役に立たない文章にたくさん救われる
夏の予感がする。大好きなはずの人の文章が、すっと入ってこなくて少し苦しくなって、夏バテみたいなものかな、と思ったりした。
役に立つ文章、役に立たない文章、どっちも好きだ。多めに取り入れたいのは、役に立たないかもしれないけれど、やさしくてあたたかい気持ちになれたり、喉の奥のイガイガを和らげてくれるような文章とか声だ。頑張るだけのエネルギーが出ないときも、文章を求めて本やネットを探し歩く私がいたことに、少し驚いた。
夢とか、やりたいこととか、そんな大仰なものを持ち合わせていない私は、その時点でスタート地点に立てていないんだと小さい頃からどこかそういう感覚を持っていた。それが良くないことだと思って、いくつもの知っている夢を語ってみた。語ることは簡単だった、周りの期待する自分になれると思っていた。でも、それをやることには限界がきた。
誰かの文章にあった、小さい頃に自分探しをきちんとしていなかったツケは大きい、けれど、取り戻そうとすることもできる、という話を思い出す。
私は、東京に出たい一心で、周りの正解になれるならとその一心で、自分の気持ちを無視した。今なら、その弱さにも情けなさにも気付ける。会いたい人に会いに行く、まずは自分の気持ちを見つめる、考えて、行動する。
そんな当たり前を、コツコツやって、まずは自分に素直になりたい。その先に、今ある在りたい姿から派生して、やりたいことが見つかるかもしれない。やりたいことを語れるほどの自分ではないことに最近も嫌になってしまったけれど、まだまだ考えが足りない、ってことなんだと気付かせてもらえた。
こんなふうに、思えるようになったのは、たくさんの人に会えたから、たくさんの人が発信してくれているからだ。
世間は、週の始まり、いってらっしゃい。
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