしないと忘れてしまう。今感じたこの気持ちは、頭のなかに浮かんだこの言葉は、ぴたっとハマった今しかない。別にかっこいいことなんてひとつも思いついていないけれど、ぐらぐら揺れている自分も、波のまっただなかにいる自分も、ちゃんと書き留めておけば、あとで冷静に見つめることができるから。過去の私が、テキストが、背中を押してくれたり大切にしたいことを思い出させてくれるから。

2020年、忙しさを言い訳に月4,5本書ければいいほうだったけれど、また自分と、書くことと、向き合う日々を始めてみようかなと思った。誰でもなく、自分のために書くことは、私自身を癒していると思った。なんてエコなんだ。あと、ちょっと読み返してみて思ったけれど、案外向こう見ずな自分のことを気に入っている。直感を信じて行動したり、なんでもアウトプットしようと欲張ったり、本物に会いに行ったり。知っていることと、体験したことは、別物だよね。はやく、その感覚を味わえる場所にまた足を運びたいな。

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